273.死ね!!
「【配列】発動。対象は【闇撃】」
魔皇を囲む無数のマリアとその使い魔。一斉に攻撃へ移る高度な幻覚から魔皇を守るようにして球体状にまとまった【闇撃】が等間隔に配置される。
「っ……、」
「ふ――、」
狭まる包囲網と広がった闇がぶつかり、弾ける。揺蕩う黒煙、そして崩れていく偽マリアたちの間を魔皇は飛ぶ。
【浮雲】というスキルによって重力の枷より解き放たれている彼だが、その飛行速度は決して速いとはいえない。しかし【浮雲】の本領はその変幻自在の軌道にこそある。まさに空に浮く雲の如くにふわふわと捉えどころのない飛び方は四方八方を敵に囲まれた乱戦にこそよく適していた。
「乱戦と言っても敵は一人と一匹だがな……さて、大方をやったつもりだが偽のマリアが数を減らした様子はなし。白あんを潰さねばこの物量は終わらんということだな」
背後から飛びかかってきた三人のマリアを闇のオーラで貫き、魔皇はそう独り言ちた。
白あんに何ができて何ができないかは彼にもよくわかっている。幻の完成度と持続性を高めているのはマリアなのだろうが、術の大元はやはりあの白兎。であればまず探すべきは本物のマリアよりも本物の白あんだろう。
「ふむ……」
そう決めたはいいが言うは易し行うは難し。
何人やられようと構わず距離を詰めてくる集団のマリアに隠れるようにして無数の白あんは一羽たりともこちらに近づこうとせず、まんじりともしない。幻惑能力の維持のみに徹するつもりでいるのは明白。
そうなると前述した通り幻を見分けられない魔皇にとってはますます白あんの本体探しが困難になる。
「実体を持つ幻とは恐れ入った。とまれ感心ばかりもしてられん、マリアは確実に俺が物量に押されたときを狙って本命を通してくる。そうなる前にこの飽和攻撃を抜けねばな――【砦の主】発動」
「「「!」」」
数え切れないほどのマリアたちが一斉に目を剥いた。山が、動いた。否。マリアのスキルと魔法によって瓦解した土塊や土砂、岩石たちが宙に浮き上がったのだ。
「この百年、俺自身が得たスキルというものは言うほど多くない。だが俺の新しい仲間たちが遺していったものはしかとこの身に息づいているぞ。例えばこれがそうだ――創作能力!」
「「「……!」」」
組み上がった土と岩が巨大な剣となって振り落ちてくる。その刃に切れ味がないことは一目でわかるがそんなことは関係ない。これだけの質量があればなんだって叩き潰せてしまうのだから。
花火のように散開するマリアと白あんの群れ。【死兆】は身に迫るあらゆる危機を回避可能なタイミングで教えてくれるが、それ以外のことには反応を示さない。
故に幻だけに攻めさせて本体は透明化でも用いて離脱しているのではないか、とも推測していた魔皇だが、この逃げ方を見て別の確信を抱く。
――マリアはすぐ傍にいる。
でなければもっと早く巨剣の生成にも気付いただろうし、どうせすぐに再出現するのだから幻が一度消え去ることを過度に恐れる必要もない。
白あんだけを逃がさずマリアの幻までも攻撃から逃れようとするのは、見つかり次第即座に反撃を貰いかねない近距離に本体もいるから。
おそらく僅かな隙も見逃さないようにとそうしていたのだろうが、それは魔皇にとっても好都合な結果を生んだ。
「爆ぜろ!」
「「「!?」」」
組み上げることができるなら自壊させることもまた自在。
剣の形で落ちてきたものが一転、ただの土や岩に逆戻りする。
しかし落下の勢いは変わらず、しかも広がったそれらの降り注ぐ範囲は剣の軌道上よりも遥かに広範囲であり、散開したマリアたちの頭上を完全に覆っていた。
大質量の大雨、文字通りの土砂降りが魔皇ごと無数のマリアたちを飲み込む。
「――そこだな!」
「!」
当然魔皇ともなればどんなに大量だろうと土砂や石ころ如き物の数ではない。それはマリアも同様だが、幻たちは違う。白あんの幻術に皮を被せただけの非情に脆い偽マリアと偽白あんたちは一体残らず消滅してしまった。
術そのものが切れたわけではないので、先ほど【闇撃】の一斉爆破で消えたのを瞬間的に埋め合わせたように大して間を置くことなく同じ数の幻をすぐに展開することはできる。
