360.プライドの敗北
削られたHP、与えられた痛み。差し引きで言えばマイナスはユーキにある。両者苦痛に喘ぎながらもそれは共通の認識であった――が、それはそれとして。
なんとも腹立たしい。
小僧も酷いが小娘も大概だ。目立つのはゼンタのほうだがユーキもまたちっとも予想がつかない。予想を、超えてくる。当たり前のように魔皇が培ってきた百年以上の経験則を覆してしまう。
魔皇の強さの根幹を支える柱のひとつが、役に立たないのだ。むしろこの二人に関して言えば邪魔ですらある。体に、思考に染み付いた「当然」が、普段はシームレスに戦闘を優位に働かせる強味が、今だけは逆に弱味になっていた。
もし仮に、なんの仮定にもなり得ない想定だが、魔皇が強さだけはそのままに過去に体験した幾度もの戦い。死闘の記憶を一切持たないのであれば――敵の実力を見抜く眼力や、精度の高い演算能力を育んできていなければ。
経験がまったくない真っ新な状態で二人と戦っていれば、勝負はとっくについていたのかもしれない。
そんな益体もない考えが頭をよぎる。
(相打ちになど持って行けるはずもなかっただろうが……!)
眼力は依然確かだ。彼の目が映していたユーキに、このタイミングでの反撃は絶対に不可能だった。
虚偽ではない。欺瞞ではない。図ったのではないのだ――今の今までユーキにそんなことはできなかった。
が、できるようになった。
自らの限界を脱却し、新たな殻を破った。その結果がこれだ。一方的に攻撃を浴びるしかなかったはずが、反撃を間に合わせた。痛み分けに持ち込むというあり得ないはずの結果を引き寄せた。
(虚仮にされ続けているような気分だよ――)
「――だがなァっ!」
「っ!」
痛み分け、と言っても双方が認める通り負債の割合はユーキのほうが大きい。均等に両分されているわけではないのだ。持ち直しは魔皇のほうが僅かに速く、その僅かな差が次の一手の優先度を決める重要な要素となる。
やり直しだ。再度トドメの一撃を叩き込む。それでいい。
限界を打ち破ったと言えば聞こえはいいが、ユーキのやったことは所詮ほんの一瞬寿命を延ばただけのこと――。
「させっかよ!」
「!?」
そうだ、一瞬。立て直しにかかる時間の差はたったそれだけ。ユーキが稼いだのは刹那と言ってもいいごく短い時でしかない。
だがその一瞬の差こそが、次の一手でどちらに有利をもたらすかを左右する。先んじて再攻撃に移れたのだってそのことが要因なのだから魔皇だってそれはよく理解している――だがそれにしたって。
自分を羽交い絞めにして拘束すること、でユーキへのトドメを防いだゼンタ。
その素早さには困惑しかない。
「あまりに機敏が過ぎるぞ……! このたった一瞬に貴様は!」
「仲間がやられそうになってるサマぁ見せつけられて呑気してらんねーよ。そら死に物狂いで食いつくさ。そして絶対に離さねえ……!」
「っ、」
まただ。こいつもだ。己の限界を超えた。
間に合わないはずが間に合わせた。
できないことをやってみせた。
それも限りなく根性論めいた、まったく理屈に適わない理由でそんなことを叶わせている。
「やれぇっ、ユーキ!! 俺ごとでいい、ぶっ飛ばせ!」
「!」
脇の下から差し込まれたゼンタの両腕には、魔皇の肉体を砕こうかというような力が込められている。さすがの魔皇もステータスに頼るだけではとても抜け出せないほどだ。
そこに叫ばれた少年の俺諸共の発言。敵の理不尽な成長具合に臍を噛んでいる場合ではない、早く抜け出さなくては。
そう我に返った魔皇だが、ゼンタとユーキの阿吽の呼吸、その極まり具合は嫌というぐらいに味わい済み。また一段と腹立たしいことに、それについては魔皇の予想は寸分違わず的中し。
ゼンタが叫んだ瞬間にはもう刀を閃かせていたユーキ。その迅速果断の行動力は、魔皇が拘束から脱するための猶予など毛頭たりとも与えてはくれなかった。
「【真閃】――【果斬り】!」
「「ッ…………!!」」
一文字の剣閃が空間を裂く。それによってゼンタ共々に吹っ飛ばされた魔皇は、やはりスキルのほうも少しずつだが威力が上がっていると確信する。
身のこなしや根性云々だけではない、根本的な部分での成長がある。ゼンタも同様に。
聞けばそれは【聖魔合一】の発動中のみの恩恵であり、互いの強化の循環さえ止まってしまえば彼らに打つ手はなくなるということでもあるが――。
「っグ……、!?」
地面を転がり、ようやく止まった。止まることができた。と思えば仰向けの彼に覆いかぶさる影。ゼンタだ。マウントを取られた、と魔皇が現状を理解した瞬間に。
「おっらああぁ!!」
「ガぶぁっ……!」
容赦ない下段打ちにやられた。打たれた頭が地面にめり込む。凄まじい衝撃にゼンタを乗せたまま魔皇の体が浮く。
本当に、なんという容赦のなさか。魔皇は呆れる。共に【果斬り】を食らいながら即座にこれとは、もはや馬鹿らしい。ここまで攻撃的な相手はインガ以来か……ともすればあのオニ以上に過激な殺意がこいつにはあるのかもしれない。
――続けて二撃目を振り下ろそうとしている、この小僧には……!
