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223.『厭魅悲恋歌』はそれを許さない

 ――くことはなく。


「…………っっ!?」


 混乱する。脳がうまく働かない。何が起きてんのか俺にはさっぱりわからない。


 もう数センチで当たる、というところで止まっちまった拳。スオウは俺の腕を掴んだわけでもガードしたわけでもない。ただそこに立っているだけだ。だから、【黒雷】を止めたのは他でもない……俺自身ということになる。


「にしし。ありがとな、ゼンタ。オイラを殴るんをやめてくれて」


「っ、てめえ……!?」


 まるで気の置けない古くからの友人にでも向けるような笑みで礼を言うスオウを、ぶん殴りたくてしょうがない。なのに俺にはそれができない。


 やっちゃいけない、と強く思っちまってるからだ。


「いったい何をした!? 偽界の力だってのはわかってる、だが――」


 だがおかしい。仮に偽界の能力か、あるいは偽界内でのみ使える特殊な魔法か何かで俺の体を縛ってるんだとしても、この周囲の風景はどういうことか。


 ――そのままだ。さっきまで俺たちが戦っていたダンジョンの一部エリアのまま。どれほどつぶさに観察しても同じ場所にしか見えねえ。なんせ、スオウが戦闘前に置いた風呂敷もまだそこに転がってるくらいだ。


 偽界の構築に失敗した……?


 そいつはいかにもありそうなことだ。聞くに心象偽界は一撃必殺。それはほぼ必ず相手を殺せるという意味でもあれば、二撃目が叶わないという意味でも限りなく正しい表現だろう。


 消耗が激しく、連発はできない――はずの魔法。

 スオウは俺と出くわす前、すでにジョンたちとの戦闘時に偽界を開いている。

 だったらその直後にまた偽界を開こうとしたってできるはずがねえ。


 と、俺としちゃ希望的観測込みでそう考えたいところではあるが、現に異変は起きている。


 どうしてもこの腕を振り抜くことができねえ……! 


 倒さなくては、という意思はあるのに。

 しかしそれと相反するおかしな感情が俺の中でどんどん大きくなっていってる。

 そのせいで【黒雷】も【超活性】も解除された。

 『滅法』とやらでかき消された不浄のオーラのように、強制的にじゃあない。


 俺が自分でスキルを解いちまったんだ。


「くそっ、なんだってんだよこれは!」


「もういいんさ」


 戦う気力がどんどん薄れ、何をやってるのか、何がやりたいのかもあやふやになっていく。

 それでもなけなしの精神力で殴るポーズだけは取り続けていたが、そんな虚勢は軽く見透かされちまってたようで。


 引くことも進むこともできない俺の拳を、スオウの手がそっと下ろさせた。


「無理なんだって、ゼンタ。オイラの『厭魅悲恋歌えんみひれんか』はそれを許さない。オイラに害意を向けることはできなくなったんさ」


「……!?」


「景色が変わってないことに戸惑ってたみてーだけど、これがオイラの偽界で間違いないぜ? ちょっと特殊なんだ。オイラは心の中の世界に閉じこもったりはしないんさ――自分だけの世界は、いらない。だってそんなの寂しいだけじゃんか。ゼンタもそう思うだろ?」


「…………、」


「インガたちのように閉じ込めることはできない。有利な空間を作ることもできない。相手の偽界に干渉する力もない。その代わりオイラの偽界は能力特化。たったひとつだけのシンプルな効力だけに全てが注がれている。そこはインガの偽界とも似てるかもな」


「たったひとつの、能力――?」


「そうさ。作用はただ一点、ゼンタの胸の内。浮かぶものはひとつ……オイラへの愛情だ」


「あ……愛情、だとぉ!?」


 気色悪い発言にぞわぞわと背が震えた。

 だが心のどこかでは腑に落ちている。


 なるほど確かに、この気持ち。こいつを決して傷付けちゃいけないと思うこの感情は……愛情と称すほかないだろうと。


「んな馬鹿な! 気持ちなんてあやふやなもんを操りやがったってぇのか。愛情を捏造するのがてめえの偽界の力だって!?」


「にっしっし! そうだ! ゼンタはもうオイラを好きになってんのさ! 誰より大切な仲間だって認識してる! 今の今まで敵として見てた相手だ、齟齬があって当然。頭と情緒が混乱するのは自然なことだぜ。でも、今はどうだ? 胸騒ぎもだんだん落ち着いてきたんじゃねえか? もうオイラを敵だとは思えなくなってるだろ?」


