27.『悪鬼羅刹』のインガ
「ドラゴンさんを、殺した……?」
息を呑むサラ。その横で俺も、強く拳を握りしめた。
「てめえがドラゴンを殺って、その死体を横穴を塞ぐ栓代わりにしてたって言うのかよ」
「だからそう言ってるじゃん? 無駄だってのに必死に取り返そうとしてくるのがあんまりにも哀れだったからさ、苦しませずに殺してやったよ。そんなつもりじゃなかったっていうのにさぁ……だって。こっちのほうがよっぽど『良い素材』だったからね。旦那のほうにはちっとも興味なんてなかったから、変につっかかってこなけりゃ死なずに済んだのに」
「そんな……」
「……、」
あまりの言い草に、サラが口に両手を当てて絶句している。俺だって気持ちは同じだ。こいつの態度には、怒りを感じさせられる。
だが当の本人は、俺たちの反応なんて気にも留めやしない。
「ほら、よく見るといいよ。魔皇様の命令で部下を増やす私の仕事っぷりを、確かめに来たんだろう? お生憎様、任務は完了寸前さ。こいつはすぐにも産まれるよ。今更どうこうしたってもう遅いぜ」
「何を勘違いしてんのか知らねえが」
「うん?」
「俺たちはただドラゴンの噂が本当かどうか、確かめに来ただけだ。お前なんてちっとも知らん。もちろん、その任務ってのもな」
「……えっ!」
驚いたそいつは、サラのほうを見て、そっちも頷いたとみるや、しばらく固まって。
はぁー、と肺の底から絞り出したようなため息をついた。
「あっちゃあ……てっきり私たちのことを探ってる連中がついにここを嗅ぎ付けてきたのかと思ったのに、勘違いだったか。こりゃこっ恥ずかしいや。顔から火が出そうだ」
実際に羞恥で体温が上がっているのか、赤褐色の頬を更に赤く染めたそいつはしばらくそうやって悶えていたが。
まあ、いいさと。
またしても急な切り替えで落ち着きを取り戻して、俺たちに笑顔を向け直した。
「どうせ殺すんだ。話そうと話さなかろうと同じことだね」
「「……!」」
ゾワリ――途轍もない怖気が俺を襲う。きっとサラも同じものを感じていることだろう。
圧倒的で絶対的な……死の予感ってやつを!
「ちっとも知らないってんなら、尚のこと。一応はあんたらに名乗っておこうかね」
小さな体からプレッシャーを放ちながら、そいつは自らを親指で差した。
「魔皇様が配下、逢魔四天が一人。『悪鬼羅刹』のインガってのが私の名さ! 種族はオニだ。あんたらが死ぬまでの短い時間だが……よろしく頼むよ、ひ弱な人間たち」
一歩。
意味不明な肩書きとともにインガと名乗ったそいつが歩き出そうとしたときに、俺の横手から影が飛び出していった。
「ボチ!」
俺が命じる前に、ボチが自己判断で敵へ攻撃を仕掛けた。それだけボチもインガが普通の敵じゃないことを理解しているんだろう。凄まじい速度で駆けたボチは、そのまま容赦なく少女の喉笛に噛み付いた。
が。
「はは、忠犬だね。かわいいじゃないか」
「……ッ、」
必死に牙を立てても、まったく刺さっていない。蠍の甲殻を一瞬で噛み砕いたボチの咬筋力がまるで相手になっちゃいない……それはつまりインガが、急所の喉ですら蠍を遥かに超えた頑丈さを誇っているってことだ!
「闘争心は褒めてやってもいい……だが、弱い」
パン、と。
虫でも払うように手を振るったインガの仕草は、ごく軽いものだった。
なのにそれで呆気なく、ボチの肉体は弾けて消えてしまった――。
「なっ……、――てめえぇっ!」
「待って! やけにならないでゼンタさん!」
何が起きたか一瞬理解の遅れた俺だったが、すぐに体中の血液が沸騰するような怒りに身を包まれた。奴のほうへ行こうとして……そこをサラに腕を引かれた。
なんで止めんだよ?!
