202.生の限り死を想え
「……!」
メモリが使う『死の軍勢』は禁忌魔法に分類される死霊術のひとつである。
通常複数隊の骸骨霊を指揮する目的で唱えられるその術の応用が『死の軍勢・涯』。軍勢の名に反し一個の巨大な骨腕を出現させ、自在に操る強力な死霊術。これはもっぱら骸骨霊では対応しきれないサイズの敵を前にした場合や、あるいは単純に破壊力を求められる場面において使用される。
ネクロノミコンを持つ以前から習得してはいたものの、メモリが『涯』を万全に操れるようになったのは持ち手となって以降のことだった。今では上巻と中巻、二冊のネクロノミコンから所持者と認められており習熟度は更に上がっている。そんな彼女が、故に強敵であるインガ。逢魔四天の一角に対してこれをぶつけたのは当然の選択であったし、決して悪くない一手だったはず。
しかし的確に攻めたはずの少女は今、不審の感情も露わに眉をひそめている。
ほんの僅かな表情の変化。だがそれは、常日頃周囲仲間たちから呆れられるほど表情を動かさない彼女にとっては苦渋に満ちた顔だと評しても差し支えないものであった。
「なんだ……強いじゃないか、あんたたち」
――受け止めている。
上から叩き付けられた巨大な骨の手の平を、インガの小さな細腕が苦も無く防いだ。
メモリが操ろうとしても骨腕はビクともしない……それだけの力で捕獲されてしまっているのだ。
「サラもメモリも、そのワンころも。ひょっとしてだが――私の『敵』になれるのか……?」
「「「……ッ!」」」
ゾクリ、と激しい悪寒に苛まれる。
インガ以外の一同が我知らず背筋を震えさせたと同時、骨腕が砕け散った。粉微塵になって消え去るそれがただ単にとんでもない握力で握り潰されただけだとは誰も思うまい――使役者として直接それが伝わってきたメモリですらもにわかには信じ難い現象であるからして。
「ちっ、鬱陶しい火だな」
ひとつの術を力のみで防いだインガだが、その身を襲うのは『涯』ばかりではない。纏わりついて少女の肉体を燃やす青い炎は未だ健在。そんな目に遭えば本来なら鬱陶しいの一言では済まないはずだが、インガにそこまでの痛痒は見られない。とはいえ自ら獲物を喰らわんとする意志持つ炎はさしもの彼女でも無視はできないようだ。
だから彼女は。
「『鬼火』」
「!」
自身もまた火を生み出した。赤々と燃える火の塊を手に乗せ、体中に振り撒くように少しずつ握りながら散らす。振り落ちたインガの火炎は自分の肉体を食らわんとしている青い炎を逆に食らい、あっという間に食らいつくし、完全に自由な身となった。
「メモリちゃんの火を自前の火で上回った……?!」
「暴れるだけが能のオニなんだ、術の類いはあんまし得意じゃあないがね。だがそれでも火の扱いに関しちゃ一家言あるつもりさ。例えばこんな風に――水性変化」
「!?」
デロリ、とインガの口から多量の液体が溢れ出して左手に溜まった。ギョッとする少女たちを見て小さく笑いながら、インガはもう一度火魔法を唱える。
「鬼酒万端……『鬼火大炎上』!」
右手の鬼火と左手の鬼酒。
ふたつを混ぜ合わせながらインガはひょうと息を吹きかけた。
あらゆる点で人知を超えた彼女は肺活量もまた並みではない。鬼酒と合わさって著しく火力を増した鬼火は、轟風に乗ることで爆発的な勢いを見せた。
業火の侵略はもはや爆発に等しい。その威力がどれほどのものかは推して知れる。絶対に食らってはならない、とサラが間に合うことを祈りながら奇跡魔法を唱えようとして……動きを止めた。
広がる爆炎よりなお速く駆け付けたボチべロスがまるで自分たちを守るように背を見せて立ったからだ。
「「「ババウルッ!!!」」」
「!」
三頭での叫び。『ケルベロス』の全力の咆哮は吠えた傍から強烈なハウリングを生みながら空間を走った。その勢いは燃え盛る鬼火にすら劣らず、爆発と衝撃は対消滅するように一定の範囲に凪を作って互いを封じ合った。
「ほぉ……遠吠えなんぞで防いでくれるかよ」
規模で言えば自身の術が勝っていた。
しかしボチベロス周辺に被害は及ばず、サラもメモリもまったくの無事。
これではこちらの負けも同然、と火魔法への面目を潰されたことにインガは口の端を吊り上げた。
「き、傷つかないはずのダンジョンに焦げ跡が……いったいどれだけの」
楽しげなインガと打って変わって部屋の惨状を目の当たりにしたサラは、声を震わせ戦々恐々である。
周辺被害を見るに、今の爆発は少なくとも道中でマーニーズが見せたいくつかの強大な火魔法も超えるような、それこそ表現の仕方すら見つからないほどの途方もない火力を有していたことが明らかだからだ。
「っ……!」
だがそんなことで怯んでどうするのか。
一筋縄ではいかない相手だ、なんてことはとうに承知で挑んでいるのだ。