「なっ、めんなぁ……!」


 下ろされた拳をもう一度振りかぶろうとしたが、そこで止まっちまう。どうしてもそのまま殴りにいくことができない。そうしようとすると、どうしようもなく胸が痛むんだ。


 絶対に傷付けちゃいけない、守ってやらなくちゃいけないやつを、俺の手で害する。


 そんな罪深い行為に手を染めるのだと思えてくる――だから殴れやしねえ。


「ほー、まだ意思はそのままか。それもスキルの力なんか? どうもオイラの偽界を何かで弱めているみてーだけど、無駄だぜ。他所の偽界を防げない代わりに、他所の偽界だってオイラの能力は防げない。攻撃の手は止まってもオイラを好きだって気持ちは止まらないんさ!」


「ふざけたことを言ってんじゃねえ、こんなくそったれな能力なんざ気合で吹き飛ばしてやる……! 逢魔四天を仲間だなんて勘違うはずがねえんだ!」


「駄目さゼンタ、これは理屈じゃねーんだ。感情論なんだ。頭ン中でどれだけ考えたって答えは出ない。それはもう心で出しちまってるんだから、どんなに不都合に思えたって納得しないわけにはいかない……オイラを好きにならずにいられない」


「……!!」


 そんなことがあっていいのか。エニシの無限生成、シガラの地形操作。どちらも恐ろしい能力ではあったが、スオウのそれは次元が違う。戦いようがないどころか、そもそも戦いにもならないような力だ。


 敵だろうと誰だろうと深く己への好意を植え付ける偽界――そんなの反則中の反則じゃねえかよ!


「ジョンさんとマーニーズさんもこれにやられたってことか……!」


「にししっ、あいつらも偽界で対抗しようとしたけどな、それも無駄無駄。オイラを攻撃できないんじゃどんな力があったって無意味さ。でもなゼンタ、オイラのほうはそうじゃない。釈迦力――」


「!」


「『魚鼓』!」


 腹に当てられたスオウの拳。そこから生じた衝撃はズン、と俺の全身を砕かんばかりの勢いで広がっていった。叩かれて柔らかく調理される肉の気分を味わったぜ。


「ぐはっ……!?」


 遠くから当てられたときとは威力がまるで違う。【超活性】もねーんで余計に痛い。足がふらつき、姿勢が下がる。そこにスオウは。


「『説破』!」


「ッ……!!」


 打ち下ろしの手刀。それに後頭部をやられちまってはとても立ってはいられねえ。


 たったの二発で甚大な被害を負った俺は、簡単に地に膝をつかされ。


「なあ、ゼンタ」


 カチカチと目に火花が飛んでいる俺の横に、スオウがしゃがみ込んだ。

 そして馴れ馴れしく肩に腕を回してきやがる。


 なんのつもりだ、とまだ焦点の覚束ねえ目で睨んでやれば。


「ここだけの話な」


 俺の耳に口を近づけて、内緒話の声量でスオウは言った。


「オイラ、今日は誰も殺してねーよ」


「……!?」


「にしし。嬉しいか?」


 どういう、ことだ。殺してねえ? 皆無事だってことか?


 こいつと同行してたA班はもちろん、ジョンたちも。ひょっとしたら話には出てねえB班のカルラやガレルたちの命も危惧してただけに、確かにこの知らせは朗報だ――しかし、待て。


 スオウがなぜわざわざそんなことをする。

 そんで、なぜそれを俺に教えるのか。


 まさか嘘を言ってぬか喜びさせてさらに俺の気力を削ごうとでも企んでるのか……いや、この状況。それこそそんなことをする必要性がわからん。


「……紅蓮魔鉱石を奪うってんなら、邪魔者は消すのが一番だろうがよ。どうしてそうしなかった」


「命令的には、殺せる奴は殺すっていう皆殺しキルオーダーだったんだけどな。でもまあ、全員手練れだったしさ。たまたま仕留め損なってもそんなにおかしなことじゃあねーだろ?」


「……、」


「ありー? 喜んでくれると思ったんだけどな。エンタシスも生きてんだぜ、嬉しいだろ? ……それに、ほら。ここでオイラが魔皇様の命令通りにしてたらお前たち人間側の勝ち目なんて本当になかったぜ? ゼロとは言わねーけど、ゼロも同然さ。そーいう意味でももっと感謝してくれたっていいんじゃねえか?」


「……!?」


 俺たちの勝ち目を残した、だと……?


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