272.そうまでしてあなたのすべきことが
「今のを避けますか」
刹那の出来事をマリアは見逃していなかった。彼女が爆破を起こす直前、まるでそのタイミングを読み切っていたかのように魔皇は【闇空】を発動させた。先ほどのように攻撃の用途でマリアへ向けるのではなく、別方向へ展開された闇に魔皇は飛び込んでいった。
(身に纏っている闇と呼応するように【闇空】へ溶け込み、消えた。かと思えば反対側から射出される魔皇を私は確かに見た。あの勢いなら爆破範囲から逃れていても不思議ではありませんね)
まさか【闇空】が移動補助のスキルにも化けるとは。
あれだけの加速はおそらく【闇纏い】とのコンボあってのものだろうが、相打ちとはいえ【輝爆】を受けてもビクともしなかったあの闇のオーラを解除させることはマリアにとっても容易ではないだろう。
ならば魔皇はいつでも緊急回避技が使えるものだと織り込んだうえで戦っていくしかない。
理想はやはり、スキル発動の暇を与えないこと。
それの実現を目指すべくマリアは行動を開始する。
「ちっ……」
爆破の余波によって山は三分の一が崩落し、舞い散る塵埃が視界を悪くさせている。その噴煙に紛れるように宙を漂っている魔皇は、こちらに真っ直ぐ迫ってくる光を見て顔をしかめた。
マリアだ。見通しの悪さも気配遮断スキルも関係なしに位置を正確に見抜かれている。さすがにやるものだと迎撃のために動きかけ、ぴくりと反応する。
これは、違う。
「【暗転】発動!」
【闇空】の残りかすとでも言うべき闇の一粒を目標に飛ぶ。あの大爆発の中運よく残っていたそれの下へ転移を果たした魔皇は、今まで自分のいた位置とそこに真っ直ぐ向かうマリアの姿を俯瞰し。
「【武装】発動――『無窮の鎖』」
彼の武器たる何本もの鎖を腕から飛び出させる。
速く広く、空域全体をカバーするように伸びた鎖はマリアの偽物を捕縛し、その正体を暴くと同時にもうひとつ別のもの……即ち透明になっていた「本物のマリア」の捕獲にも成功していた。
スキルか、魔法か。透明化がどちらの力によるものかはさておき、『無窮の鎖』に捕まればどちらであってもこれ以上の欺瞞は許されない。
「偽物へ注目させておいて自らは身を隠しつつ接近。『暗殺者』のような戦い方は聖女には似つかわしくないんじゃあないか、マリア?」
「……!」
両腕ごと鎖によって縛り付けられたマリアへ笑いかけながら、魔皇はもう一方の獲物にも目を向けた。
「久しいな、白あん。化けていたのはやはりお前だったか!」
「キュー!」
鎖の先で鳴いているのは一羽の白兎だ。
目が三つあることと人を乗せられそうなほどの巨体である点を除けば、まさにどこからどう見てもただの兎でしかない。
しかしそれがマリアの【召喚】スキルによって呼び出された使い魔であることを存じている魔皇は、当然その能力についても把握していた。
「イートゥー、三眼開きし幻獣よ。お前の索敵と幻惑の力には何度も助けられてきたものだが、こうして敵に回せばその厄介さがよくわかる。【看破】のスキルがまるで役に立たんとはな」
「目で見て気付いたわけではない。けれど反応からして予知の類いのスキルでもありませんね。あなたに危機を知らせているのは感覚ですか?」
「!」
訊ねる形となっているがマリアには確信があるようだった。
魔皇がどう答えようとも彼女の中で結論は出ているのだろう。先ほどの大爆発に続いてマリアの取った戦法、その選定理由に気付いた魔皇は小さく鼻を鳴らした。
「【死兆】。五感いずれも気付けぬ危機を警告するスキルを俺は得た……が、それを確かめるための対価としては高くついたようだな」
ぐ、と鎖を引く手に力が込められる。
締め付けが強まり、マリアと白あんの身体が揺れるのを見ながら魔皇は「いい様じゃないか」と失着を嘲った。しかしマリアの表情は依然として無味乾燥のまま。
「『無窮の鎖』……あなたが【武装】で出せる唯一にして絶対を豪語する強力な武器。久しく見ていなかったこの鎖の性能を私もまた身を以って知れました――ですが」
