364.割と必死なんだぜ
「知っての通り、奴が使う偽界はこの俺様から奪ったもんだ。奪われ際にちょちょいと細工をして、俺様の本体は俺様をここに残した。んで、その後に本体はぶっ殺されちまった」
えーっと……つまり偽界を取られる前に自分の力というか、意思の一部をその中に移していたってことでいいのか。
そんなことできるのかよって感じだが、なんせ魔族だからなあ。こいつらの生命力の強さは人間からするとちょっと理解が及ばない面がある。
俺が【併呑】で使う力にもインガの残滓みてーなもんは確かに残ってる。それのもっとすげー版を魔皇は意識的に行えたってところか……さすがは魔族の皇、奪われるにしろ殺されるにしろただじゃあやられねえってわけだな。
死んでなお残る反骨の精神は拍手もんだが……けどそうするくらいなら、そもそも偽界をくれてやらなきゃよかったんじゃねーのかね? 【併呑】は相手側の承諾がないことには力を貰えねー。殺して奪う、の前に交渉のワンプロセスが必須なんだ。
なんだって先代魔皇は、自分を負かした人間相手に偽界まで譲ってやったのか。
「娘が担保だったんだ。あいつの無事を保証する代わりに力を寄越せと現魔皇に脅されたのさ」
娘……! 魔皇には家族が、それも本来の後継者がいたのか!
「まーな。俺様にとっちゃ何より大切な一人娘だ。奴が律義に口約束を守る保証はなかったが、目に入れても痛くねぇ愛娘を助けるためとあっちゃ断れやしねえわな。まあ、結果としてあいつは殺されなかった。俺様は見せしめとして処刑台の上で人間共に見られながら死んだが、娘はそれを免れた。そういう意味じゃ偽界なんてくれてやって正解だったと言えるが」
なるほどな。そりゃ【併呑】を受け入れざるを得ない。
了承はどんな形でもいいから引き出せさえすればいいんだ。極端な話、その手段は拷問とかでもいい。痛みから逃れるために相手が力でもなんでもやるから早く殺してくれ、と心からそう願えば簒奪の用意はそれで完了する。してしまう。なんてこったって感じだ。
つっても先代魔皇に拷問が効果的とは思えねえ。痛めつけられた果てに命を落とす、その瞬間まで笑って敵に対して唾を吐いている姿がありありと想像できる。
魔皇の奴もそう思ったからこそ、アプローチを娘の方面から行ったんだろう。そしてそれは上手くハマって、魔皇は先代魔皇から心象偽界を頂戴することができたと。
奪うだけ奪っておきながら娘も手にかける、なんて暴挙にあいつが出なかったってのは感心というか、少し意外なんだが……時期的にはマリアと決別する直前か、それを決めた直後ってところだろうからな。まだマリアの目があるんで自重したか、あるいは純粋に奴の矜持が約束を守らせたのか。
そういえば「自分は嘘だけはつかない」みたいなことを俺にも言ってたな。すると案外、そこはあいつにとっての譲れない線ってのがあるのかもしれねえ。
「どういう理由にしろ娘が生き延びたのは幸いだ。魔皇軍が壊滅していたのも結果的にゃよかったかもな。下手に敗残兵が残っていたら、親分の俺が死んじまった以上はあいつに色々な形で責任が乗っちまう。担ぎ上げられてまた人間に挑みでもしたら最悪だ。そんなことになりゃせっかく拾った命を甲斐もなく散らしちまうことになる。たった一人きりで人間を避けながら生きていくのはあいつにとっちゃ辛い道だったろうがよ、親からすりゃどんなに辛くても生きててほしいってのが本音だ」
ふーむ……確かにその娘からすると、自分だけが生き延びるくらいならいっそのこと父親や配下たちと一緒に戦って死にたかったかもな。
なんたって『魔皇』の正統な後継者なんだ。普通の人間の娘みてーな感性はしてねーだろうし、この男の血を受け継いでいるとなればなおのこと。浅ましく逃げるくらいなら勇ましく散る。それを良しとする武将のような志を持っていたってなんらおかしくない。
そうじゃなくても、他に仲間の一人もいない、独りぼっちの逃亡生活ってのはなかなかにキツい。
皇の娘をやっていた頃とのギャップは人一倍の惨めさを感じさせもしただろう――だがその辛さを推し量ってなお先代魔皇は娘の生存を望んでいるし、喜んでいる。
ま、親心としちゃそれが当たり前のことだわな。
この厳つい大男も一人の親だってことだ。
「だがな、現魔皇は結局のところ約束を破るつもりでいやがる。いや、奴の認識じゃ『一度死から逃がしてやった』ことで義理はなくなってるんだろう。元から奴からすれば死んでようが生きていようがどうでもよかったんだろうが……」
魔皇からすれば先代魔皇から偽界を奪うために利用したに過ぎない。その後彼女がどうなったかなんて気にしないのは当然だ。復讐でも目論んで自分を襲いにくるならともかく、この百年間そんなこともなかったみてーだしな。
そして先代魔皇との約束の内容は、あくまで父親と一緒に処刑される未来の回避だ。その後の恒久的な安全を保証するもんじゃあない。改めて殺しなおそうとするのは論外だとは思うが、ノータッチでいるなら交わした契約の通りだろう。
なのに約束を破るつもりでいるってのは、どういうこった?
