370.そうだ、俺がネクロマンサーだ
「なに……?」
今、確かに心象偽界が展開された。長年に渡って偽界の研究をしてきた魔皇がその認識を誤るはずはない。間違いなく、柴ゼンタは偽界を開いた。
なのに、何も起こらない。
自身の偽界である『常夜神隠法』は健在。どころか、まったく変化が見られない。偽界が同一空間に展開されれば相互干渉は必至。相性や技量によっては他方が食いつくされ、互角ならば支配権の奪い合いが続く……なんにせよ「何も起こらない」ということは絶対にない。
まさか失敗か? 展開したはいいが維持ができなかったのか。【併呑】によって偽界を手に入れたての頃、そして対マリア用にと編み出したオリジナルのほうの開発中には、自分も似たような失敗を幾度となく繰り返した。ゼンタもそれと同じミスをしたのではないか。
初めての発動だというのであればそれは自然なことにも思える。開く気配だけがあって開き切った気配はないのもその証明になる。不発に終わったのだと、考えたいところだった。
だが。
魔皇は聞き逃してない。
ゼンタは心象偽界の発動ではなく、【併呑】と【偽界】の発動と言った。
【併呑】のほうはともかくとして、【偽界】を発動……? 【偽界】スキルは常時発動型、もっと言えば他者の心象偽界に巻き込まれた際にのみ適用される限定的な防御スキルだ。起動型のスキルではない。
【偽界】が育ち切ったとき、然るべき適性を持つ者は『心象偽界』へと至る。上位者が世に落としたスキル、現地民には魔法の極致とまで称されるまさに超常の頂点に相応しい絶殺の力を得ることができる。
そもそもMPを持たず【偽界】も発現しなかった魔皇は、故に心象偽界の入手と習熟に酷く苦労させられたもので、その経験が未入手の【偽界】への深い理解へと繋がってもいた。
【偽界】とは、発動させるスキルではない。なのにゼンタはそれで心象偽界の展開までは行えた――? いや、それなら自分と同じように【併呑】でどこぞの誰かの偽界を奪ったのだと考えたほうがまだ納得できる。
奇妙だ。失敗としか思えないこの状況。だがどこか奇妙に過ぎる。
偽界内にこれといった異変がないことを確認しながらも魔皇は用心を忘れず。
そのおかげで、偽界とは別の部分に起こっているとある異変に目がいった。
一ノ瀬ユーキ。
システム封じによって全ての力を失っていたはずの彼女が、ゼンタと同じように活力を取り戻しているという異変に――。
「どうだユーキ?」
「はい、オレゼンタさん。これならいけそうです!」
「……!?」
困惑する魔皇が眺める先で、ユーキはぴょんとゼンタの腕から飛び出して。
「ユーキももう一回、全力でたたかいます!」
その身を光らせて、変身。闇に降り立ったときにはもう、その姿は先の戦闘形態。十代後半相当の成長した肉体へと変わっていた。
「馬、鹿な――紅蓮魔鉱石の魔力が戻ったのか? しかもそれだけではない、他にもスキルを発動させているだと……!?」
ゼンタだけでも何故それが可能なのかと戸惑っていたところに、ユーキまで追加された。例外が、増えた。破綻の穴が増えた。
もはや魔皇にはわけがわからなかった。
「小僧ッ! これも貴様がやったことだと言うのか!」
「おうよ。あんときはもうくたばってたと思うが、不思議とお前の言葉はしっかり聞こえてたぜ? 偽界ってのは本来、自分の身を守るための防護服だって話だったよな。スキルの【偽界】はまさにそういう能力だ。こいつに何度命を拾ってもらったかわからねえ。生憎とMPのねえ俺には他の連中がやってるような偽界の使い方はできそうにねえが……こっちの使い方ならなんとか不足なさそうだ。てめーのシステム封じもちゃんと防げてるみてーだし、効果はばっちしだろ?」
「まさか貴様は……?!」
心象偽界には至らず。
敵を捕え殺すための邪法の用途には進まず、【偽界】そのままに、本来の用途へと進んだというのか。
