29.終わりにしよう
「一度殺した奴と再戦なんて滅多にできることじゃない……ゾクゾクするねぇ!」
「グルォウ!」
振り下ろされる竜の前脚。インガはそれを避けようともしなかった。
ズドォン! という轟音とともビリビリとした衝撃が俺のところにまで届く。それだけ今の一撃の威力がとんでもねえってことだが……インガは竜の脚を片手で受け止めて、余裕の笑みまで浮かべていやがった!
こ、こいつもガチにとんでもねえ。インガとドラゴンゾンビの体格差なんて比べるのも馬鹿らしいぐらいだってのに、少なくとも力の面では互角か、それ以上だってんだから!
「ははは! どうした? 殺された怒りってのはこんなもんか!?」
インガが竜の脚を弾いて、軽やかに跳び上がる。
ドラゴンゾンビの側面に移動した――ところを迎えたのは、竜の尾だった。
バチン! と打ち返されるインガ。
更にそこへ、ドラゴンゾンビが口を広げて待っていた。
「グラゥ!」
ドラゴンゾンビがインガに噛み付いた。いや、サイズ的にはもう一口で噛み砕いたと言ったほうがいいかもしれない。ドラゴンゾンビはゾンビらしく、朽ちかけの体ではあるものの、骨だけはしっかりしているようだ。牙の鋭さや硬さも生前との違いなんてないだろう。
つまりそんなもんにやられたからには、インガの全身は今頃ズタズタになってるはず。
――なんて考えは、やっぱり甘かった。
「そうかい。お前さんの怒りの源は自分の死よりも、嫁さんに手を出されたことだって言いたいんだね? そうまでして番いを守ろうとするとは立派な雄じゃあないか……でもねぇ!」
手と足を使って、強引に竜の顎を開かせながら。
一度は確実に牙に挟み込まれたはずのインガは、なのピンピンしていて。
奴はバッとそこから抜け出すと、空中で身を捻ってドラゴンゾンビの頭部を蹴った。
「グガゥ……ッ!」
「どっちも手遅れさ! お前さんは死んでるし、嫁さんは別の存在になった! 夫婦はもうどこにもいやしない――ここにいるのは! 動く死体と動かない繭だけだろう!?」
「――グロォウァアアアアッ!」
蹴りでダメージを受けた様子のドラゴンゾンビだったが、インガの言葉の意味がわかっているようで、明らかに怒気を募らせてぐっと首に力を込めた。
そして、その口から勢いよく何かを吐き出した。その黒い霧のようなものは瞬く間にインガを包み込んだ。
これは、あれか!?
ドラゴンの技と言えば、と聞かれて大半の人間が思い浮かべる率第一位間違いなしの『ドラゴンブレス』!
……飛び出したのが火じゃないってのがちょっと、イメージとは違うけどな。
「おっと、腐食のブレスか……残念。私にこんなもんは効かないよ!」
必殺技の登場にテンションが上がった俺とは逆に、インガは冷静そのものだった。
何かしらの効果があるらしい黒い霧に触れながらも特に苦しむような素振りも見せず、駆け出す。
「これならまだ火を吹いてた頃のほうがマシだったね。ま、そっちも私の肌を焼くにゃあ火力が足りていなかったけどさ!」
「グラァッ!」
霧を突破してきたインガ目掛けて爪で切り裂くように前脚を薙いだドラゴンゾンビ。それに対しインガは拳で応じた。
「ふん!」
バゴン! と脚ごと爪が叩き返される。ドラゴンゾンビはそれを見越していたのか単に連撃を決めるつもりだったのか、もう一方の前脚も続けざまに振るっていたが、そちらもインガの打突二発目で同じように弾かれてしまった。
「はっはぁ!」
ボルテージの上がった笑い声を上げながら、またインガが跳んだ。
ドラゴンゾンビの両腕を掻い潜って、顔面に重たいのを入れる気だ。
これが決まるとマズい。インガの桁外れのパワーを何度も見させられた身からするとそう思うのは当然ってもんだ。奴の拳をまともに受ければドラゴンゾンビでも無事じゃ済まないだろうと……だが、それと同時に俺にはもうひとつ別の確信もあった。
「おい、こっちに寄越せ! 俺も戦うぜ!」
