28.恨みを晴らせ
「『プロテクション』!」
「またそれかい」
離れた位置からひとっ飛びで距離を詰めてきたインガに対し、サラの反応は速かった。敵が拳を構えたとみるやすぐに壁を展開した――だが。
パリィイイィイイン。
インガの殴打。それを受けて、薄いガラスが割れるような音を残してサラの壁は砕けて消えちまった。
ウっソだろ!? ゴリラの強烈なアームハンマーにもビクともしなかった『プロテクション』が、こんな簡単に破られたってのか!?
「あ……」
「あんたは邪魔だな」
余波に押されながら呆然とするサラにそう言い放ったインガは、すっと片足を上げて、素早く地面を踏みつけた。するとそこから激しい地割れが起きて、隆起した岩盤がまるで狙いすましたようにサラを足元から掬い上げて放り投げてしまった。
「きゃああぁっ!」
「サラ!?」
「よそ見してる場合か?」
「!」
岩盤の向こうに消えてったサラを目で追ったほんの一瞬で、インガは俺の正面で構えを取っていた。サラの壁すら破った奴の拳が、今度は俺に向けられる。
「ほら、さっさと守らないと死ぬ――」
「っ、『骨身の盾』!」
「ぞっと」
こつん。
拳が当たった感触はそれくらいのもんだった。
なのに、その途端に盾が粉々に砕けちまった。
あり得ねえ、『骨身の盾』が一撃だって!?
「ぐっはあぁあ!!」
盾だけに飽き足らず、突き破って俺にまで届いた衝撃。尋常じゃないそれを食らって俺は吹っ飛ばされ壁際にまで転がされた。
かつてない勢いでHPバーが縮む。残されたそれは目算一割を切っていた。
盾で受けてもこれかよ……信じらんねえ。
「ぐ、う……」
「どっちも踏ん張りが足りないな。そらそら、どうした? 坊やが本当に来訪者だってんなら、ちょっとは私を楽しませてくれたっていいだろう?」
ふざけたことを言いながら近づいてくるインガ。倒れたまま俺はそっちを見て――そして視線を横にずらした。何故なら、岩盤から体を出して一所懸命に手を振っているサラが目についたからだ。
大きな怪我をしてねえっぽいことにゃあ安心したが、こんなときに何をしてんだあいつは……? また奇行かと訝しんだ俺だが、サラの口がパクパクと動いていることに気が付いた。
大きく、一文字ずつ区切りながら、なのに声には出さずに。
インガにバレないように何かを伝えようとしているんだ。
そう悟った俺は、サラの口をよく見た。サラはどうやら同じ言葉を繰り返しているようだった。……い、あ、ん……いあん? ……いや、『時間』だ! わかったぞ、サラは俺に時間を稼げと伝えているんだ!
「……はっ」
汲み取って、思わず笑っちまう。
あいつ、なんてことを頼んできやがるんだよ。
こいつを相手に一人で時間を稼げってか?
こんな無様に倒れて、見るからに死にかけている俺に、よくもそんなことを言えたもんだ……。
――その信頼、ありがたく背負わせてもらおう。
「んー? 意識はあるようだけど」
インガはもうすぐ傍にまで来ている。
いいぜ……もっと近づいてこいよ。
俺は待つ。
HPはギリだが、【補填】は使わない。
ここでSPを大量消費しては本当にどうしようもなくなる。
それに、こいつを相手には多少のHPの差なんて関係ないだろう。
0か、1かだ。
それを覚悟して俺はじっと、インガを待つ。
「なのに起きないのは、諦めたのか。だとしたらガッカリなんてもんじゃないが」
つまらなそうに言って、インガは俺に手を伸ばそうとしてくる。
ここだ! ここしかねえっ!
【武装】+【活性】発動ぉ!
「うぉおおっ!」
「!」
叫びながら武器を手に立ち上がって振りかぶる。インガは少しだけ目を見開いて、だがすぐにニヤリと笑った。『食らってやるよ』。奴の顔はそう言っている。
舐めやがって……上等だぜ!
せいぜい歯ぁ食いしばりなぁ!
