282.ドラッゾとドレッダ
「…………」
「…………」
相対する両者。片や少女、片や少年。どちらも整った顔立ちをしているが彼らには常人とは違う特徴があった。
――それはどちらもが竜人という、ドラゴンが人間らしい形態へ姿を変えている種族だということ。
翼を持つ灰色の肌の少年が、主人より借り受けた漆黒の戦斧を構える。それに応じて赤い鱗と少年以上に立派な両翼を持つ少女が魔力を練る。その魔力が手の平に集まると形を持ち、鱗と同じく真っ赤な剣が出来上がった。
両手剣。その刀身の長さはかなりのもので、リーチにおいて剣よりも優れるはずの戦斧と比べてもなんら遜色がないほどだった。
「グラウ?」
「ええ、できますよ。むしろあなたはできないんですか?」
「グ、グラゥ……」
「言い訳はけっこう。そうやって借り物を手にしてる時点であなたの程度が知れます」
傍目から見るとなんとも首を傾げたくなる対話だったが、少女にはしっかりと少年の言葉が理解できているようだった。
それは同種族だからこその芸当なのだろうが、しかし辛辣ながらにどこか気安くも感じられる少女の口調は彼らが敵同士であることを踏まえると少々奇妙にも思え……その違和感を最も抱いているのは他ならぬ少女自身でもあった。
「グラァウ、グラウ!」
「……魔皇様が配下、魔下三将が一人。『破戒』のドレッダ。任務を遂行します」
少年の名乗り。ゼンタの仲間の『ドラッゾ』であると誇らしげに告げたその言葉に合わせ、少女は胸の内にわいた微かな戸惑いを振り払って自らも名乗った。
直属の上司インガより賜ったその名。近い時期に名付けられた二人の名称がどことなく似通っているのは果たして運命の皮肉か、それとも――。
「グラァアッ!」
「……!」
ドラッゾの強い踏み込み。全力で繰り出された初撃に対しドレッダもまた渾身の力で応えた。ッギィイン!! とぶつかることで一瞬だけ停止した両者の武器は互いを弾き合う結果となった。
「――グラッ!」
「――ふんっ!」
弾かれたのを力で立て直し、二撃目。鏡映しのような軌道で戦斧と大剣が再度衝突。そして結果もまた同じ――別方向に互いの武器が、腕ごと弾かれる。
その衝撃は相当なもので、常人なら腕どころか体ごと投げ出されること請け負いだ。それほどまでに重い斬撃と斬撃の激突が、続けて三度目。
「ッ、グラッ……!」
「っ、この……っ!」
またしても互角。それでも二人は打ち合うのをやめない。引くことは負けを意味している、と両者が考えたのかは定かではないが少なくとも、そこに意地があったことは確かだろう。
四度、五度、六度と刃が擦り合い火花を散らす。
そのたびに体勢を崩し、力任せに持ち直し、再び武器を叩き付ける。
これで七度。しかし決着はつかず、また繰り返す。
(何故……!)
何故。次第次第にドレッダの脳内には疑問ばかりが膨れ上がってくる。
全身全霊で剣を振るわねばならない場面であることはわかっているのに、そのことが余計に彼女の気を散らす要因にもなっていた。
理屈の上ではいみじくも表れている。
ドラッゾは来訪者ゼンタ・シバのスキルによって強化が施されており、スキルで生み出した武器まで借りている。
そして自身が魔力で形成した剣よりも戦斧のほうが武具としての完成度が高いこともまた、沈着冷静な彼女は客観的な目線で分析できていた。
これだけの要素があれば互角もやむなし。
むしろ自前の能力のみで戦っているドレッダはその奮闘ぶりを湛えられて然るべきである――だが誰の賛美であっても、そう、たとえそれが名付け親たるインガの口から出たものであったとしても、彼女がそれを甘んじて受け入れることはないだろう。
八度、九度、十度。十一度目の激突。
音を上げることはしない。自分も、彼も。どちらも己が勝利を疑わない、手放さない。
(こんなはずはない、互角のはずがない――!)
はずがない。ここでまた「何故」が出る。
何故自分はそう思うのか。
勝って当然だと、どれだけ有利な要素が重なろうと目の前の少年が自身に並ぶことなど絶対にあり得るはずがないのだと。
そう思えるのは、いったい何が原因なのか?
