304.システム封じ
「くぅ、っ……、」
インガはまだ立ち上がろうとしている。
が、どうしてもそれができない。
体のどこにも力が入ってねえってのが見てるだけでわかる……鬼と言えどもさすがにこれじゃあどうしようもない。戦えやしない。
戦いは、終わったんだ。
「俺の……勝ち、みてえだな……」
「……!」
横たわったままこちらに顔を向けるインガ。その視線に真っ直ぐ応える。
俺の足元も愉快なくれえにフラッフラなもんで、本音を言えば今すぐぶっ倒れて眠っちまいたいところなんだが……勝った側がそれじゃあ恰好つかねえ。最後の最後まで意地くらいは張り通さなきゃあな。
このときにようやくHPの残りを見てみたが、ゾッとしたね。もうミリもねえ。バーが雀の涙ぶんすら残ってねえじゃねえか。
こりゃあと一発でも貰ってたら、あるいは最後の打ち合いでもう少しでも押し負けてたら、俺のほうが負けてたな……。
んで、死んでた。
そんだけギリギリの勝利だったってわけだ。
「ん……?」
辛勝もいいとこで、勝ったにしたって俺もくたばりかけなんでヘロヘロなのは当然のことだが。
にしても、あまりにキツい。
ただ全身が痛むってだけじゃなく妙に怠いんだ。今までにないほど体を酷使した勝負だったんで倦怠感がとんでもねえことになってんのか――と思いきやその原因はもっと直接的なもんだった。
「んだと……。これは、俺の血なのか……!?」
インガからの返り血で汚れてるんだと思ってた。実際あいつの血反吐や裂けた拳から撒き散らされた血液で俺はびしょびしょになっている、が。
俺自身の口元から垂れる血。
打撲で抉れるほど擦り切れた肌。
確実に折れまくっているあちらこちらの骨。
そして何より一張羅の革ジャケットが、もう跡形もねえこと。
インガの血でも隠せねえほどに全身ボロボロだ。中身だけじゃなく外見までも。――それは本来なら絶対にあり得ないこと。来訪者には起こり得ないことのはずだった。
「傷つかないはずの来訪者の肉体に、傷を! 壊せねえはずの来訪者の装備を壊しやがったってのか……!」
来訪者が着込むとどこにでもあるただの服でも装備品となって、肉体の一部という扱いを受ける。
すると来訪者の体は傷付かないという上位者の定めたルールによって衣服もまた、決して切れず燃えずくたびれずのマジカル衣装になる。
ここでややこしいのはスキルで生み出された装備品は同じ来訪者の道具であってもまた扱いが別って点だが、まあそこはとにかくだ。
俺の革ジャンはそのルールによって今までどんな戦いにも耐えてこられた。
こちらの世界の敵はもちろん、来訪者同士であっても覆せないルール。
いわゆる神のシステムとやらの力で守られてきたからだ。
なのに。絶対であるはずのシステムがどうしてかインガとの戦いには適用されなかったようだ。
――いや、違え。適用自体はされてただろ。初っ端から俺はインガの拳を貰いまくってたし、途中からは火の拳で滅多打ちにされもした。
システムが最初から働くのを放棄してたってんならあの時点で俺ぁ素っ裸になってなきゃおかしい。
つまり、途中からだ。装備品不壊のルールが取っ払われたのは勝負の途中からで。おそらくそれと同時に来訪者不壊のルールも消失したものだと考えられる。
「…………、」
無我夢中で戦ってたんで戦闘の経緯を思い返すのは難儀ではあるが、被害が上半身にばかり集中してる点。そしてボロになっちゃいるがまだしも無事なズボンに焦げ跡すら見えねえ点。
それらから察するにどのタイミングだったかは振り返らずとも大方見当がつくぜ。
少しも燃えてねえってこたぁインガが焔摩拳を引っ込めたあとだっていうこと。傷が革ジャンや上半身に集まってるのはそこばかりを狙われて打たれた証拠――つまりはどちらもがインガの心象偽界。
『陰骨雅月』の展開こそが契機だったことを示している。