「現魔皇が作ろうとしている新しい世界ってやつぁ、ひどく狭いぜ。実現すれば娘が炙り出されるのも時間の問題だ。見つかっちまったあいつはどうなると思う?」
それは……あんまし良い光景は思い浮かばねえな。
「そうだろうよ。俺様の野望は阻止しといて自分も同じことを――いんや、それ以上にとんでもねーことをしようとしてやがるじゃねえか。生き残りの魔族まで道具にしてな。とてもじゃねえが黙って見てやる気分にゃなれねえな」
魔皇に渡した心象偽界の内側から、この先代魔皇の残滓は全てを見てきたらしい。
魔皇が何を目指してるのか、世界をどうしようとしているかを把握できている。
だから我慢ならねえと憤っているんだな。
「初めはよぉ、ちょっとした嫌がらせのつもりだったんだ。世界一の男になるっていう俺様の夢をものの見事に砕いてくれた人間への称賛も込めて、最後っ屁をしてやろうってな。奪われた俺様の偽界の被害に遭う連中にちょっとした力添えでもして現魔皇の奴を困らせてやる考えだった――が、どんどん話がおかしな方向へ進んでくもんで、遊ぶ気にもなれなくなった。今の俺様は割と必死なんだぜ、これでもな」
それはわかる。ずっと軽い口調ではあるが、真剣味があるからな。先代魔皇の残滓にはどうしてもやりたいことがあるらしい。だからこうして俺に話しかけてきている。
いったいこいつは、俺に何を望むのか。
「ああしろこうしろと身内でもねえ坊主に指図するつもりはねえよ。ここからずっと見てたんだ、俺様が何を頼むでもなくお前さんが現魔皇をどうにかしようとしてるってのはよーくわかってる。なもんでな。俺様がやりてーのは、言った通りに『力添え』さ。これまでできなかったそれがようやく叶う」
力添え。
先代魔皇が、俺に?
恨み骨髄だろう来訪者を相手に力を貸してくれるってのか?
「それで俺様が欲したこの世界を。そして世界をくれてやるつもりだった愛娘を、守れるんならな。人間だろうと来訪者だろうと俺様は喜んで協力するぜ。惜しみなくな! 現魔皇にだって色々と言い分あってのことだってのも承知しちゃいるが、だからって俺様も俺様を曲げる気はねえ。奴がなんと言おうと奴の支配する世界はクソだ。絶対に認めねえぜ」
百年前の人間たちだって、あんたに対して同じことを思ってたって言うのはナシか?
「おう蒸し返すなっての。それは置き手紙の俺様じゃなく俺様本体に言ってやれ……とっくに死んでるがな! がははは!」
とにかくだ! と先代魔皇はバチンと膝をひとつ強く打った。
「俺様の本体がやりたがってたことを今こそ実行しよう。ここに残した先代魔皇の残滓、その力を! まとめてお前さんにくれてやろうってんだ――ありがたく、そして遠慮なく持っていきなぁ!」




