369.地獄からだって
「何をしてんだよ、てめーは」
「……!」
目の前で隆起した闇。が、己の腕を折らんばかりの握力で掴んでいる。
無論、闇は全て魔皇の支配下にあるものだ。魔皇が意図して動かさない限りこんなことは起こり得ない――あり得ない。
あり、得ない?
今日。この戦いで。その文言を何度頭に浮かべただろう。
起こり得ないはずのことがいったい何度起こっただろう。
いやしかし、だとしてもだ。
これはいくらなんでもあり得なさすぎる。
零れ落ちていく闇から聞こえた声。見えた顔。それを確認し、魔皇は己が偽界が反旗を翻すなどという珍事が起きたわけではないことを知った。だがそれと同様に、否、それ以上に不可解な現実を自分が目の前にしていることに気が付いた。
「俺がいねえうちにユーキに何してたんだって聞いてんだよ、魔皇……!」
「ゼンタぁ……!」
「うっらぁ!!」
「!」
殴打を受け、魔皇の手はユーキを放した。動揺も露わによろめきながら顔を上げた魔皇の目には、しっかりとその腕の中にユーキを抱えるゼンタの姿が映った。
「き、貴様――どういうことだッ! 果てて闇の底へと沈んだ貴様が、何故まだ俺の前に立っている!? なんの悪夢だこれは!?」
「地獄からだって蘇らぁな。てめーをぶん殴ってやるためならよ!」
「そんなことが認められるか、死んだなら大人しく死んだままでいろ……!」
「はっ、それをお前が俺に言うか? だって俺らはネクロマンサーだぜ。闇やら死やらとは相性ばっちりのはずだろうが」
「……っ!」
まさか、そういうことなのか。魔皇は戦慄する。
蘇りのスキル――?
同じ『死霊術師』であってもゼンタと自分とでは僅かに毛色が違う。ゼンタにできないことが自分にはできるし、自分にできないことがゼンタにはできる。
使い魔の使役もその差のひとつ。部下から聞いた話によればゼンタにはゾンビ系統の使い魔が複数いたはず。言うなればそれもまた死の冒涜であり、終わったはずの命を私欲のために利用する悍ましい行為だ。
そんなことを可能とするなら――そしてそのコンセプトをメインとしたネクロマンサーが柴ゼンタなのだとすれば、あるいは。自分自身すらも蘇らせるかもしれない。
本来なら覆らないはずのゲームオーバーを、コンテニューによって覆すスキルが、あるのかもしれない……。
「おう、大丈夫かユーキ。見たところ怪我はしてねーみてーだが」
「ユーキは平気です。オレゼンタさんこそ、体は大丈夫なんですか……?」
「見ての通りピンピンしてるさ。殺されといてこう言うのもなんだが、生まれ変わったような気分だぜ」
抱えたままのユーキと会話するゼンタの様子は、確かに普通ではない。
ゾンビ化やホロウ化しているだとか、そういうネガティブな意味ではなく。むしろその逆で、非常に活き活きしている――活力を全身に漲らせているのが傍目にもわかるほどに、力強い存在感を放っている。
本人も認める通り、一度は確かに死んでおきながら。心臓を潰され息の根を止められておきながら、何故こうも平左の顔をしているのか。
どんなスキルならこんなことが可能なのか……いやそもそも。
「スキルは封じられているはずではないか……先も、今も! 俺の『陰骨雅月』はその効力を発揮しているのだから!」
説明がつかない。仮に蘇りのスキルが実在したのだとしても。そんな、まさに百年前の自分が何より欲した力をゼンタが手にしていたのだとしても――それがスキルであるのなら。
上位者によって与えられた能力であるのなら、この偽界の中では使えない。
発動、常時、自動。どのタイプのスキルであっても使用も適用もされないはず。
この偽界の内にいる者は自分以外誰であろうとそうなる……、
――偽界の、内にいる者は。
己の思考にひっかかりを覚えた魔皇は、カッと目を見開く。それにゼンタは応えた。
