340.俺こそが『魔皇』だ
「何をしようとしているんですか?」
「……!」
鉄槌の柄を我知らず握り込んでいたことを見咎められ、クララは渋面を作る。次にモニカが何を言うかは大体予想できた。
「考えなしに飛び込んでは先の二の舞ですよ。ようやく傷が塞がったところだというのに」
「ああ、丁寧に治癒をかけてくれてありがとよ。請求はあとで教会のほうに頼むよ」
「そんな冗談を言っている場合では――、」
注意しかけたモニカが口を噤む。存外にクララが冷静であると気が付いたのだ。
彼女のことだから即座のリベンジに挑みたがると思っていた。実際、柄を握るその手に並々ならぬ力が込められていることは確かだ。けれどそれはもしかしたら、今にも魔皇へ飛びかからんとする己が肉体を抑えつけるための自制の証なのかもしれない。
「なんだ、まだ様子見しとくって感じ?」
「! えらく強い嬢ちゃんか。無事だったんだね」
いつの間にか傍へ身を隠しながら近づいてきていた少女は「『葬儀屋』のアップルだ」と手短に名乗った。
「『ヒール』のおかげでどうにかね。そっちのお仲間もサラが治療してるところだけど……正直あの二人が戦うのはちょっと厳しいかな」
『ヒール』は傷や病を癒す人々が憧れてやまない奇跡のひとつだが、なんの制約もないわけではない。なんでもは元通りにできないのだ――たとえ『ヒール』が効力を発揮したとしても、戦うための体力まで取り戻せるかは別問題である。
魔皇のスキルによる攻撃を浴びたのは一緒でも、盾を構えていたサラとその後ろにいたアップルのダメージはルチア、カロリーナ両名よりも少なく済んだ。その差がこうして継戦能力に表れている。
最も先行していただけに最も重傷を負ったクララがこうして平気でいられるのは、単に鍛え方の違いである。
「そうかい、だが命があっただけめっけもんと喜ぶべきだね――で、あんたとサラはまだ戦る気があると?」
「当然。だからこうしていつ仕掛けるか確かめにきたのさ」
アップルとしてはアーバンパレスの団長が魔皇へ斬りかかるタイミングで自分たちも攻撃を行なうのがベストのように思えた。しかし二人の会話からすると、その作戦は議論するまでもなく廃案となっているらしいことが窺えた。
「なぜ? そりゃあ私たちがどこまで魔皇に通用するかっていうと怪しいもんではあるけど、何もしないよりはいいはずじゃないか。少しでも、一瞬だけでも団長さんの助けになれるならそれに越したことはない、そうじゃないの?」
鎧袖一触とばかりに蹴散らされたばかりのアップルだ。現状魔皇に対抗するための主軸を担えるのはたった一人。マクシミリオンにしかその役目が期待できないことはよくわかっている。
だからこそ骨身を砕くことになったとしても、命を散らすことになったとしてもここは彼を援護すべきだ――そう結論付けたアップルだったが、聖女マリアを失った今、マクシミリオンこそが人類側の切り札であることに異論のない大シスターたちの見解は着地点のみが少女とは少々異なっていた。
「助けになれればいいのですけどね」
「そうだね。モニカはともかく今の私じゃ援護どころか足手纏いになりかねない――何せ、滅多なことでは剣を抜かないあの男がああも剣気と殺気を募らせているくらいだ。玉砕覚悟だろうがのこのこと無闇に出ていっちゃ単に邪魔するだけになっちまうよ」
「……!」
アーバンパレスという世界で最も有名なギルドの、初代にして現役のギルド長。世間からの知名度では政府長ローネン・イリオスティアにも劣らぬという時代の寵児にして代表者でもある男、それがマクシミリオン・カイザス。
そんな男の実力が極めて高次にあることはアップルとて想像がついていたし、実物は想像くらい軽く超えてくるだろうとも思っていた。が、しかし。
ゴーレムたちを相手に生ける嵐かと見紛うほど暴れに暴れていたこの大シスタークララが、自分を足手纏いなどと述べること。そんなある意味でこれ以上ないほどの太鼓判を押したとなれば、あの男の強さとはそもそもアップルの想像力が及ぶところにはないらしい。
それがようやく理解できた。
