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367.俺がこの手で殺したのだ

 ユーキ・イチノセには心象偽界の使用をなるべく控えたい思いがあった。


 如何に才気に溢れていようと、自前の魔力(MP)を持ち合わせない彼女が展開に際し膨大な魔力を必要とする偽界を習得できた最大の要因を挙げるなら、【大器】のスキルによって肉体へと内包された紅蓮魔鉱石がその理由となる。


 無限の魔力。込め直しをしない限りはいつかは魔力切れを起こす通常の魔鉱石とは違い、世界に三つしか観測されていない――魔皇が秘匿していた分を含めれば現時点で明らかになっている総数は四だが――大いなる神秘の紅き石に限りなどない。発現する魔力量は言葉通りの無尽蔵である。


 しかしだ。先のハイエンドゴーレムとの戦いで『アンダーテイカー』のギルドロボ・フューネラルが魔力回路の不調により動作不良を起こした事例からも明らかな通り、何も出力までもが無限というわけではない。もしそうだとしたら魔力供給にロスがあったとしてもフューネラルは問題なく動けていたはず。


 恒久的に魔力を生み出すことはできても、それを瞬間的に発露させることは不可能。


 あるいは誰よりも紅蓮魔鉱石の扱い方に精通していたマリア・魔皇両名の師だという人物ならばその不可能をも可能にしてみせたかもしれないが、故人に何を期待したところでしようがない。今を生きる石の所持者にそんな使い方はできっこない。それだけが明確な事実だ。


 出力には紅蓮魔鉱石の大きさが関係している、というのがユーキが母から聞かされた見解だった。おそらくそれは正しいのだろうと彼女も考えている。


 『アンダーテイカー』が所持する石と、自分が所持する石。若干だが自分の物のほうが大きめであることと、魔力放出量の違い。このふたつに気付き、そしてそれらの差が概ね一致していることで、師から受け継いだというマリアの知識は正確だったと確信を持ったのだ。


 紅蓮魔鉱石だけで比べるならユーキはフューネラルより優れた魔力炉を持っていることになる。

 つまり、その分の無茶が利く。


 実年齢五歳の彼女が十代後半相当にまで成長して戦うという荒技も、全ては紅蓮魔鉱石あってのもの。石そのものが持つ所持者や器へ力を与えるという特性と、果てのない魔力。これらを【大器】によってふんだんに引き出すことでユーキは肉体の急成長――覚醒を果たすのだ。


 とはいえ覚醒もタダではない。【大器】スキルをより使いこなせるようになった彼女は、石との結びつきを更に強めてもいる。覚醒に使われる魔力を抑え、一応の完成に至った心象偽界を併用できるようになった。


 石が一度に出せる魔力量に限りがある以上は効率を求めなければこういったことはできない――特に心象偽界に食われる魔力の総量は馬鹿げていると表現するしかないほどなのだから。


 覚醒中はそれだけで常に魔力を消費しているユーキが、そのうえで偽界の展開ができるようになるまでどれだけの努力があったかは語るまでもない。しかしギリギリだ。紅蓮魔鉱石の出力と、覚醒+心象偽界の負担はギリギリで釣りあっている……言い換えれば余剰などはなく、余裕がない。


 石との結びつきによって覚醒だけなら余裕を持って戦えるようになった、そのアドバンテージは偽界を展開することでさっぱりなくなってしまう。


 故にユーキは、魔皇の偽界に対し自身も偽界を切った時点で様々な思惑を巡らせていた。


 【聖魔合一】の再発動が叶う前に魔皇にどちらかが倒されてしまうことがまずもって最大の懸念。

 そしてゼンタの状況如何によってはそもそも再発動自体が叶わないかもしれない。

 偽界と偽界の鬩ぎ合いもどれだけ続いてくれるかにも不安がある。

 紅蓮魔鉱石からの魔力供給が綱渡りの均衡となった今、魔皇と渡り合うことは可能か否か――気の重くなる要素は数え切れないほどあったが、それでもユーキはゼンタ救出のために魔皇の世界へ飛び込むことに躊躇などなく。


