336.明日にも首を斬り落とされる
戦っている者の皆が背筋を震わせた時から間を置かず。
空のある一点から急速に広がっていったそれは、その一瞬だけを切り取ればまるで地上へ近づき過ぎた太陽のようだった。
無属性魔法に酷似した純粋な破壊の力。されど闇属性への適性が高ければ高いほどに強力さを増すその攻撃スキルの名は【純破壊】。
それをカンスト来訪者であり『死霊術師』である魔皇が放てばどうなるか。
結果は、戦場にありありと表れていた。
破壊の限りを尽くされた死屍累々のその光景によって。
「ちっ」
だが魔皇は大いにご不満のようだった。
自身の艦隊ごと敵の船を墜とし。
自身の兵隊ごと冒険者たちを倒し。
ようやく完成させた大兵器ごとよくわからないロボと肉の巨人を沈めた。
これだけの惨劇をたった一度のスキル発動で作り上げておきながら、しかし彼は満足感とは遠く無縁でいる。
「衰えも衰えたり……威力もそうだけど、特に範囲がゴミになった。地上には余波しか届いていないじゃないか、まったく」
適性さえあれば後は使用者のステータスの高低が威力・範囲を決定するのだから、高ければ高いほど良いことは言うまでもない。
そしてレベルが上がれば上がるほどステータスの伸びも飛躍する――つまりはカンストしているうえにボーナスレベルまで得ている魔皇の【純破壊】は、他の闇に連なる職業を持つ来訪者でも遠く及ぼないだけの圧倒的な力を持っていたのだ。
少々出が遅いこと、使える回数が限られていること、他のスキルによる「威力」の上乗せが一切できないこと。
不便な点はそれなりにあるものの魔皇からすると非常に好ましいスキルだった。何せ、他者にとっては最大の欠点となり得る無差別という特性に彼は微塵も疎ましさを感じていないからだ。
しかし、魔皇の愛したスキルは此度期待に応えてくれなかった。信頼に相応しいだけの威力を発揮してくれなかったその訳は――。
「やってくれたね、暴君のマリアめ。ボーナスレベルの大半を持っていかれるとは流石に予想外だった。おかげでこの弱体化だよ……ふん。まあ、あいつの最後の置き土産とでも思っておくかな」
傷痕を勲章と見做すありふれた戦士のような考え方をする自分に軽く笑う。やはりどうも、マリアが絡むとセンチな感情を抑えられない。そのせいで先の戦いにおいて何度も判断ミスをしてしまったが……けれど最終的に勝ったのは自分なのだから良しとしよう。
最後の最後に手痛いしっぺ返しを食らいはしたものの、魔皇未だ健在。聖女の動向を知る者たちはたった今、この一撃で以ってそれを痛感したことだろう。
「とはいえけっこうな数が生き残っているのか。死にかけだろうと許し難い……というより度し難い」
スキルの不調も勿論のことだが、そもそもだ。
自分が到着するまでにこんなにも生き残っていたことがまず論外だ。
全滅とはいかなくてもその手前にまでは追い込めているものだろうと信じていただけに、むしろ全滅の兆しを見せ始めていた己が部隊を目撃し魔皇は激しく苛立った。
敵の数が想定の十倍はいる。
空飛ぶ船や妙なロボットなど、まるでこちらの戦力を見越したようなユニットまで用意されている。
これらは魔皇が立てた侵攻戦の戦況予測からするとあまりにイレギュラーである。落ち着いて考えてみれば部隊が攻めきれないのも無理からぬことだ――なので気になるのはこの事態を招いた要因、いやさ要員は誰かということ。
「マリアの入れ知恵、だけじゃこうはならないな。魔皇軍や『灰』の動きを読んだ何者かがやったのは間違いない……おそらくは今期の来訪者だろうけど、なかなかに鬱陶しい」
今回やって来た連中の総数がやたらと多いことも魔皇は存じている。そのうちの何名が気付き、どちら側に所属しているのかは知らないが、それを明らかにしていくのは今ではなくもう少し先のことだ。伏せられた札を一枚一枚めくっていく作業は明日からでいい。
ともかくこうして、味方ごとではあるが敵の戦力はほぼ壊滅させたのだ。
抵抗する側の戦況予測も崩れたことだろう――見えていたはずの勝利のヴィジョン諸共、粉々に。
「やれやれだね。シガラに造らせた艦隊はともかく、手ずから生み出したマスターピースゴーレム。そして究極兵器とまで呼んでやったハイエンドゴーレムまでもこの手で壊すことになるとは思いもしなかった……」