自分が名もなき竜であった頃、彼とどんな関係にあったにせよ。そんな昔の記憶はとうになくしているはずなのに……なのに何故。
僅かでも彼に劣ることがこんなにも我慢ならないのは、こんなにも忌避されるのは。
まるでそれは、過去の自分が今も――。
「ッグラァアアウ!!」
「!!」
十二度目の激突には一際強い叫びと共に全力以上が込められた。
ドラッゾの次を考えない一撃はドレッダの千々に乱れた内心を見抜いてのことか、それともただの偶然なのか。いずれにせよ彼の勝負勘はここ一番を察知したのだろう。
陽光を断ち切るような黒き刃の閃き、そのあまりの鋭さにドレッダも慌てて太刀筋を合わせたが。
「っぐぅ……!?」
遅く、そして拙い。それを放った当人でも及第点にすら届かないと断定できる。戦斧を受ける前から彼女には結果が見えていたが、だからとて回避できるものでもなく。
大剣が、砕け折れた。彼女の武器を破壊してなお戦斧は止まらず、ドレッダの身を切り裂く。
魔力が解けた赤い残滓に混じって真っ赤な鮮血が舞う。
「っく。私の肌に、傷を……!」
咄嗟に身を捻ったことで刃を受けたのは肩口。
胸元に伸びるように走った切り口は薄皮を裂いただけに留まっているが、これは彼女が自慢に思っている美しくも頑丈な竜鱗が破られたからこその傷だ。そうでなければドレッダはそもそも傷など負わないのだから。
さぞかしご満悦なことだろう、と追撃を警戒しつつ少年の様子を確かめれば。
「グラウ……、」
そこに喜色はない。
かといって悲しむでもない。
あるのはどこまでも決意を宿した強き意思のみ。
小手調べは終わりだな、と。
そう言って彼は、戦斧を捨てた。
「……!」
ゼンタが忠告してた通り、ドラッゾの手を離れたことで『非業の戦斧』は消滅した。またゼンタがスキルを発動すればすぐにも装備し直せるだろうが、しかし彼にそんな気はないようだった。
それがわかったことで、ぎちりとドレッダの歯が鳴った。
元から剣は得意じゃない。剣術を嗜んでるわけでもなし、単に武器を持った相手に合わせて気紛れで手に取ったに過ぎないが、それでも負ける気なんて少しもしなかった。
軽く試すつもりで。始末の前のちょっとした余興のつもりで。……そのつもりでいたが、不覚を取った。今上に立っているのは完全に彼のほうだ。自分ではない。そしてそれは彼女にとって。
――やはりどうしても、何があろうとも受け入れがたいもので。
「こんなことで勝ち誇られては困りますね」
傷口を擦り、指先に付けた血を自らの舌の上に添えて。
「竜の肉体に傷をつけたこと。その命で贖ってもらいますよ、死竜人」
翼を広げ、浮かび上がる。彼が武器を捨てるのなら――要望通り、こちらも誇り高き竜の威光で以って迎え撃とう。
大空という竜本来のフィールドで。
「ついてきなさい」
「グラ!」
望むところだ、とドラッゾが先を行くドレッダに続く。だが彼が少し飛んだところで。
「ふん……」
「ッ、グラ!?」
ドレッダが無言で急下降。まだ上空を目指すと思い込んでいたドラッゾはもろに蹴りを受けて地上に落下……しかけたところをなんとか持ちこたえ、追い打ちの二発目をスレスレで避けながら上へ逃げた。
「グラッ……、」
奇襲めいた攻め方に驚きつつも、ドラッゾは納得もしていた。
そうだ、彼女はこうだった。
竜らしい肉体的な成長も、そして竜らしくもなく敵に勝つためならどこまでも狡猾になれるところも。
全部が全部、自分よりも上だった。
だから彼女を守りたいという思いとは裏腹にいつも守られてばかりだった。
――だけど今は。
「グラゥ、グラァウッ!」
「……! そんな台詞は、私に勝ってから吐きなさい!」
下方よりドレッダが。上方よりドラッゾが。
最高速で接近した両者は再び全力と全力を拳に乗せてぶつけ合った。




