290.捨て駒
空間魔法の使い手という特異性から、本人の階級は二級であっても特級とコンビを組むことも少なくない変わり種の構成員。幼い見かけではあるが年齢不詳の不思議なその少年は――。
「キッドマン! ……っ!?」
メイル自身、彼とは何度もクエストをこなしてきた身だ。ローネンの言っていた待ち人がこの少年だとは思いもよらなかった。
政府の人間であるローネンのみならず、見習いとはいえエンタシスの一員のエイミィが裏切り者なのだから、アーバンパレス内にもまだ他に仲間がいる。そういう考えが浮かばなかったわけではないが。
しかしそれがよりにもよって希少な長距離転移を可能にする者であることは、控え目に言っても相当マズい。そしてキッドマンの傍らにいるもう一人にもメイルは言葉にならないだけの衝撃を受けた。
「レヴィ――お前もなのか!」
「…………」
レヴィ・マーシャル。若いながらに実力確かな一級構成員の一人。
元は市衛騎団の候補生だったのが紆余曲折を経てアーバンパレスへ移籍したのが彼女の冒険者人生の始まり。そのきっかけとなったとある出来事にジョンやマーニーズ共々深く関りのあるメイルだけに、レヴィの裏切りはともすればキッドマン以上の痛手にすら感じられた。
「えーっと、これどういう状況? そっちの人は誰?」
「魔皇軍の隠し玉のナゴリ君だ。どうやらスオウは元から逢魔四天に数えられてはいなかったようでね。彼こそが本物らしい」
のほほんとしたキッドマンの問いにこちらものんびりとローネンが答える。逢魔四天! と驚いたような納得したような顔でキッドマンはナゴリを見て、今度は彼へ質問をした。
「なんで魔皇軍の人がローネンをメイルから守ってるのさ? どんな意味がある?」
「さあ、知んね。誰を殺してもいいけど政府長は逃がしとけって魔皇様が言うもんだから、最も信頼熱い懐刀であるこのオレが守ってやってんだ。なんで守る必要があんのかは魔皇様に聞けや」
「ふーん。戦争始めるにしては妙な襲撃のかけ方だと思ったけど、なるほどね。魔皇はあくまで『灰の者たち』と対等に渡り合える気でいるわけだ。……大人しく守られているみたいだけど、乗っちゃっていいのローネン? ここで魔皇の戦力を減らしとくのもひとつの手だと僕は思うけど」
「ふむ……」
顎に手を当てるローネン。一考に値する案ではあると判断したのだろう。
彼やキッドマンに逢魔四天を相手取れるほどの強さはないが、ここにはエンタシスのエイミィ、それに一級のレヴィもいる。
彼女たちをキッドマンの空間魔法がサポートすれば、実力未知数の魔皇の懐刀でも排除はそう難しくはないかもしれない――後々のことを思えば是非とも実行しておくべきとも思える。
「へへ……」
ローネンがナゴリを見やれば、彼はニヤニヤと下品な顔付きで笑っていた。キッドマンの言葉の意味が理解できていないわけでもないだろうに――いや、理解できているからこその笑みか。
それはそれで面白い、とでも考えているのが丸わかりの態度だ。
彼がそんな性分をしているのであればますます好機。ローネンの展望が叶う確立は高いと言えるだろう。
「いや、やめておこう」
しかしローネンの結論はNO。
本当に望み通りになるのであれば悪くないが、事がそう単純に進むと考えるのは早計だ。エイミィとレヴィの組み合わせを戦力十分と見立てたとしても敵はナゴリだけでなく、ここにはメイルもいるのだから。
勝負は確実に三つ巴の様相となり、そうなれば趨勢の予測が一気に難しくなる。一種の賭けのようなものだ。賭けるぐらいなら躊躇なく引く。それがローネンの決断だった。
「これ以上ここに留まり続けるのも得策ではない。せっかく魔皇が気を利かせてくれたのだからご厚意に甘えるとしようじゃないか。……ところで他の者たちはどうした?」
他の者たち、というのはキッドマンとレヴィ以外の『灰の手』のことだ。政府内に十数名、それからアーバンパレスにも二級未満の庶務係に数名。
ローネンは可能ならば彼らも揃ってここにつれて来るように指示を出していたのだが……。
