315.救出に参りました
「あら……これは」
「……!」
聖女マリアより言伝のあった秘密の避難路。魔皇軍の大規模襲撃というこの未曽有の事態に、政府長や王位五指御老公はまず間違いなくそれを利用して脱出を図るはず。
護衛を伴えているかすら定かではない彼らを救出すべくクララ率いるシスターの本隊と別れて避難路へとやってきたモニカ一行だが、そこで彼女たちは戸惑いを見せた。
誰も、いない。避難路の最終地点である場所。無事であるなら政府長を含め要人たちはここに介していなければならない――彼女たちは教会本部からここまで最短の経路で来た。
敵の戦力過多、そして追走が目されるこの状況となれば避難先として選ばれるのはほぼ確実に教会であり、政府長らとモニカ一行は逆順で同じ道を辿る。ならばその途中で自然と合流できるはずなのだ。
しかしここまでの道すがらそんなことは起こらなかった。そしてこの場所にも彼らの姿はない。
これを遅すぎたと取るか、早すぎたと取るか。答えは明白であった。
誰の姿はないが、痕跡だけはあるのだ。
それもつい先ほど付いたばかりと見られる生々しい戦闘痕が。
モニカの愛弟子、ペトカは要人たちの行く末を推理した。
現在の彼らが教会を目指していない、または目指すことができない状況にいること。そしてここで戦闘が行われたばかりであること。
これらから考えられるのはふたつ。護衛がやられ、追手の者によって要人らは連れ去られた。もしくは護衛が一時は敵を退けたものの、なんらかの事情によって設定されている避難先を応変しなければならなくなった……その場合は追手が健在である可能性も著しく高い。
どちらにしてもマズい。
最悪とその一歩手前のようなものだ。
更に言えばどちらにしてももうひとつの二者択一が生まれてしまうこともよろしくない。
護衛に連れられているにしても追手にかどわかされたにしろ、この避難路を出たのか戻ったのか。即ち本館及び政府本部の敷地内にいるのか、それとも外か。
これもまた後者であるなら捜索の難度が一気に上がる。
探す側としては冗談ではないが差し迫った状況であれば護衛は迷いなくそうするだろう――そして追手側にしても攫うのならさっさと外部へ連れ出してしまったほうが安全だ。
とまれ、本館へと引き返した可能性も否めない。そちらも視野に入れて捜索を続けるならここでまた部隊を分ける必要があるだろう……そして一方を引き続きモニカが率いるなら、もう一方を率いるのは自分の役目だ。
「モニカ様、私に三人ほどつけていただけますか。本館の探索はお任せください」
「…………」
「モニカ、様?」
他のシスターたちがまだ困惑から抜け出せていない中、一瞬で思考を纏めたペトカは師である大シスターの一人へそう進言したのだが……彼女は同意を返してはくれず、むしろその背中へ近づこうとしたペトカを手で制する。
こちらを向いてくれないモニカの瞳がじっと見つめているのは何か。自分と同じく戦闘痕から政府長らの居場所について予測を立てているのだとばかり思っていたが、どうやらそうではないことにこのときペトカは気が付いた。
彼女が見ているのはもっと具体的なものであると。
「偽界が開かれているわ」
「……!?」
「様子を確かめてみるからあなたたちは下がっていて。十分経っても私が戻ってこなかったら、ペトカ。あなたが皆を連れてクララのところへ」
「モニカ様――」
ごくり、と喉を鳴らすペトカ。
心象偽界。世界を上書きする究極の魔法。ペトカには判じようもないが、今ここにはもうひとつ目に見えない世界が重なっているようだ。
あらゆる意味において偽界に通じるのは偽界の使い手のみ。
教会の人材がいくら豊富だと言っても習得者はごく限られる。
具体的に名を挙げるなら聖女マリアと、未完成ではあるがその愛娘ユーキ。例外的存在である彼女たちを除けばシスターで唯一の偽界使いが、このモニカであった。
