289.『死穢不待』のナゴリ
「この傷がそんな気になるか? そうマジマジと見られちゃ恥ずかしいんでとっとと治しちまうとすっか」
「……!」
ぐにょり、と男の肉体が奇怪な動きを見せれば、みるみる胴体に開いた風穴が埋まっていくではないか。人間ならばまずあり得ないことだ。
判断に自信がなかったわけではないがこれで確定した――この男は確実に魔族である。
「これでよし、と。んでもってよろしくなぁ、エンタシス。日頃は魔皇様の影に仕舞い込まれてるオレだが、これでも逢魔四天の一人なんだぜ。種族はカゲボウシだ」
「逢魔四天……!」
するとこいつが冒険者に紛れ込んでスパイ活動をしていたというあのスオウなのか。この人間にしか見えない風体は確かに潜入に適してはいるだろうが、しかし報告にあった特徴といまいち一致しない。
「……こちらの素性は知れているようだが名乗ろう。『恒久宮殿』の特級が一、メイル・ストーンだ」
「こりゃご丁寧に! オレの名はナゴリ、『死穢不待』のナゴリだ! さあ、オレに殺されなメイル・ストーン!」
スオウじゃない。逢魔四天の五人目。ならばまさか六人目や七人目もいるのか。
などと思考を働かせる暇はなかった。先と同様に、しかし先以上の速さで飛びかかってくるナゴリはメイルをしても脅威と断じられるだけの迫力があった。
「はっははははは!」
「ちぃっ!」
何が楽しいのか大笑いしながら拳を振るうナゴリ。ふざけた戦い方だが威力のほうはもっとふざけている。エンタシス内でも特に肉弾戦に精通し、格闘能力ではジョンとツートップを誇るメイルが、技術では上回っていてもスペック差で押されていることがその証明になるだろう。
だが彼女が捌くのに精一杯になっているのはナゴリの連打が息つく間もないほど速いというだけではなく、別のことに気を取られているせいでもあった。
「……!?」
防戦一方になりながらもメイルはそちらを見る。
このレベルの敵から僅かでも目を逸らすことがどれだけ愚かなことかよく知っていながら、しかしそうせざるを得ない。
メイルの視線の先。悠然と佇むローネン政府長と、後ろ手を組みながらにこにこと戦闘の様子を眺めているエイミィ。現状を何か勘違いしているのではないかというほどにまったく焦りのない二人がそこにいた。
これではメイルが敵だけに集中できないのも致し方ない。
「っ、何をしているエイミィ! 早く政府長を連れてそこから逃げろ!」
地面から幾本も生やした石棘を挟みナゴリから一旦距離を取ったメイルは、見えている階段を示しながら仲間へそう叫んだ。
何故ここで逢魔四天と一緒にいたのか。
すぐに脱出しようとしない訳はどこにあるのか。
不自然さは多々感じつつもそれらにはひとまず目を瞑り、まずは戦場から政府長を逃がすことこそが先決。
ハンスの死を無駄にしないためにもそう信じたメイルの思いはしかし、最悪の形で裏切られることになる。
「ああ、気にしないでくれメイル君。私たちは人を待っているところなんだ。上に出るよりも彼の手を借りるほうが確実なのでね」
「そうっすそうっす。だから先輩、うちらのことは無視してくれていいんで存分に彼とやり合ってくださいっす!」
「……!?」
こいつらは何を言っているんだ。
それがメイルの心情だった。
こんな場所、こんな状況で人を待つだと? それが本当ならたとえ相手が誰だろうと呑気にもほどがあるだろう。
どうしてもその何某を待つ必要があるというのであれば、せめてエイミィはナゴリを片付けるのを手伝うべきではないのか。
護衛のために政府長の傍から離れられないにしてもちょっとした援護くらいならその場から動かずともできるだろうに――。
「ははははっ、戸惑いが見えるなエンタシス。だがそいつらに何を言ったって無駄だぜ。お前だってもう薄々気付いてんじゃねえか? ここに辿り着くまでにおかしなもんをいくつも見てきたろ――そしてその全てに納得のいく答えはたったひとつだ。そうだろ?」
「……!」
石棘に構わず突っ込み体の何箇所も貫かれていながら平気に喋るナゴリの姿は一言異常だったが、メイルにとっては彼の話す内容にこそ真の異常があった。