来訪者だろうと現地民だろうと、戦闘に用いるなら心象偽界の使用法は必ず前者となる。本来の用途とはズレようがなんだろうが、これだけ絶対的な力ならそれも当然のこと。
究極の殺人術――拡大解釈によって広まったものであってもその使い方が根付いたということは、つまりは如何に邪法であっても否定しがたい正攻法でもあるということ。
敵の心象偽界に苦しめられた過去を持つからこそ魔皇もその習得に、そしてそれを秘策の素材のひとつとすることに躍起になったのだ。
最強の槍。得られるものなら誰だって得たいはずのそれを、ゼンタは盾として持ち換えた。
持てないはずの槍を一世紀かけて無理に持ち上げてみせた魔皇と、持てないならばいらないと見向きもせずに違うものへ目を付けたゼンタと。
どちらがより「おかしい」かは、人によって受ける印象が変わるだろう――だが当事者たる魔皇は。
自分と同じ職業で、勇者の相棒で、なのにこうまでも、何もかもが違いすぎる少年に対して。
今この瞬間、初めて明確な恐怖を感じた。
「なんだ貴様は……お前はなんなんだ?! どうしてそこまで無茶苦茶なんだ、俺の理屈が何も通じない! お前なんかが本当に、俺と同じ『死霊術師』なのか!?」
「そうだ、俺がネクロマンサーだ。お前とは違う、柴善太っつーネクロマンサーだ! ようやくこの肩書きにも自覚と自信を持ててきたところだぜ!」
「……!」
堂々と、なんの臆面もなくそう答えた少年に魔皇は鼻白み、そんな魔皇を見て少年は口角を上げた。
「フェアにいこうぜ」
「何っ……?」
「俺の【偽界】はお前にゃ及ばねえようだ。効果は俺とユーキにしか現れないってこったな……ちゃんとした心象偽界とは違って相手へのデバフ効果はねえ、だがそん代わり! 他のと同じようにバフ効果はあるぜ。その能力は『今持ってるポテンシャルを最大限に引き出す』ってもんだ。お前の闇もシステム封じも完全に遮断できてんのは、この力のおかげってのもあるかもしんねーな」
「潜在能力を、最大限に引き出す能力……」
蘇ったゼンタが、そして【偽界】に守られた途端にユーキが一気に活気に溢れた理由がわかった。おそらく両者ともに、【偽界】によって発動できる強化スキルの一切合切が自動で発動されたのだ。
まだ発動されてないものがあるとすれば――。
「わかってんだろうな、魔皇。俺も、そしてユーキも。もう自由にスキルを使えるるんだ。それが何を意味するのかよぉ」
「……!」
言いながらゼンタが差し出した手を、すっとユーキが握った。
何をしようとしているかは明白。だが魔皇には手を出せなかった――今更それを阻止しようとしても無駄だと、直感的に悟っていた。
「助かるぜ。こいつばっかりはユーキの意思がねえと俺も発動できねえもんでな」
「それは私も一緒ですよ。オレゼンタさんがこうして寄り添ってくれていないと、発動できませんから」
「寄り添う、か。そりゃいい表現だな。そんじゃいっちょ互いに寄っかかり合って――最後の勝負と洒落込むか!」
「はい!」
「「――【聖魔合一】発動!!」」
「ッ……、」
突風。吹く風すら闇に消えるこの空間で巻き起こったそれに、一瞬魔皇の目は眩み、瞼を開けてみればそこには――混然一体、闇と光が複雑に入り混じってひとつとなった状態で、ゼンタとユーキが真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「またしてもか。二人でひとつの、憎らしい強化スキル。当て擦りのようなそのスキルで、また俺を不愉快にさせるか……! 小僧ッ、小娘ェ! 今度こそ俺の堪忍袋の緒は切れたぞ!!」
「はん、それはこっちのセリフだぜ魔皇。よくも俺を殺しやがったな!」
「オレゼンタさんの仇も含めて。あなたの罪過、この刀で裁き斬らせていただきます!」
「喧しいぞくたばり損ない共! いいからとっとと――死に晒せッ!!」
大量の闇を掬い上げながら、魔皇は二人に突進した。