「落ち着いてられっか! 野郎、ボチを殺しやがった!」
「ボチちゃんはゾンビです、元から死んでます!」
「そういうこっちゃねえだろうが!」
血も涙もないのかとサラを睨めば、サラも俺をきっと睨み返してきた。
「ですから落ち着いてください! 召喚士の呼び出し方には、自らの力で生み出すタイプと、元からいる魔物を遠方から呼び出すタイプの二通りがあります。話を聞く限り、ボチちゃんは前者。だとすれば召喚が解除されたとしても、時間を置けばまた呼べるはずなんです」
「なんだって……?」
いきなりの講釈に俺は目を白黒とさせていただろうが、どうにか咀嚼できた。
サラの言葉は、何度もスキルを使っている側からすると腑に落ちるもんでもあったからな。
急いでスキル欄を見る。【召喚】の項目には……【ゾンビドッグ】がまだ載っている!
今は呼び出せないが、これは【活性】なんかと同じクールタイムが設けられている感覚と一緒だ。
ってことは、しばらくすりゃボチは蘇る!
「サラの言う通りみたいだ、ボチは死んじゃいねえ!」
「よかった……」
俺の言葉に、サラはほっとした笑みを浮かべた。
犬自体は苦手でも、仲間であるボチのことはサラも大切にしてくれているらしい。
「まったく、犬っころの一匹でぎゃあぎゃあと大袈裟な」
「んだと……?」
喜びを台無しにするセリフを吐くインガに、俺はガンつける。
「どの口が言いやがるんだ、てめえ」
「私だからこそ言うんだろ。だってこれから、あんたらは私の手にかかって死ぬんだからね。飼い犬の心配なんてしてていいのかい?」
メキメキと音を立ててインガの腕が形を変えていく。
手の平に開いた穴が、まるで銃口のように俺たちへ狙いをつけた。
「なんだそいつは……!」
「なんてことはないよ。私なりの飛び道具――鬼気一発『弩キュン砲』。手を抜いてやるから、防いでみな」
ぐぐっ、と腕に力が込められて。
ズドンと赤いエネルギーのようなものが撃ち出された。
「『プロテクション』!」
飛来するそれをサラが弾く。
半球状の壁はしっかりとインガのエネルギー弾を防いでくれた。
「ほー、やるじゃないか。だけどこいつは連射が可能でね。続けていくぜ」
「俺が出る、後ろに下がれ! 【武装】、『骨身の盾』!」
「ほれほれほれほれほれ」
前言通り、連続で五発。
襲い来るそれを俺は【活性】も発動させて盾で受け止めた。
俺の後ろからサラも押して支えてくれている。
ズドドドドドッ! と衝撃は凄まじかったがどうにか連射を凌ぐことができた。
バキリ、と罅の入った盾を捨て、次に何が来るかと二人で身構える。
そんな俺たちを見てインガは上機嫌だった。
「大したもんだ! まさか全部防がれるとは――いや、さすがにちょっと手を抜きすぎたか? どうも加減が下手でねぇ。なんと言っても私、飛び道具ってのが苦手なんもんでね」
「なに……?」
あの厄介な蠍共を簡単に仕留めるだけの威力があるってのに、苦手分野だと抜かしやがるのか?
思わず顔を顰める俺に、インガは最悪なことを言った。
「そうとも、私の武器はこっちさ」
手の平の穴を消して、ぐっと拳を作ったインガは、それをこちらへ向けてきた。
「今度はこいつでいくよ」
「……っ!」
ハッタリじゃあない。
まず間違いなくこいつの本命は弾じゃなく拳のほうだ。
ますます激しくなったプレッシャーにそう確信していると、サラが焦ったように俺の服を引っ張った。
「こ、これはまずいですよゼンタさん。何か隠し玉のすごいスキルとかで倒せませんか?」
「バカ、そんなのあったらとっくに使ってるってぇの」
「えー!? ちょっとは期待させてください! 来訪者さんは凄い力を持ってるって聞いてますよ!?」
「他は他、俺は俺!」
「そんな他所は他所、家は家みたいなこと言われても……」
「実際そんな便利なスキルなんてねえんだから仕方ないじゃろがい!」
「ん……そっちの坊やは来訪者なのかい?」
「「!」」
俺たちの会話を聞いて、インガは口の端を吊り上げた。
「だったら死んじまう前に、面白い芸のひとつやふたつは見せてもらいたいところだね」
そう言って、ぴょんと。
膝だけを使った跳躍で軽々と俺たちの前にまでやってきたインガは……言葉とは裏腹に、まずサラへと狙いをつけた。