 そしてそこで、自身の様々な懸念はまったくの的外れであったことを悟った。



◇◇◇



「ようこそだ、ユーキ。貴様の墓場となり得る場所へ」


「……!?」


 四方が闇に塗り潰された暗黒の世界。その一箇所に穴が開いて。

 そこから落ちてきたユーキは、ふたつの異変に大いに戸惑った。


 ひとつはここにいるはずのゼンタの姿がどこにも見えないこと。

 もうひとつは、自分自身の異変。


 展開させたはずの偽界が、閉じた。己の意思とは無関係にだ。


 それだけではない。ゼンタと離れ離れになったことで解除された【聖魔合一】と【盟友】以外のあらゆるスキルも、勝手に切れた。更に再発動もできない――。


「うっ……!?」


 しかも、体まで縮んでしまったではないか。覚醒が解除されたのだ。身長に合わせて刀も短くなり、服装も母のお下がりの戦闘装束から元の恰好に戻ってしまった。


 これでは戦うどころではない。ゼンタを救うどころではない。この状態でもユーキは五歳児にあるまじき戦闘力を有してはいるものの、それが魔皇に通用するなどとは彼女自身露程も思っていなかった。


「な、んで?」


 自らの小さくなった手足を見て、ユーキは愕然とする。


 いったい何が起こったのか、彼女にはさっぱりわからない。


 こうならないように紅蓮魔鉱石の使い方をこれまで以上に注意しよう。つい今し方そう決めたばかりだというのに、そして綱渡りとはいえ消費と供給のバランスはまだ取れていたというのに、何故石は突然沈黙してしまったのか――。


「それが貴様の真の姿なのか? なるほど、これは五歳に違いない」


「……!」


「石をそのように使うとは面白いな。大方それもマリアの入れ知恵だろうが……ふん。俺が石と一体化していると知ったときのあの大仰な反応は、そういうわけだったか」


 魔皇の目はユーキが自分と同じように紅蓮魔鉱石と一体となっていることを見抜いている。だからこそ、彼女が偽界に入り込んでくるのを今か今かと待ち望んでもいたのだ。


「素晴らしい。石の所持者だろうと関係なく魔力を封じられるとは。ひとつの気がかりを無くせて俺は大変に満足しているぞ」


「魔力を、ふうじる――」


「そうともユーキ。未知とは恐怖だろう。そのまま怯えさせてもいいが、今の俺はすこぶる気分がいい。貴様らの無礼も忘れて教えてやろう――俺が手にした上位者かみに逆らい管理者を弑するための秘策。それこそが即ちこの、システム封じの力であることを。貴様の姿が示している通り、『灰』だろうとその手先だろうともはや俺の敵とはなり得ない。上位者が世に落としたどんな力も俺には通じなくなったのだからな!」


「っ……、」


 あまりのことにユーキは息を呑む。


 魔皇の言っていることが本当なら、もう自分たちに勝ち目などない。【聖魔合一】を復活させるどころか、この偽界に囚われている限りありとあらゆるスキルが使えない……それだけではなく、魔皇の口ぶりからするとシステムの加護も、魔法も、魔鉱石も、超常的力の一切がここでは封じられるということになる。


 偽界に侵入を果たした途端に自分がこうなってしまっているのだ。魔皇の言葉はおそらく真実。で、あるならば。


 こんな場所で、たった一人で魔皇と対峙していたはずのゼンタは。


「奴なら死んだよ。いや違うな、こうハッキリと言ってやろう。俺がこの手で殺したのだと。この闇に沈み溶け込み、とっくに肉体ごと魂も消え去ったことだろう」


「そ――んな」


 間に合わなかった。その事実にユーキはがくりと膝をつく。小さな体が余計に小さくなり、彼女の全身はほぼ足元の闇に埋もれてしまう。


「それでいい、マリアの娘よ」


「!」


 気が付けば目の前にいた魔皇に、首を掴まれ闇から引き上げられた。息が詰まる。が、この状況でもユーキは反撃する気になれなかった。


 少女の刀を握る手がだらりと垂れ下がっていることに、魔皇は機嫌よく笑った。


「俺に逆らえば誰もがそうなる。ようやく理解してくれて何よりだよ、ユーキ。利口になった褒美に詳しく教えてやろうか……ゼンタがどんな風に死んでいったのか」


「う……っ」


 うまく息が吸えずに苦しむユーキに顔を近づけて。


「貴様の母がどうやって俺に屈服したのかも」


「……っ!」


 少女の目尻に、じわりと涙が浮かび上がった。


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