「!」
引き込もうとした魔皇の手が、止まる。
ピンと張った鎖がマリアの抵抗を表している……そして魔皇の手元に伝わる感触はそれだけではなく。
「まさか……!?」
「この程度で私をどうにかできると本気で考えているのなら……あなたは敵ではない」
ぶちりと薄絹を裂くように鎖の束が引き千切られる。自由を取り戻したマリアは光の速さで白あんの下へ向かい、その身を拘束する鎖も断ち切った。
「『無窮の鎖』が……!」
こんなにも簡単に無効化されるはずはない。
魔皇の【武装】は最高LVの10へ到達している。呼び出せるのはマリアの言う通りにたったの一種類だがそのぶん、強い。
どこまでも伸び、強靭で、敵に纏わせば拘束具となり自分に巻けば武具にも防具にもなる。
さらには魔皇が持つ各種闇系のスキルとも相性がよく、今も【闇纏い】によって鎖も強化されていた。
あの力自慢のインガが全力を出したとてヒビひとつ入らない代物であり、ましてやその束を引き千切るなど誰にも不可能である。そう、たとえそれに挑戦するのがマリアであったとしても。
そう信じていただけに魔皇の心胆は大きく揺らぎそして――鼓動を激しくさせる。
歓喜によって。
「くくくく、不可能を可能にするからこその勇者か! 魔皇たる俺を敵ではないとはなんとも不遜、だが面白い!」
「面白い? この期に及んでまだあなたは私と遊んでいるつもりですか?」
「勿論そうだ。これはお前を下すためのゲームに過ぎん! 世界を獲る大一番の前座、言うなれば前夜祭のようなもの。これぐらいはやってもらわねば楽しみにもならん!」
「殊更に楽しむことを強調する……それは重圧の裏返しにも思えますが」
「……!」
「問います。あの日、私の下から去ってまで。本当にあなたのやりたかったことがこれなのですか」
「何度聞かれようと変わるものかよ。これが俺の望んだただひとつを叶えるための道、その選択だ。後悔はない。あるのは確固たる使命と心地良い責任感のみ」
「……もう一度問います。名を変え、顔を変え、性別まで変えて。そうまでしてあなたのすべきことが、これなのですか?」
「くどい! もうかつての私はどこにもいない、ここにいるのは俺となった俺だ。新たなる魔皇なんだ! もはや引き返す道などないのだとまだわからんのか――この期に及んでお前こそが! 俺という未練を引き摺っているように見えるぞ、マリア!」
「…………、」
「倒すんだろう、俺を! その手で! それ以外にないと既に見切ったはずだ、ならば! 最後まで黙って戦え――俺とお前の決着のために! 腑抜けた戯言は捨て置け!!」
「――ええ、そうしましょう」
超然とした顔付きにどこか悲しみを湛えて魔皇の言葉を聞いていたマリアは、軽く目を閉じて。
その瞼が持ち上がったときにはもう、冷徹な鋼のような覚悟だけがそこにあった。
「白あん。お願いします」
「キュー!」
短い言葉。しかし百戦錬磨の主人と使い魔にはそれだけで十分だった。白あんは主が何を頼んだかを十全に理解し、実行する。
「ほう……!」
空間中を埋め尽くすようにしてマリアと白あんのコンビが増殖した。
三百六十度を覆われた魔皇はいたく感心する。どれが本物か、見極められない。それどころか動き出したマリアの全てが【死兆】に反応している。
こんな芸当は百年前の白あんにはできなかった。
(いや、白あんではなくマリアのほうか? あれの幻惑能力を高めるスキルでも得たのか)
百年前にはマリアの【召喚】スキルもLV10となっていた。上位へ派生しないスキルはそこが上限のために、育ち切っている白あんがそれ以上の成長を見せることはあり得ない。
とすればこの増殖は、魔皇の【死兆】のように離れていた百年の間にマリアが入手した新しいスキルによるもの。そう考えるのが妥当だろう。
(俺たちは手の内を知り尽くした同士。だが互いに新たな手札を増やしてもいる……ふふ! いいぞマリア、お前の全てを再び知り直す喜びを得ようじゃあないか!)