「『恨み骨髄』!」
気分はホームラン打者。背骨のバットでインガの頭部というボールを打ち抜いた。
奴がやった分の恨みパワーを纏った『恨み骨髄』は確かにドタマにヒットし、野球ボールの如くインガをかっ飛ばした。
「ガッ……、」
放物線を描いたインガは短く呻いて、地面に仰向けで落ちた。そして動かない。
やってやったぜ……間違いなく過去最強の一撃。
これをああも無防備に受けたからには、いくら硬ぇとはいえ相当な……。
「――アッハッハ!」
俺の希望を打ち砕くように、倒れたままのインガが高笑いを上げた。
「いーいねぇ! なんだい今のは!? まるで自分の拳がそっくり返ってきたような感じだったよ!」
よっと、と背筋で飛び起きるインガ。
その動作からも口調からも、ダメージを負った形跡はまったく感じられない。
こいつ、マジか! あんだけの恨みパワーでもダメだってのか……! ここまでとんでもねえとは……いや、冷静に考えりゃそれも当然かもしれねえ。
だってあいつは、さっきから明らかに手加減して拳を振るってるんだからな……!
「さて、今のはなかなか良かったが……まさかこれで打ち止めってんじゃないだろうね?」
「ああ。安心しろよ、まだ芸はあるさ……」
『レベルアップしました』
視界に浮かぶその文字列を見て、俺は薄く息を吐く。
土壇場でのHP・SP全快とステータスの成長。
嬉しいこと尽くめのはずのそんな表記も、今はそこまで素直に喜べない。
たった一発殴られて、たった一発殴り返して。
そんだけでレベルが上がるなんて、今まではなかったことだ。
しかも、俺はついさっき蠍の経験値でレベルアップしたばっかなんだぜ?
つまりそんだけ、俺とインガには著しい差があるんだ。
ちょっとやり合っただけで次のレベルに足りるくらい、経験値がふんだんに入ってきているってことだからな。
だがよ。
それをただのシステムだと思うか……ここで男を見せろっていう激励と取るかは、俺の自由だよなぁ!
「空気読めてやがるな。こいつは最っ高のスキルだぜ!」
開かれたステータス画面、スキル一覧の項目。そこに記されたNewを頼りにそれを見つけた俺は、説明を読んでテンションがぶち上がった。
そこに加わっていた新スキルの名は【心血】。
『【心血】:我が身を犠牲に得る力はあなたを死へ追いやる。しかし、臆するばかりが生き長らえる道とは限らない』
「相変わらずの説明文だが、感覚でわかるぜ。こいつは【補填】の逆バージョンだってことがよ」
「何を言ってるやらさっぱりなんだけど?」
インガが口を挟んでくるが、どうでもいい。俺は興奮している。【心血】とはずばり、HPをSPへと変換するスキル……!
どうやら【補填】よりも変換効率が悪いようだが、その代わり【補填】にはできない上限を超えての変換を可能とさせるのがこいつの強味だ。
レベルが13になった俺のSPは最大で45。
これを全部使ってもまだ足りないあいつが、【心血】を使えば呼べる。
俺は迷うことなくHPを犠牲にしてSPを増やしにかかった。
「せっかく全快したばかりだが、これでまた死にかけに逆戻りだ。だがその価値はあった!」
「ふふ、諦めてないなら何よりだ。だけど、いったい何をしようってのさ?」
「決まってんだろ! てめえをぶちのめすんだよ――こいつと一緒にな! 【契約召喚】!」
ズォオウ、とどこからともなく黒い風が吹き、目の前で渦を巻く。
そこに向かって手を翳して、俺は叫んだ。
「来やがれ! そしてその恨みを晴らせ、『ドラゴンゾンビ』!」
「グォオオオオオオオオオゥルッ!」
俺の声に呼応して、風を弾き飛ばすようにそいつは出てきた。
生ける屍の竜、ドラゴンゾンビは空間全体を揺さぶる咆哮を上げると、仄暗い赤の光が漏れる眼窩をインガに向けた。
その瞳なき瞳には、死してなお薄れない強烈な怒りが宿っている。
「お、おぉ!? ハハッ! こいつはまさか、私が始末したあのドラゴンか!? へぇえ、ただどかしたんじゃなくこんな形で使役するとはたまげたね!」
けらけらと、死竜から放たれる殺気にももどこ吹く風でインガは手を叩いて愉快ようにしている。
こいつ、どこまでも舐め腐りやがって……!
「存分にやっちまえ、ドラゴンゾンビ!」
「できるかな? 所詮は私に敗れ死んだ、負け犬ならぬ負け竜ごときに!」
インガの挑発と、ドラゴンゾンビが動き出すのは同時だった。