354.てめえがくたばるまでは
例えるなら濁流。
決壊したダムから溢れ出す波濤の勢いで地表を掻っ攫った闇が行き着く先は、うずたかく積もった瓦礫の山。本館の正面部が変化したそれらにぶつかった闇はまさに津波が跳ねるように飛沫を上げ、それでもなお止まらず。根こそぎ刈り取りながら浸食していく様は恐怖の顕現と言うべきか――そしてその闇を真正面から浴びた二人は。
「!」
闇から飛び出した一対の影に魔皇は反応する。この程度でくたばりはすまい、と彼自身の予想の範疇だったこともあって【浮雲】による接近は一瞬だった。
とにかく闇の濁流から逃れようと跳び上がったのだろうが、失策だ。魔皇は笑う。先ほどまでは地上戦に付き合ってやっていたがもうそんな手加減はしない。ゼンタもユーキもどちらも殺す。そう決めたからにはやることは単純でいい。
「【夜喰の牙】と【闇撃】を発動――!」
ユーキのほうへ牙を放ち、噛み付かせ、引き離す。そしてゼンタには直接スキルを叩き込む。飛ばす方向はもちろん真上。
邪魔の入らぬ遥かなる大空である。
「ぐぅ……!」
「一対一! 遊覧飛行と洒落込もうじゃないか、小僧!」
「けっ、男二人でデートとは味気ねえな……!」
相変わらずの減らず口に魔皇は笑みをより深くする。ここまでくれば天晴れだ。その強がりごと一撃のもとに粉砕してくれよう。
「【闇撃】――なにっ!?」
身動きのできない空中。ユーキの助けもない。確実に決まる、はずだった攻撃が空振ったことで魔皇は驚く。いや外れたことよりも、ゼンタの躱し方。
今、明らかにこいつは飛んだ――、
「おっらぁ!」
「っヂ!」
【闇撃】から逃れたゼンタが身を翻し、蹴りを放ってくる。こめかみに掠らせながらもそれを避けた魔皇は確信する。この身のこなしは先の宙転蹴りとは訳が違う。身体能力だけでどうにかできる範囲を超えている――つまり。
「飛行能力を得たか……!」
「おうよ、【聖魔合一】の発動中だけな。俺がそうだってことはだぜ」
「!」
流星の如き一筋の閃光。その接近に気付いた魔皇はスキルで迎え撃とうとしたが、それよりも早くに激突の瞬間はやってきた。
「ユーキも飛べるってこった!」
「ちぃ……!」
「――【果斬り】!」
刀を受け止めはしたものの、止まらない。ユーキの突進は問答無用で魔皇を押し込む。そしてゼロ距離でのスキル発動。
「ガッ……、」
空を真一文字に切り裂いたユーキの斬撃。その威力を余すところなく食らった魔皇はガードを乗り越えて入るダメージに呻き、即座に身体を反転。
「待てぃ!」
「うっ、」
ネックハンギング。飢えた獣を彷彿とさせる瞬発力によって、離脱を図ろうとしたユーキの首を掴み、振り回す。その膂力にユーキは抗えなかった。
「【闇撃】・【暗転】!」
闇の爆発。を受けたと同時にユーキは地面に叩きつけられていた。
「がッぐ……っ、」
ドゴッ、とクレーターを生じさせながらユーキは困惑する。自分はいつの間にあれほどの上空からここまで落とされたのか。その謎は離れた位置から一部始終を見ていたゼンタが解いた。
「【暗転】――? ワープのスキルか! ちっ、面倒だな」
闇に溶けるようにユーキの姿が消えたかと思えば、地表で倒れている。おそらく闇から闇への瞬間移動。を、攻撃のために利用したのだ。
こんな真似ができるとなれば今後は挟撃も楽ではない。敵だけでなく魔皇は自らも【暗転】の恩恵に与れるに違いないのだから。
「【深え――」
「させっかよ!」
発動に際し制限や条件はないのか、またしてもその全身から闇を溢れさせようとする魔皇へゼンタは突っ込んだ。そうさせることが魔皇の狙い。ユーキとの合流を優先せずに単身攻め込ませるためにわざとこれ見よがしにスキルを使おうとしてみせたのだということくらいは、ゼンタにもわかっている。
だが【暗転】は空間に闇が満ちれば満ちるほどその効力を増し、魔皇を有利にさせる。
魔皇の意思ひとつで三者の位置が入れ替わるようになってしまえばもはや手の打ちようがない。
そうさせないためにはたとえ誘いとわかっていても乗らざるを得なかった。
「ふんっ!」
「がっはぁ!」