「あ――【暗転】ッ!」
拳の到達前にどうにかスキルを発動させる。
ほとんど消えかけている中空の闇溜まりへと魔皇は避難した。避難だ。間違いなくこのとき彼は逃げること、ただそれだけを考えてスキルを使った。【闇撃】による自爆を選ばなかったのは再三繰り返したそれがまた通じるとは考えられなかったからだ。
マウンティングの解除でフラットな状況に戻せはするが、すぐに追いついてくるであろうユーキ。そして彼女を待たずして攻め立ててくるであろうゼンタから、魔皇は逃げ出したのだ。
「ッ――……、」
ただただ屈辱だった。攻撃スキルの使用を控えてまで、地に足付けての格闘戦に臨んだのは退かぬと決めたから。確実にどちから片方は落とすと決めて自分らしからぬ戦い方を選択したというのに、その信条を自分の手で破り捨ててしまった。
位置は当然、バレているだろう。ここまで多用した【暗転】の仕組みはもはや自らの口で説明したにも等しい。そんな魔皇の考えを証明するように迷いなく地上から飛び立ったゼンタとユーキは、急上昇で彼の居場所へ向かって来る。
どちらも速い。小さなロケットふたつが打ち上げられたかのようだった。【浮雲】で飛ぶ自分よりも最高速度は彼らのほうが上か――あの飛行能力も【聖魔合一】によって得られたものだとすれば、それも然もありなん。今の魔皇には不思議とそれが納得できた。
「ふぅ…………、」
昇竜の勢いで迫る二人が自身の高度に上がってくるまでの一秒弱。
その時間で魔皇は黙考し、熟慮する。
コンディションは、あんまり良くない。というか正直に言って最悪に近い。
マリアとの再びにして今度こそ取り返しのつかない決別と戦闘を経て、大幅な弱体化を強いられた。戦地に乗り込んでみれば魔皇軍は思いの外活躍をしてくれず、マリアの娘を名乗る勇者が死霊術師を引き連れて待ち構えていた。思い返したくもない思い出に蝕まれながら戦えば、想定外の苦戦を強いられた。まるで遠ざけてきたこれまでの全てが少年と少女の形を取って襲ってきているようだ――魔皇にはそう思えてならなかった。
計画の山場。理想の世界を創るための節目でありようやくの第一歩。
それが今日という記念すべき門出の日、となるはずだったのに。
様々な要因でコンディションは落ち込むばかりだ。
レベルやスキルを片手落ちにされたこと以上に問題なのは、やはり精神状態。戦いにテンションは大事である。同じ戦力でも士気が高いか低いかでまったく戦果が変わってくるように、個人の闘争においても気持ちの高揚は非常に重要である。
そういう意味では今の自分はまったく戦い向きではない……そう結論付けざるを得ないだろう。
そこまで考えて、魔皇は。
「はーあ……仕方ない。使いたくはなかったけど現状これ以上の手はないっぽい――いや、これこそが最善の一手。そうとはわかっていてもやはり、屈辱は屈辱だが。ふん、ここは大人しくプライドの敗北を認めよう」
すぐ傍まで迫るゼンタとユーキへ温度のない瞳を向けて、彼は手の平を下にして腕を伸ばした。
「しかしそれでも、勝利は俺のものだ。心象偽界――『常夜神隠法』」