それにどうだ、自分の仲間はこれほどの威力の技すらも物ともしなかったではないか。
「どーですか! 今の技は『ボチちゃんスーパーハウリング』! インガちゃんの火なんてボチちゃんには通じませんよ!」
「ふーん。それ技だったのか。ただ力いっぱいに吠えただけかと思ったよ」
「な、そ、そんなわけないじゃないですか。七十七個ある超必殺技のひとつですよ。ねっ、ボチちゃん!」
「バ、バウル!」
「きゃあっ! ……あんまり近くで吠えないでもらえると助かります」
「バウ……」
またしょんぼりするボチベロスと、それを見て申し訳なく思いながらも怖いものは怖いのでどうしようもないサラ。
互いに嫌っているわけではないからこそ面倒な彼女たちの関係に、敵であるはずのインガも少々苦笑気味にしている。
「不憫だなぁ、そんなに犬が怖いのかい。そこまで苦手なくせに仲間やってるなんてな……そのせいでほら、隙だらけだぜ?」
「え!」
視界内にいたはずのインガがフッとかき消えた。そうサラが認識したときにはもう彼女は真横へと来ている。
ボチベロスと戯れる気の抜けた一瞬を見逃さず突いたインガ――だがメモリだけにはその速攻も通用しなかった。
「『邪法・無尽屍』」
「おっ……、」
この程度の奇襲は織り込み済み。『涯』を破られた時点から発動の機を窺っていた死霊術をここで使う。敵のほうからむざむざと射程内に飛び込んできてくれたのは僥倖とすら言える……幾本も枝分かれする鋭骨をインガへ浴びせながらメモリは術の出力を上げた。
「おいおい、なんて技量だい。しかもこの術は何を触媒に得た……? 余程の物じゃなけりゃこうはいかんはずだが」
「く……っ、」
命中、なのに刺さらない。
本当ならここでインガは串刺しとなっているはずだが、鋭骨は一本たりともその肌に食い込んでいない。刺さる、どころか小さな掠り傷ひとつすら付けられていないのだ。
よって『無尽屍』はただ絡みついてインガの動きを止めただけ。それも次の瞬間には埒外の膂力によって破られていることだろう。
が、その刹那の硬直が仲間によって活きる。
「『シールドバッシュ』!」
「ふげっ」
ばきり、と枯れた枝でもへし折るような気軽さで骨の檻から抜け出たところをサラのクロスハーツが襲う。バッシュとは名ばかりの横薙ぎの軌道で喉元に叩き付けられた打撃はインガの呼吸を乱した。
「バァウルッ!」
「ぐぎゃっ」
そこへボチベロスの前脚がヒット。先は避けられたその攻撃も今ばかりはインガも反応しきれずまともに食らい、オニの少女はその小さな肢体を投げ出してダンジョンの天井近くまで打ち上げられてしまう。
「あー、やってくれる……ん?」
「『人は何故それを忘れ去ったかのように振る舞うのか』」
ぼんやりと天井の模様を眺めるインガの耳に詠唱が届いた。大禁忌。ある意味ではインガにとっても馴染みのある、されど彼女が知るそれらとは確実に異なる、見たことも聞いたこともない純黒の闇が目の前に広がった。
「なんだぁこれ……?」
「『生の限り死を想え』」
「! ――ッ」
高濃度の闇が滝のように降り注ぎ、インガの姿はすぐに見えなくなった。『死の栄光の終わり』に並ぶメモリ最大の死霊術が決まった……だが一同に弛緩はない。ゼンタを救うためにもここでインガを殺してしまう行為は褒められたものではない。しかしそれでもこの術を使用したのは、当然ながら。
これだけでインガが死ぬとは到底思えないからである。
……しかし死なぬまでも、手負いにさせる程度は追い詰められているのではないか。エリアの一部を筆の一条で塗り潰したようにそこに存在し続ける闇を見つめながら、サラがそう願った矢先。
「あっ……、」
期待を裏切ってごぼり! と突き出るように生えてくる赤褐色の腕。そこから力尽くで闇を掻き分けたインガが出てきた。
体のあちこちにじゅくじゅくとした闇をくっつけたままの異様な出で立ちで、しかし少女は何事もなかったかのように平気な顔をしている。
「あー驚いた。オニの確固たる生命力にゃ死霊術なんて恐るるに足らん! と思ってたんだが、認識を改めたよ。こいつはなかなか効いたぜ」
――さてお前たち。と両手を揉み合わせ、脚を広げて腰を落とし、あくまでも楽しそうにインガは言った。
「いっちょ私と死合ってみるか?」
「……メモリちゃん、次は私が試してみてもいいですか」
「わかった……わたしとボチで時間を稼ぐ」
「はい、お願いします。ボチちゃんもよろしくです」
「バウル!」
「よーしよし、せっかく興が乗ってきたところだ。どうか諦めることだきゃあしてくれるなよ、ひ弱な人間共よ……!」
逢魔四天『悪鬼羅刹』のインガVSリーダー不在のアンダーテイカー。
彼女たちの命懸けの戦闘はここからだった。