「気付いたかよ魔皇。大層ご自慢らしいこの、システム封じを組み込んだ偽界。どっちも人からの貰いもんとはいえ、『一方的な能力の封印』なんつー凶悪この上ない出来に仕上げられたのはお前だからこそだろう。自慢すんのも納得の力だぜ……だがそれも完璧じゃあなかった。お前が信じているほどの絶対性は、なかった。そういうこった」
ゼンタの言葉で、魔皇はふと浮かんだその突拍子もない考えが正鵠を射たものであることを確信した。
「まさか本当に、そうなのか。適用外! システム封じが適用される範疇の外で、お前は蘇ったとでもいうのか!?」
それが、『死んだ者は偽界の外にいる』という判定になるからか、あるいはモンスターにでもならない限りは『死者が力を持つことはない』という普遍の法則がシステム封じの穴となっているからか。どちらが理由かはわからない――そしてどちらであっても結局は同じこと。
ゼンタの指摘通り、魔皇の秘策たるシステム封じは完璧ではないということ。
「罷り通るか、こんなものが穴などと……! 死んだ者までいちいち気にかけていられるものか!」
「へへっ、そら仰る通り。俺だって自力だけで戻ってこられたわけじゃねえ、そこんとこで鼻を伸ばすつもりはねえさ。だが魔皇、てめーだって受け入れなくっちゃあな。入れ込んでるシステム封じにも例外はあるってことを。そんで、この時点でもうてめーの計画の破綻も見えちまったな」
「貴、様……っ、」
「ま、俺から言わせりゃ端から破綻してんだがな……無関係の人間を当たり前みてーに殺すアホな計画なんざよ」
「ハッ、何を言うかと思えば! 世に生きる全ての命が関係していると、そう宣ったのは貴様らのほうだろうが――これは世界の話だ、無関係な人間などいるか!」
「てめーの思想とは無関係だっつってんだぜダボが! 勇者だ主役だとうるせぇがてめーこそ自分を主役だとでも思ってんだろ? 気分良く自惚れてんなよ。俺ぁ無駄に偉ぶってる奴がいっちゃん嫌ぇなんだよ!」
俺を見てみろ! とゼンタは自身を示した。
「俺がこうしてここにいることが! こうやってピンピンしてること自体が! 何よりてめーの破綻を物語ってるだろうが!? ガキ一人も倒し切れねえ! そんな野郎がどの口で世界を支配するなんざ抜かしてんだ、えぇ? 器じゃねえんだよてめーはよぉ!」
「っ……!」
ゼンタの物言い、そのあまりの侮辱に魔皇は激昂しかけ――しかしサッと思考が冷える。
そうだ確かに、破綻している。
死後に蘇りのスキルが発動したのだと仮定しても、理屈が通らない。
ゼンタがこうも活力に溢れていること……これはどう考えてもおかしい。単に蘇生が叶っただけなら、こうして偽界へと自ら舞い戻ってきたのなら。
システム封じの力は再度適用されることになるのだから。
だが、たった今食らった拳は重かった。未だにスキルをひとつも解いていない魔皇をしてもそう感じる程度には力の籠った一撃だった。そんなはずはないのに。
素のステータスのみでそこまでの力が発揮できるはずは、ないのに。
ならばゼンタは必然的に。
蘇っただけでなく、他のスキルの発動までできるようになっているというのか――!
「どういう、ことなんだ……?! 貴様は生きている、ならばシステム封じが効かない道理はないだろう。何故俺の力は未だに及ばない――貴様はいったい何をしている!?」
「何をってこともねーさ。お前も言ってたように、定石だろ? 偽界には偽界で対抗するってのが」
「……っ!?」
まさか。
これもまた何度目かわからない言葉が、魔皇の口をついて出た。
まさかこいつは、死の淵から。いやその深淵の中から、それを得て還ってきたというのか――。
「ユーキ」
「は、はい」
「偽界を使って俺のことを助けにきてくれたんだろ? ありがとうよ。お前にゃずっと助けられてばかりだな――なもんで、今度は俺が助けるとする。この新しい力でな……!」
「「……!」」
波動。うねり。圧力。なんとも言い難い独特なプレッシャーをゼンタが放つ。その感覚に覚えがあるユーキも、魔皇も、目を見張って。
「【併呑】・【偽界】発動――!」