が、それに要する一瞬を魔皇が与えてくれるはずもなく。
「【闇空】――」
「っ、【渙発】を発動!」
こちらに向けて闇が伸びた。それを確かめたマリアは白あんを土砂から守るべく唱えていた『ホワイトヴェール』を解除し、その直後凄まじい勢いで飛来してきた魔皇に対しスキルを発動させた。
「【遊山】発動」
「なっ……、」
スキルの性質と相まって絶対に避けられない。
そう確信できるだけのタイミングで放たれた【渙発】の光の暴撃を、魔皇はゆるりと空間を揺らめいて躱してみせた。
まるで野を舞う蝶のように優雅に、しかしてその実【闇空】を潜った速度そのままの素早さでマリアの横をすり抜けた魔皇は。
「キュー!」
「すまんな白あん――【柘榴の実】発動」
「ギュッ、」
自分が狙われていると知るや果敢に蹴りつけてきた白あんの大きな脚をやり過ごし、そっと腹に触れると同時にスキルを発動。――途端に白あんはその中身を飛び散らせ、真っ白な身体を己が血で真っ赤に染め上げた。
「キュ、キュ、……」
小さく浅く息を繰り返す。
腹の内から爆ぜたような惨状を晒しながら白あんはまだ生きていた。その鳴き声は痛みに悶えるものか、主人へ助けを請うものか。いずれにせよ残酷極まりない所業をなした魔皇を、マリアは強く睨みつけた。
「何故よりにもよってそんなスキルを……! 一思いに殺すこともせず!」
「当然、一思いに死なれては困るからだ」
なんてことはないように返答する魔皇の言葉は本心だ。部位の一部を破裂させるという無慈悲極まりない【柘榴の実】は、その凄惨さとは裏腹に魔皇が持つスキルの中では群を抜いて加減の調節がしやすいものでもあった。
この場合の加減とは威力ではなく被害者が死亡するまでの時刻を正確に操れるという意味で使われるものだが、そういった特性を存分に活用し、かつてよく可愛がっていた白あんを血達磨にしてでも即死させなかったその訳とは。
「素材がいるんでな。死んで消えてしまっては意味がない」
「……!?」
「今の物量には感じ入ったぞ。――あの戦争で魔族たちの数に苦戦を強いられた経験が俺たちに同じ教訓を学ばせたと見るべきだろう。もっと言えば実体擬きの幻などではなく、戦力として数えられるものを抱えるべきだとは思うが……」
こんな風にな、と。
覚えた手品でも披露するような愉快気な顔付きでいる魔皇のすぐ横で、白あんは微かな鳴き声すら上げられなくなっていた。
地面に落ちて潰れた赤い実を思わせるその爆ぜた腸から、何かが生まれてくる。
いや、腹から生まれているのではない――それは白あんの肉体を使って誕生している。
外れた骨を根幹に血肉を皮膚として纏い何もない空洞の眼がマリアを見据える。
生き物としてはひどく不格好な、他の生き物を殺すことだけを生ける意思とするような悍ましい何かがうぞうぞと這い出て、最後には白あんの残骸は欠片も残らなかった。
「これも新たな仲間から得た力、創成能力。元の持ち主ほど良い出来とは言わんが、素材さえあれば俺にもこの程度はな。その点白あんはなかなかのものだ。媒介としても申し分なしだが、何よりお前と違って敵対心を持ち切れていないのがいい。これだけの数を生み出せたのは白あんが俺を拒絶していなかったからだ」
「【聖句】・【調伏】・【神火】――」
「!」
「――【神槍】を発動」
「ぐっ……!?」
神々しき光と燃え盛る美しい火に包まれた巨槍が一閃。
間一髪のところで回避できたのは【死兆】を持つ魔皇のみ。今し方生まれたばかりの魔皇のペットたちは総勢十五体が揃って消し飛んでしまった。
「ちっ……おい。数任せの攻め方をやり返すつもりだったんだぞ。せめて号令を出すまでは待ったらどうなんだ」
「黙れ下郎が。【絶佳】を重複発動」
「!!」
「【天地】を発動……!」
何もない空中を踏みしめたマリアの一歩。
その踏み込みのあまりの力強さによって、もはや塔のようになっていたはげ山の中心部分もとうとう崩れて。
「死ね!!」
「がっ……!?」
マリアの万感の籠った拳が、魔皇の鼻っ柱へと叩き込まれた。




