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228.オイラを愛して死んでくれ

「『大説破』ぁ!」


 インガの機動力を遥かに上回る超速で接近し、袈裟斬りの手刀を振り下ろす。


 あまりに素早いそれはどこから来るか目で追うことができたとしても肉体まで反応に追随させることは難しい。現にそれで先のゼンタは大いに苦しめられた――が、しかし。


「鬼拳」

「!」

「『狂い裂き』!」


 振るわれた手刀に、インガは自らもまた手刀を合わせた。ッキィ――ン、と甲高い音がインガとスオウの間で鳴る。威力はまたしても互角のようだ。


「っ、流石にやるもんさ……!」


 たとえ同じ逢魔四天。同格の相手であってもこと速度の分野で自分に負けはないとスオウは確信している。


 しかしてインガも百戦錬磨の古強者、彼女とて決して遅いわけではないのだ。よーいどんで始まる駆けっこ、あるいは追いかけっこでは敵わなくとも、攻撃の一瞬。ハンドスピードの最高速で言えばインガはスオウの速度にも十分対抗できるだけのポテンシャルを有していた。


 よって敵の攻めてくる方向さえ見誤らない限り、対応も容易とは言わずともそう困難なものではない。


「ふふん。最速のプライドにケチをつけちまって悪かったね」


「むっ、インガはオイラが戦い続きだってことを忘れてるんか」


「だから動きが鈍ってるって? おいおい! 私らにとっちゃ『さっきの傷』なんてもんは遠い過去のこったろうが!」


 吠えながら両腕を引くインガ。それに応じてスオウも次なる技のための構えを取った。


「鬼拳『薔薇蒔バラマキ』!」


「釈迦力・『伐折羅バサラ』!」


 乱発される拳圧。インガの拳より飛び出した形なき砲弾の雨霰を、スオウはその手で斬り払って無効化させる。


 『説破』と『滅法』を組み合わせた『伐折羅バサラ』は両手を剣に見立てて連続で振るう技だ。力強さに溢れたその姿とは裏腹に『滅法』の利用法と同じく基本は敵の攻撃を捌くために使用されるものであるからして、拳圧の嵐というまさに暴力の権化とも言える技であってもスオウにとってはすぐに止む小雨程度のもの。


 と、言うには少々、インガの拳打は重きに過ぎたが。


「ぐ……! 今度はこっちの番さ!」


 絶え間なく降り注いだ見えない砲撃を防ぎ切ったスオウは、技の終わりの一瞬を見逃さずにインガの懐へと飛び込んだ。


 そこはお互いの射程圏。とはいえ背丈の関係上リーチはこちらのほうが長い。腕の長さだけで言ってもニ十センチ以上の差があるはずだ。たかがニ十センチ、されどニ十センチ。近接格闘においてこの間合いは重大な意味を持つ。


「釈迦力・『魚鼓』!」


「がふッ、」


 ニ十センチの先から叩き込んだのは衝撃波。直接拳を当てようとすればそれこそ差はニ十センチのみに収まる。インガならば強引に埋めることもできる距離だ。


 そのために少女はリスクを負うが、スオウもまたインガの反撃を受けるリスクを背負わされる。


 そんなことになれば損なのはこちらのほう。


 そう判断したスオウはリーチの差をもっと伸ばし、インガの腕の届かない位置から、さりとて離れすぎて衝撃が弱まらないギリギリの間合いでの攻撃を選んだ。


 威力の減退が始まらないうちにインガを捉えた『魚鼓』は彼女の肉体を硬直させた。それはスオウの狙い通り。ダメージという観点ではこの一発程度で与えられるものなんて高が知れているが、しかしこれでインガには隙が生まれた。


 本命を叩き込むための絶好の機会が生まれたのだ。


「釈迦力・奥義!」


 今度こそ最接近。自分の拳を直に当てられる距離まで肉薄する。如何にオニが頑丈とはいえまだ動けはしない、確実に決まる。


 そう思っていたが――。


「鬼涙送葬……」

「!?」


 発された言葉。握られた拳。どちらにも並々ならぬ力が籠っている。


 奥義へと移行しながらスオウの眼差しは驚愕に揺れる――何故動ける。

 インガの強さについては過不足なく認識していたはず。

 そのうえでもう数瞬は硬直が続くと強く確信していただけに、これは想定外の事態だった。


 見誤っていたのか。インガが欺いていたか、もしくは。ここしばらくの間にまた飛躍的に実力を伸ばしたとでも言うのか? 