そうだ、ハンスと御老公の死。
そしてこの場の面子に口振り。
それらが導く辻褄の合う答えとは、ただひとつ。
「政府内の裏切り者とは――貴様だったのか、ローネン・イリオスティア!」
それしか考えられない。そうでないと御老公が死に、彼だけが秘密の通路を使い、逢魔四天と共にいた理由に説明がつかない。
思えばハンスと御老公の死に様にも違和感があった。
ハンスの全身の傷は殴打の痕に違いなく、それは徒手空拳のナゴリの戦闘スタイルとも合致する。
だが御老公の死因は撲殺ではなく喉を掻き切られての出血死。やったのはナゴリではない。
メモリとナキリが相手をしているあの二人組も片方は素手、片方は槍を持っていた。こちらもおそらく違う。
凶器は短剣に類す物。
切り口の鮮やかさからして相当の手練れとも推測できる――そしてその特徴は。
マチェットと呼ばれるタイプのナイフを主武器に据えている、見習い特級構成員エイミィ・プリセットにこそ当てはまるものだ。
「――にししっ」
腰に提げた四本の山刀。そこに一瞬メイルの視線が吸い寄せられたことでエイミィも悟ったようだ。
口元を隠しながらくすくすと笑う彼女の仕草は、まるでイタズラがバレた無邪気な子供のそれだった。
「そーっすよ先輩。ハンスは邪魔だったから、うちが協力して彼にちょちょいと殺させたっす」
「……っ、」
「で、お爺ちゃんらはそのまんまうちがやりましたー。それがローネンさんの命令だったんで……よかったんすよね、殺しちゃっても?」
「ああ、問題ないとも。魔皇軍に催促された形にはなったが、どのみち初期化のためには必要な手筈だった。これも良い機会だろう」
「貴様ら……!」
頭がどうにかなりそうだった。
最低最悪の吐露を何故そうもなんでもないないような顔付きで行えるのか。
そうやってハンスを殺し、御老公を殺し、これまでに幾人も殺してきたのか。
「政府長ともあろう者が魔皇軍の手先だったというのか――それになんのメリットがある!?」
「ああ、メイル君……それは無知故の悲しい物言いだ。メリットどうこうではないのだよ。これは命に課せられた使命。そして訂正させて貰うが、私たちは魔皇軍の手先などではない。もっとも魔皇はスオウと同じくこの私すらも利用する気でいるようだが、それも構わない。何をしようと何を企もうと灰にはどうせ敵うはずもないのだから」
「灰、だと……?」
「ふふ、君には理解できないだろう。いいのだよ、それで。何もわからぬままに死んでいくほうが楽だろう」
「――私まで容易く殺せるつもりか?」
「少なくともナゴリ君はそうだ。何せ彼は私たちの脱出を邪魔するエンタシスを払うために、かの魔皇が手ずから寄越した駒なのだからね……事実、君の仲間は使い古された雑巾のような姿になってはいなかったかな?」
「っ――、」
メイルはキレた。
と同時に肉体が動く。
巨大な石柱で対象を圧し潰す『ストーンピラー』を発射させながら自らも政府長に向かっていく。その勢いは猛火の如くに猛々しかった。
が、しかし。
「……っ!」
「おいおいおい! 勘弁しろよ、こいつは今は死なすなって魔皇様に言われてんだぜオレ!」
「わぁ~、あっぶないなぁ先輩。今のマジで殺す気だったでしょー」
傷を塞いだナゴリが進路に割って入り、メイルを止めた。
石柱はエイミィが両手のマチェットで逸らすことでローネンを守った。
攻撃失敗。そしてこの二人が無事なうちはローネンに手出しができそうにないことを、激情にかられつつもメイルは頭の片隅で理解した。
「……重要参考人だ、殺しはしない。両の手足を捥ぐくらいのことはするがな」
「こっわ。メイル先輩マジヤバ。ですってよ、ローネンさん」
「手足を奪われては堪らない。ここはやはり大人しく退散したほうがよさそうだ――ちょうど待ち人も来たようだしね」
「!」
空間の歪。ローネンとエイミィのすぐ横で起きたその現象はメイルにとってもよく覚えがあるものだった。
この奇妙な歪みが収まれば、そこにはいつも彼が現れる。
「まさか、お前もなのか……!?」
次々と更新されていく『最悪』に思わずメイルは呻いた。