案の定殴打を弾かれ、返しで一発を腹に受けてしまう。が、元よりそれを覚悟して懐へ入ったのだ。
来るとわかっていれば魔皇の攻撃でも一発くらい耐えることはわけない。さっきまでならともかく、今のゼンタは特別製だ。
「よぅし、これで捕まえたぜ……!」
「!」
魔皇の腕を両手で掴む。そして【接触】を発動。手に乗せた【呪火】と【黒雷】共々魔皇へ擦り込ませるが、やはりどれも効果は芳しくない。
しかしスキルのほうはともかくとして、絶対に離すものかという強い決意のこもったゼンタの手を引き剥がすことは魔皇にとっても容易ではないようだった。
「ちぃっ――【暗転】を発動」
構わず追撃を行なうことも考えたが、そうするには些かゼンタが不気味に過ぎた。何か秘策がある。それを実行するために掴まえているのだ、とその目が雄弁に訴えていた。
果たしてそれが自分に効果を発揮するかどうかは定かではないが、ここまでゼンタに関しては尽く予想を外してしまっている負の実績がある。念のためを考えて魔皇は大事を取り、転移で逃れることを選んだ。
逃走先は地上。【暗転】で移れる闇が留まっているのがそこしかないのだから自然とそうなった――。
「【真閃】・【唯斬り】!」
「ヅうっ……!?」
転移完了とまったく同時に襲ってきた剣撃に魔皇は顔を歪める。完全に見越され、待ち構えられていた。合流するには今一度空へと上がらねばならないというのに、それすらせずにユーキはここで刀を構えていたのだ。
下を見るともなくユーキの作戦を汲み取ったゼンタは、あえて魔皇に【暗転】を使わせた。秘策が本当にあったのかはともかくとして、一連の流れは全て計算されたもの――まんまとその通りに躍ってしまった。それを悟った魔皇は自身の血液温度の上昇を感じ取った。
それは戦意の沸騰。
「小娘がぁ! 【憤激】を発動!」
「【流し切り】!」
爪の形状を取った闇を力いっぱいに振り下ろす。底が見通せないほどの大穴が地面に空いたが、ユーキはそれだけの威力を刀一本で受け流していた。そしてそのまま魔皇へ刀身をぶつけ――。
「舐めるなよ!」
「!」
られず。
ユーキの手応えとしては完璧なタイミングでの斬り込みだったのだが、魔皇はそれを防いでみせた。【深淵】と【闇纏い】によって強化された『無窮の鎖』が左腕に包帯のように巻き付いている。
これに刀を阻まれたのだ、とユーキが理解したときには既に魔皇の反撃のスキルが発動するところだった。
「【闇撃】――ッガァ!?」
「!」
明後日の方向に放たれる闇の爆発。そのおかげでユーキは爆破範囲から出ることができた。そうでなければとても避け切れはしなかっただろう。
この距離で何故魔皇が攻撃を外したかと言えば、それは勿論。
「またか小僧ォ……! 何度俺の邪魔をすれば気が済む!?」
「どんだけ邪魔したって気なんか済まねーわアホンダラが。てめえがくたばるまではなぁ!」
下降してきたゼンタの文字通りの飛び蹴りが魔皇の横っ面をはたいたのだ。あらぬ方を向いた己の首を戻した魔皇の形相は、もはや人のそれではなかった。
「カァアッ!」
「うごっ、」
激情に任せた一足飛び。瞬間的に間を詰めてゼンタを殴り飛ばした魔皇は即座に【暗転】を使用。吹っ飛ぶゼンタの移動先へと先回りし、その背中へ回し蹴りを叩き込んだ。
「ふん――、そこだな!」
「!?」
魔皇は蹴り飛ばしたゼンタを見送ろうとはせず、己が真横へと鎖を巻きつけた腕を振り抜く。
隙を窺ったつもりで駆けた矢先に攻撃されたユーキは、出鼻をくじかれた気分になりながらも刀でそれを受け……すぐに後悔した。
――とても受け切れない!
「がっ……!」
防御もなんのと振り抜かれた魔皇の裏拳がユーキを体ごと弾く。地を転がった少女は急ぎ起き上がったが、魔皇の姿が見当たらない。
辺りを取り囲む闇に身を眩ませたか。
「【凌雲】・【無間斬り】!」
そう考えたユーキは迅速に自分の周囲だけでも闇を切り払うことにした。これには視界を確保するだけでなく【暗転】による強襲を事前に防ぐ意味合いもあった――が、しかし。
「っ!」
自分の影に、別の影が覆いかぶさっている。
それに気が付いたことでユーキは内心で舌を打った。