 どちらとも知れないがしかし、スオウはもはや引けはしない。この位置で攻めを中断してしまっては却って危険を晒すことになる。


 このままぶつけるしかない――自らの奥義を!


「『菩提』!」


「『因果拳』!」


 拳と拳が真正面から衝突する。当ててきた。偶然ではなくインガが狙って己の拳を標的としてきたのは間違いない。


 その精密性もさることながら、それの意味するところを知ってスオウは強く歯を噛み締めた。


「……っぐぅ!」

「づァ……ッ!」 


 拳撃が互いを弾き合う。

 ビリビリと双方が骨の芯まで響く痺れを覚えながら二人は後退した。


 スオウの顔には苦みが、インガの顔には凄絶な笑みがあった。


「はっ……! いいねえスオウ! 腕がおしゃかになるかと思ったぞ!」


「インガ……! オイラの『菩提』を!」


「おうともさ、やらいでか! 特殊な打ち込みでガードを無意味にするお前のその奥義! どこを殴っても確実に弱点まで威力を伝えるってんだから対処は簡単じゃあないよな。なんせ身を守ろうとするほどに無防備になっちまうんだから。ならどうすりゃいいか……そうだ、迎え撃てばいい。防御じゃなく攻撃で歓迎する! 『菩提』を殺すにゃそれしかない!」


「……っ!」


 理屈の上ではそうだとしても、そんな殺し方を実行するのは大半の者にとって著しく難度が高い。はずが、インガはあっさりとやってのけた。しかもやり過ごすなどというレベルではなく完全に相殺してみせたのだ。


 それを本人は大した偉業とも思っていないのだから参ってしまう。スオウからすれば屈辱もいいところだ。


 そして彼女の眼。

 観察眼もまた恐ろしい。


 『菩提』の解説など勿論スオウはしたことがない。これまで共に戦ってきた身として技の大まかな性質くらいは知られていたとしても、それ以上のことは何も詳らかとなっていないのた。


 なのにインガは正確に技の要訣を言い当てた。


 己の眼力と見識だけで奥義を丸裸にしてしまったのだ。


 これが何度か技を食らった末での結論ならばそこまの驚きもない。

 だが、インガに向けて『菩提』を放ったのは今回が初。

 仮に逢魔四天として轡を並べた当初から彼女が自分をいずれ戦う敵であると認識し、密かに観察を重ねてきたとしても、この結果を引き出すことなどそうそうできるものではない。


 ――強い。途轍もなく強い。


 実力に関してはスオウもまたインガのほぼ全容を把握している、つもりだった。だがいまいち想像と実像が重ならないのは、やはり見誤っていたからなのだろう。


 肉体も精神も。

 戦闘における知識と経験も。

 その全てを一回りほど上方修正する必要がありそうだった。


 だと、するならば。


「とんでもない奴さ、インガは。魔皇様が一等目をかけるのも納得の強さだなぁ」


「はは、そいつはどうかね。逢魔四天の要件が強度であることは当然としても、魔皇様が重視してるのはそこじゃあないだろうよ。あんただってそれはわかってんじゃないか?」


「……ああ、そうなんかもな。だからオイラだって、共感は本物なんだ。魔皇様の気持ちもわかっちまう。だけど――」


「だけどお前はそっち側だ。なら魔皇様だけじゃあなく、私や、お前がお友達をしていた人間側の感じるところも想像がつくだろ」


「……、」


「しゃしゃってくんな、ってことさ。調整役なら表舞台に出たりせずそれに徹しとけ。そうすりゃこうもならなかった……つっても今更だね。現にこうして私らは殺し合ってんだから」


「にししっ……何もかもインガの言う通りさ。あっちへこっちへと紛れ込むのは、色んな奴と知り合って仲良くなれて楽しくもあった。でもやっぱ、キツかったな。オイラにゃ向いてないかもしれねえ。何度そう思わされたことか」


 それでもよ、とスオウはだらりと下げた両腕の手の平を開いて。


「このまま黙って消されてやるわけにゃいかねえから。心象偽界――」


「!」


「――『厭魅悲恋歌えんみひれんか』」


 ひとたび発動してしまえば、己に確勝をもたらすその偽界を構築した。


「オイラを愛して死んでくれよ、インガ」


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