「打って出るにしてもその契機は慎重に見極めないとかえってあいつの首を絞めちまう。だからまあ、まずは見てな。聖女様も認めたカイザスって男が剣を振るうとき、そこには奇跡以上の奇跡が起こると言われているんだ――」
◇◇◇
「問い直しに、答え直そう。――俺こそが『魔皇』だ」
「…………」
堂々と。誰憚ることもないという面持ちで魔皇はそう答えた。その返事はマクシミリオンが想定した通りのものであり……望んだ通りのものだった。
「そうか、ならばこちらも遠慮はしない。この剣で貴様を斬り伏せてくれよう」
「面白い」
「面白い、だと――?」
「そうとも。……手ずから集めた自慢の部下たちでもエンタシスが出張ってくれば苦戦を強いられていた。その親玉がこうして俺の前に、殺意も剥き出しに立っている。これを面白がらずにいられるか?」
「……、」
「エンタシスを遥かに上回るというお前の強さ、この魔皇へ存分に見せてみ――」
ろ、と魔皇が言い終わらぬ内にマクシミリオンは動き出していた。
八双に近い構えのまま前へ。その踏み込みには格闘戦を得意とするジョン・シャッフルズやメイル・ストーンですら見逃してしまうような驚異的な速さがあった。
「ふん、【孤高】は継続発動中だ。【憤激】を発動」
だが魔皇からすればそんなものは驚異でもなければ脅威でもない。余裕を持って対処する。大シスター含む五人組を一撃で沈めた先のスキルによって、接近してくるマクシミリオンに先んじて攻撃した。
「しっ――」
「!」
迫る闇。暴力的なうねりを伴って襲い掛かってくるそれにマクシミリオンは迷いなく刃を振るった。
袈裟懸けの軌跡で振り下ろされた彼の剣は――斬れるはずのない闇を、両断。霧散させてその勢いを威力ごと完全に葬りさった。
これには魔皇も大きく目を見開いた。こんなことが可能なのはそれこそ聖女マリアくらいのものだ。そう思っていただけに、彼女にしかできないはずのことをやってのけた男を前に驚愕を隠せない。
その一瞬の硬直で、マクシミリオンは魔皇を射程内に納める。
「聖女様より賜ったこの技こそが、貴様を屠るに何より相応しい!」
「なにっ……!?」
「食らうがいい魔皇よ――そして闇へ還れ! 『断罪剣』!!」
「っ!!」
それは、その技の名は。
かつての仲間の一人とマリアとの、合体攻撃の名。
魔族に対してのみの特効という狭いだけに強力な効果を持つそれは、数々の魔族の力を【併呑】により取り込んできた今の魔皇に対しても非常に有効なものであり。
そして当時の彼とマリアとの仲睦まじい様を強制的に思い起こさせられたことで魔皇には更なる隙が生じた。
苦々しい記憶と共に、剣が振り抜かれる。
「づゥッ……!」
「まだか!」
手応えあり。しかし足りていない、と倒れぬ魔皇を見てマクシミリオンは返しの刃を振るおうとする。『断罪剣』は連続攻撃が可能。このまま魔皇が力尽きるまで滅多打ちにしてくれよう――そう気勢を込めて放った二撃目を。
「!? なんだと――、」
「やってくれるな、マリアめ。どこまでも残酷な女だ……それに自覚がないのだから尚、質が悪い」
「っ、魔皇……!」
受け止め、握られた刃が、魔皇の片手から離れない。マクシミリオンが全力を込めてもビクともしない――それ即ち、彼と魔皇とでは子供と大人ほどに腕力に差があるということの証明。
だがそれ以上にマクシミリオンを戦慄させたのは、特効を持つはずの『断罪剣』を易々とその手で止めてみせたこと。
そんな真似を許させてしまうほど自分は弱く……魔皇は強い。そのことに彼は焦燥を抱いた。
聖女より教えを請うたこの技以上に魔皇の討伐に適したものはない。
要するに。
それがこうも容易く攻略されてしまった以上、もはや有効と呼べる手立ては皆無であった。
「っ、はぁああああっぁあ!!」
それでも折れるわけにはいかない。己が敗北は人類の敗北に等しい。
ここで負けを認めてしまっては誰が魔皇を止めるのか――義務と責任。重圧となるはずのそれらに背中を支えられている気分でマクシミリオンは全力以上の力を体から引き出した。
けれども。
「やかましいぞ。【闇撃】を発動」
「うぐっ……!?」
至近距離から放たれた魔皇の一撃によって、剣諸共に腕を叩き折られてしまった。