とくりゃあ、Int1の俺にだって閃くもんがある。
魔法だろうとスキルだろうと一切の区別なく異能を封じるこの偽界。
スキルだってシステムの力だ、それを封じられるんだから他のシステムだって――来訪者を保護する数々のシステムだって無効化できてもおかしくはねーんじゃねえか、ってな。
「お前の仲間のスオウが、スキルへの対処は難しいと言ってたっけな」
「…………」
「そうは言いつつも野郎も俺のスキルを上手く凌いでやがったけどな――だがそいつはスキルから身を守ってるだけ。対処とは言えねえよな。逆に言えばスオウは、スキルへの的確な対処の仕方ってのを知ってたってことになんじゃねえか? そうじゃなきゃあんな言い方はしねーだろう」
あるいは奴の使った『滅法』って技がそれだってのも考えられるが、あんときのスオウはあの技が通じるかどうか半信半疑で使ってたみてーだからな。
だったら奴が確信を持てるほどの手段が別にあったことになる。
あいつ自身にできることなら俺との遭遇戦で披露しないわけがねえ。ってことはその手段っつーのは、あいつ以外の身近な誰かが有していると見做すのが自然だ。
それがきっと、インガの偽界。
そういう思いを込めて見つめればインガは身じろぎをやめ、大人しく大地に身を委ねて。
俺のほうじゃなく真上にある月を見ながら答えた。
「っくく、そうだね。逢魔四天には私の偽界の能力を知らない奴はいなかった。当然スオウも知ってたさ。『陰骨雅月』が来訪者にも――そして管理者にも通じる偽界だってことは」
「管理者にも……、」
そうか、神のシステムに干渉できるってのはそういうことでもある。
表で勇者役をやらせられる俺ら来訪者とは逆の、裏から世界を操り誘導するもうひとつの神の手。『灰の者たち』――魔皇が打倒を目指すそいつらにも、インガの偽界は特効があるんだ。
なるほどな。
改造によって兵隊を無限に生み出せたエニシや、自前でなんでも作り出せたシガラ。変装能力や対スキル用の技もあってとにかく芸達者なスオウ。
他の逢魔四天と比べてインガはとにかく強いっていう特徴だけが目立ってて少し浮いた印象もあったが、本領はこれだったか。
魔皇がインガを幹部に選んだのは強さだけが理由じゃない。
むしろ強さなんてどうだってよかったはずだ。
システム封じの心象偽界――その神のシナリオへ抗う野望への御旗めいた能力さえあれば、他のことはなんだって。
「……お前のことだ。一度は魔皇とも殺し合ってんだろ」
「一度で済むと思うかい? ……ま、本気で命を狙ったのは初めて会った日。勧誘のときが最初で最後だがね」
「そいつぁ魔皇軍への加入を賭けてか?」
「ふふ、魔皇様は私が欲しいんだから殺せない。私は後先なんてどうだっていいから魔皇様を殺す気満々だった。条件的に有利なのはこっちだったけれど、まー勝てないわな。コテンパンにノされちまったよ。それで、その強さに感銘を受けてね。どうせ暇してたし力を貸してやってもいいなって思ったのさ」
「なのにそのあとも戦ったのかよ」
「そりゃつえー奴が近くにいるんだ、挑むさ。人と戦うようなわくわく感こそなかったがそれでも強者との戦いは心が躍る。やらない理由はない……双子からはその度に白い目で見られてたけどな」
「双子……エニシとシガラか。他の逢魔四天も加入の仕方はお前と同じか?」
「ん、変わらんね。魔皇様直々のスカウトさ。ただ私みたいに命懸けで戦っちゃあいないはずだよ。スオウに関しちゃどう拾って来たのか知らんが、双子はすんなりついてきたと聞いた。あいつらは長いこと互い以外を知らないほど孤独だったみたいだからねえ、自分たちを必要としてもらえて嬉しかったんだろうよ」
「……、」
「ひょっとしたら――私もそうだったかもな」
偽界の空に浮かぶ偽の月から目を逸らすことなく、インガはそうぽつりと言った。