ドラゴンゾンビにそう叫ぶ。恨み骨髄は未だに怨念を纏っている。そうさ、俺だってまだやられたぶんの恨みを晴らしたわけじゃねえんだ。
目玉のなくなった眼窩と、確かに目が合った。
「寄越せだって? ははっ、何を言ってるのやら――えっ?」
小馬鹿にした態度で今まさに、ドラゴンゾンビの眼前で拳を振りかぶったインガ……が、調子はずれの声を漏らした。それは驚きからくるものだ。
ドズリュ、と。
インガの見つめる先で、ドラゴンゾンビの脚が増えた。
本来二本しかないはずの前脚が、まるで体内から肉を掻き分けるようにして生えてきた新たなものと合わせて四本となった。
計六本脚の竜――否、ドラゴンゾンビ。
この急な変貌には、インガも呆気に取られたようだった。
「アハハハ!? なんだいこりゃ面白――うごぉっ!?」
初めて見るものに目を輝かせているインガは、まったく警戒を見せずにドラゴンゾンビの新しい脚に吹っ飛ばされた。
その吹っ飛ぶ先で待ち構えているのは、おもっきし恨み骨髄を握りしめて構える俺だ。
「もういっちょ打たせてもらうぜ、ホームラン!」
投手ドラゴンゾンビからの真っ向ストレートを、俺は武器の真芯で捉えた。
「【活性】発動――うっらああぁああ!」
腕だけじゃなく、体全体を使って打つ。
全力でぶっ叩かれたインガは「ぐえっ!」とカエルの潰れたような声を出して見事にぶっ飛び、その先で岩壁に叩き付けられて埋まりまでした。ギャグめいたやられっぷりじゃねーか、オイ!
「ナイスコントロール! やったな!」
「グラウ!」
「いやストップ! ハイタッチはやべえわ俺死ぬわ!」
コンボ攻撃が決まって一緒にテンションの上がった俺たちは、確実に心が通じ合っているみてーだった。今危うく死にかけたところだが、それも互いの間に変な壁がないことの証明だろうよ。
勝手にゾンビにして蘇らせちまったことを怒っちゃいないっぽいな……そこはホッとしたぜ。
「とにかく、二対一だ。連携していこうぜ。奴は強ぇが、力を合わせりゃやれないことはなさそうだしな」
「グラァウ、……」
「――は?」
ドラゴンゾンビのおそらくは了承と思われる返事が、中途半端に途切れた。
途切れるのも当然だ、なんせドラゴンゾンビは……この一瞬で頭を失っちまったんだからな。
「うん……十分に楽しめた。だから、もういいさ。終わりにしよう」
「な……っ」
本当に、一瞬だった。壁にめり込んでいた状態から、まるで弾丸のように飛び出して、拳を一発。
それでドラゴンゾンビは沈黙させられたんだ。
こ、こいつ……! この常識外れのパワーはなんだ!?
さっきまではまだまだ本気じゃなかったとでも言うのかよ!?
ゆっくりと倒れる、頭をなくしたドラゴンゾンビの体。
驚愕する俺の前にはインガが降り立った。しかもご丁寧に着地によって恨み骨髄を踏みつけ俺の手から落とし、そのまま折っちまいやがった。
「てめっ、ガァッ!」
「力を合わせれば、やれないことはないって? これはこれは、儚い夢を見させちまって悪いことをしたね」
「こ、んにゃろ……」
首を掴まれ、持ち上げられる。
俺より小柄なくせに、とは思うが首に食い込んだ指は決して離れず、腕も揺らがない。
足が地面から離れちまった俺はもう、どうやっても逃れられない……。
「言ったろ? 十分に楽しませてくれたよ、坊やは。戦い慣れてるって感じはしないが、それにしては善戦したほうさ。胸を張っていい。なんと言ってもこの私を二回もぶん殴ってくれたんだからね」
満足さ、とインガは屈託のない笑みを見せる。
なんの屈託もなく、命を奪える笑み。
俺のことを、心の底から、暇つぶしの玩具としか思ってねえその顔。
喉を締められろくに呼吸もできず、朦朧とし始めた脳みそで。
俺はめたくそに腹が立って仕方なかった。
「ふ、ざ……けんな!」
「お?」
首からインガの手を外そうと躍起になっていたのを諦めて、俺は両腕を伸ばした。
伸ばした先はインガの頭だ。手と手で顔を掴むようにして、挟んだ。
そして、俺は残された力を振り絞ることにした――。