雑兵としてとにかく大量に作成しただけの『マスターピース』のほうはともかく、かつての心強き味方だった大兵器を再現した『ハイエンド』に関しては本当に惜しい気持ちだった。
しかし敷地の入り口で食い止められ、戦果も挙げられずという体たらくを目撃してしまえば破壊するのになんら躊躇などなかった。魔皇が求めたのはただ大きいだけのゴーレムでは決してないのだから。
初めて本格稼働させ、初めての実戦投入を経て。
ようやくハイエンドゴーレムが失敗作であることが判明した――故の廃棄処分。
この処置はただそれだけのことでしかない。
「重々承知していたことのはずだけど、いやはや。師とはここまで偉大な存在なのか。長く研鑽を積んで尚劣化コピーすら出来上がらないとはね。出力の面では確実に同数なんだけどな……いや。これだけ時間をかけて、同じ石まで用いてもこの出来なんだ。もはやあの人に紅蓮魔鉱石の扱いで並び立てるなどとは思わないほうがいいのかもしれない」
こんなものでは来訪者と対を為すもうひとつのシステムの使役者――管理者である『灰の者たち』に対抗する武器とは、到底なり得ない。ならばもはや用をなさない外側などどうでもいい。中身であるガロッサの紅蓮魔鉱石だけを回収すれば、残るのは正真正銘の粗大ゴミだけである。
「うん……?」
無事なことはわかっているが念のためリンクを辿り、ハイエンドゴーレムの内部にある石の所在を確かめたところ、それと近しい気配を非常に近い距離から感じた。
――あのロボットだ。如何にも日曜の朝に子供を夢中にさせていそうなデザインの戦場において激しく浮いているアレである。あそこにどうやら、魔皇が所持する物とは別の石がある。
「なるほどね、『アンダーテイカー』。インガがやたらと拘っていた来訪者のギルドか。やっぱり邪魔をしてくれるな、今の時代の来訪者たちめ」
数々の予定を狂わせてきたのも、ハイエンドゴーレムを食い止めたのも、そして先ほど死亡を感知したインガ……彼女を倒したのも、きっと。
全ては『アンダーテイカー』、引いてはそのリーダーであるゼンタとかいう小僧の仕業なのだろう。
「――偽善を振り翳す蒙昧が。百年前を知らぬ、昨日今日この世界へやってきた新参の身で世を正しく導かんとする俺を悪と断じ、醜く目障りに足掻くことを正義の裁きなどと勘違っているのだろう……愚物ここに極まれり。愚かとしか言いようのないガキどもだ」
今はいい。邪悪な魔族対清廉な人類という構図の、今だけは。
しかし仮に一致団結して魔皇軍を退けたその先。その未来で何が起こるかを、彼らは理解できているのか。
神のシナリオ通りに手にした勝利の剣は、次に自分の喉を掻き切る凶器となることが果たしてわかっているのかどうか。
否。それがわかっているならこんな馬鹿げた真似はすまい。
結局のところ、見えていないのだ。『灰』の存在を、そしてその上に本当の意味で戴く『上位者』というものを知識だけで知ってはいても、実感がない。この世界という舞台がどれだけ歪で、舞台に立たされている人類がどれだけ危うい状態でいるか。
明日にも首を斬り落とされる家畜に同じ。
そして人類は自覚なく頭を垂れ、斬られるその時をただ待っている。
防がなくてはならない。ただ人類を存続させるだけではダメなのだ。百年前にやったそれも結局は無為な延命に過ぎず、神は破綻をリセットで帳消しにしようとしている。
人類の総数と文化の退行。あるいは完全なる絶滅。
そのどちらかによって世界はまた新しい歴史を歩き始める――消えた命や種族のことなど、なんの記録にも誰の記憶にも残らずに。
そうやって消滅していった名もなき者たちが、残らなかった歴史上にどれほどいるのか。それだけは魔皇にも推察のしようがなかったが。
「マリアが、俺たちが守った世の全てを。魔族のようにこれまで消されてきたあらゆる有象の仲間入りをさせてやるわけにはいかない――だからこそ」
降下を開始する。ハイエンドゴーレムだけでなくロボットからも紅蓮魔鉱石を奪うべく地上を目指した魔皇は。
「っ!」
目標を間近としたところで素早く身を捻り、頭部目掛けて飛来してきた謎の物体を躱した。