要人救出という任務の重要性と危険性から、いざとなれば心象偽界の使用に踏み切れる彼女がそれに就いた。大シスター三名による協議が導いた結論は的確だったと言えよう。もしこの場所を訪れたのがクララやエレナであれば、いくら彼女たちが人並み外れた実力者であったとしても偽界の展開を感知できなかったのだから。
いや、あの二人ともなれば本来感じられないはずの違和すらも察知してしまいかねないが……そうだとしてもここまでスムーズに話は進まず、また行動に移すことも不可能だったのは確かだ。
彼女たちでは展開された他者の偽界へ侵入するという手段が取れない――モニカにはそれができる。
当然、リスクもある。偽界へ飛び込むのは自ら魔獣の口へ首を差し出すようなもの。同じ使い手同士だとしても、否、だからこそ相性によって呆気なくモニカが敗北してしまうことだって大いに考えられるのだ。
ここでネックとなるのが偽界を開いたのが何者かということ。
クララほど付き合いが深いわけではなかったが、モニカは知っている。アーバンパレスの最高戦力である特級構成員と称される彼らのうち、誰が偽界使いであるかを。その内部事情から判断するに。
偽界を開いているのは魔皇軍の者――そう推察するのが妥当である。
で、あるのなら。偽界内に要人たちも閉じ込められていると見做すべきだろう。そうしない理由が追手側にはない。
故にリスクを承知の上でモニカは正体不明の偽界へ挑まねばならなかった。
「心象偽か――、!?」
だというのに術の発動を中断したのは、それを余儀なくされたからだ。入ろうとした途端にその偽界が解除されてしまったからにはそうする他ない。
目の前に現れた光景にはペトカを始めとするシスターたちだけでなく、彼女らを引率する立場のモニモもまた一層の困惑を隠せなかった。
石で出来ていると思しき縄で手足や口を縛られているレヴィ。
肩から胸にかけて深手を負って大量の血を流しているメイル。
そして奇怪なる宙に躍る謎の黒い靄――それがなんと言葉を発した。
「ちっくしょうがぁ……! 今んとこは引いてやる、だが覚えておけよエンタシス! この借りは必ず返してやるよ!」
そんな負け惜しみのような声が遠ざかっていく。理解に苦しむモニカたちに見向き(?)もせず黒靄は本館のほうへ去った。
傷付いているメイルはほとんど反射的にそれを追いかけようとしたが、その足がふらつく。追走が叶うコンディションでないことは誰の目にも明らかだ。
「メイル・ストーン様。動かないほうが」
「お前は……」
自らの肩を支えたモニカに胡乱気な瞳を向けるメイル。その視線に彼女はしかと頷き。
「教会員のモニカ。モニカ・ルペッチオと申します。政府長様とやんごとなき御方様方を救出に参りました」
「存じているよ、大シスター。誰からこの脱出経路のことを聞いたのかと――……そうか、そういうことか……」
あるとすれば聖女以外にはいまい。先代、先々代の政府長とも懇意であったという彼女だ。護衛役にしか周知されていないはずの秘密の通路のことを知っていたとておかしくはない。
問うまでもなく正しい答えに行き着き納得するメイル。それなら今度はモニカのほうが問いかける番だった。確かめたいことは山ほどある。
「ここで何があったのか、説明をお願いしても?」
ちらりと拘束されて身動きが取れないでいるレヴィのほうへ目をやりながらそう訊ねた。それに対しメイルは極めて簡潔明瞭に返した。
「ああ……、たった今逃げていったのは魔皇軍幹部。逢魔四天のナゴリを名乗る影使いだ。そして、そこにいるのはアーバンパレス一級構成員レヴィ・マーシャル。魔皇軍の所属でこそないようだが、共謀の疑いがある。よって拘束した」
「魔皇軍と共謀……!?」
「そうだ。……政府長ローネン・イリオスティアも同じくな」
「なっ――、」
衝撃の事実。
そうとしか言いようのないメイルの言葉に、モニカは絶句した。