「それが可能じゃなくなっちゃったんだよね。マクシミリオンの処置が思った以上に早くってさー。連れ出しに行った僕らが逆に危うくなってね」
「彼らを捨て駒にしたか」
「そういうこと。嬉しいことに自分たちから志願してくれてね、おかげで僕らだけでも逃げ出せたってわけ。だから今頃はもう……ね」
「そうか、残念なことだ。だがこうして統一政府が崩壊したからには彼らもその役目を終えたに等しい。君たちの逃走のための壁と散れたのなら、本望だろう」
だといいんだけどねー、とキッドマンは言いながらローネンとエイミィをもっと近づけた。ぐいと体を押されたエイミィはきょとんとして、
「わ、なんすか急に?」
「密集してくんなきゃ転移させらんないの。知ってるでしょ」
「えー、もう行っちゃうんすか? 私は先輩とやってもよかったけどなー」
「心にもないこと言うんじゃないよ、エイミィ。君はそんなタイプじゃないだろ?」
ほらレヴィもこっち来て、と手を差し出すキッドマン。だがレヴィの手はそれを握り返そうとはしない。どころか、キッドマンのほうを見ようともしない。彼女はここに来てからずっとメイルだけを見つめ続けていた。
「レヴィ?」
「私はここに残るわ」
「……そうだね、君こそそういうタイプだよね。でもレヴィ――」
「戦うつもりなのだね?」
キッドマンの言葉に被せてローネンが訊ねた。レヴィがこくりと頷いたのを見て彼もまた首肯する。
「私の意思を汲み取ってくれたのだと思うことにしよう。しかし、いいのかね? キッドマンがまた戻ってこられるとは限らないが」
「期待していません、脱出は自分でどうにかします。――キッドマンを無事にここへ届けたのですから、後は私の自由。そうですよね?」
「…………」
レヴィの言は間違っていない。捨て駒というなら彼女こそがそうだったのだ。いざとなればキッドマンの盾になる役目を担っていた。その後についての指示は、灰から出ていない。
この場で彼女の自己判断を許すかどうかは現場責任者であるローネン次第である。
「わかった。君の決断だ、口を挟むことはよそう。だが私は君との再会を願っているよ。行こうかキッドマン」
「……ああ」
ローネンに従い、キッドマンは何も言おうとはせずに術の発動に入る。
それを見てメイルがぴくりと反応したが、それを牽制するようにレヴィとナゴリが彼女へ戦意をぶつける。この二人に遮られてはメイルも手出しはできない。
臍を噛む彼女を尻目に、転移の渦の中でエイミィが口を開いた。
「レヴィってさぁ……本っ当にバカだよね」
「なんとでも言うがいいわ」
――パッと三人の姿が消えた。
これで残されたのも三人。
メイル、レヴィ、ナゴリというそれぞれ陣営の違う者たちだ。
「……お前のことは個人的に買っていたんだぞ」
「光栄ね。こんな形になってしまったけれど、メイルさん。あなたと真剣に戦えることが私は嬉しいわ」
「ふん。勝手なことを言う」
「んだよ、どっちもオレのことは眼中にねえって感じか? つれねーなー、仲間外れは悲しくなっちまうぜ」
軽口をたたくナゴリをちらりと見たメイルだったが、すぐにレヴィへと視線を戻して。
「こんなのとつるむとは心底見損なった。お前の魔皇軍に対する怒りはこの目にも偽りとは映らなかったが……」
「ええ、仲間をやられた怒りは本物よ。だからこそ残った。あなたへのけじめだけじゃあなく、できることなら逢魔四天を私の手で討ち倒したかったから」
「ならばひとつ聞くが……お前は今日、キッドマンではなくジョニィ・アングッドと行動を共にしていたはずだろう。彼は、どうした?」
「――殺したわ。キッドマンと合流するために仕方なくね」
「……よくわかった。もはやお前に言うことはない」
暗く重く、冷たい巨石。そういったものを連想させる表情でメイルが拳を握った。その迫力にレヴィも戦闘体勢を取ったところで。
「だから! オレをいねーもんみてーに扱ってんじゃあねえぞアマどもが!!」
「「!」」
叫んだナゴリが勢いよく両腕を振り下ろす。そこから溢れ出した黒い何かが同時にメイルとレヴィを襲った。




