200.ようこそ、僕の世界へ
「ただいまご紹介に預かりました、魔皇軍のシガラです。どうぞよしなに」
インガの横ですらりとした立ち姿を見せるその男は、やはり今まで見た魔族の例に漏れず美形だった。
エニシの、弟。インガはそう言ったか。
その存在自体はエニシ自身の口からも聞かされたし、こいつの端整な顔立ちとモデル顔負けのプロポーションはなるほど、あの女を連想させるもんがある。
美白というより漂白されてるような白すぎる肌や、自らの余裕を見せつけるためだけに貼り付けられた鬱陶しい笑み。
そういう細かい部分まで何かとそっくりだぜ。
「どこへ連れてかれるのかと思えば……待ち構えてたってこたぁ、俺たちに用があるのはてめーのほうか」
「そうなりますね」
「へん。そんじゃあ言うだけ言ってみな」
「大したことではありません。ただ、魔皇様の命によりあなたを抹殺したく」
「……!」
さらりと言ったが、殺意は本物だ。
一見物腰丁寧なシガラの微笑の裏には濃密な死と暴力の匂いがある。
俺を殺すこと。それは既にこいつの中で決定されているんだ。その変更や失敗はあり得ない、と。
やはりこの男も、エニシやインガ同様に何かを殺すことが当たり前の、そして実際にそれをやってのけられるだけの力を持った本物の化け物であるらしい。
「これでわかったろう? エニシの仇を討つってんならこいつのほうさ。ま、ただの同僚よりも姉弟でもあるシガラのほうが役目としちゃ適任だろう。何より魔皇様の選抜なんだ、ちょいと惜しいではあるが、ゼンタ。今回あんたの戦う相手は私じゃあない……生き残ってくれれば勿論その限りじゃないけど」
「おや、聞き捨てなりませんねインガ。その言い方だとまるで敗着を望んでいるようではないですか?」
「おやおや、そう聞こえちまったかい? だったらごめんよ。私はただ自分に素直なだけさ」
「なんの言い訳にもなっていませんが……まあいいでしょう。どちらにせよ。僕が負けることも彼が生き残ることも、確実にない」
こちらから視線を動かさずにいるシガラの笑みが、より深くなった。……こいつさっきから俺ばっかりを見てるな? サラもメモリも眼中にないといった感じがするぞ。
「はは、張り切ってるなぁシガラ。冷静ぶってるくせに割とすぐ熱くなるのはエニシと一緒だね。あいつはもう少し落ち着いてた気もするけど」
「別に熱くなってなどいませんよ。しかし、そうですね。多少なりとも高揚していることは否めませんか。僕とエニシはほとんど同一個体と言ってもいい関係にあった。ですから彼を前にしてよく理解できる……この男こそが僕の命を半分奪った下手人なのだとね」
「……!」
ビリ、と空気が震える。一層濃くなった殺気がシガラを中心として広がり、この場へただならぬ重圧を生み出していた。
ちっ、現状はかなりの窮地ってやつだな。
一対一だとエンタシスをも凌ぐほどの強さとされている逢魔四天が二人……しかも片方は姉を殺された恨みで燃えているようだ。
ただの遭遇戦じゃあなく、確実に俺たちを狙ってこいつらはここにいるんだから、こりゃあ相当にヤバいぜ。
「【召喚】、『ゾンビドッグ』――そんで『変態』『分裂』『合体』! 来い、三体融合ボチベロス!」
「バウルッ!」
だからまずは戦力を増やす。
もはや元のコーギーを思わせる見た目をどこか遠くへかなぐり捨てちまったケルベロスモードのボチを呼び出した。この状態で連れ回すと道行く連中みんなから怖がられちまうだろうが、戦闘時なら最高に頼りになるぜ。
「ひえーっ! そ、それボチちゃんなんですか!? メモリちゃんより変わり果ててるじゃないですかっ!」
「……変り果て……」
「あっ、違うんですよメモリちゃん。今のは言葉の綾です。メモリちゃんはとっても素敵に成長してますよ! だけど私は犬が苦手なものですから、前からきつかったボチちゃんがもっときつくなっちゃったなっていう話で」
「バウ……」
「ああ! ボチちゃんごめんなさい。あなたを傷付けたかったわけでもないんです……どうか落ち込まないでください。犬は苦手でも、私ボチちゃんのことは大切に思ってますから」
「バウ?」
「でもやっぱり怖いのであまり近寄らないでもらえると助かったりします!」
「バウ……」
何をやっとるんじゃこいつら……シリアスなのは俺だけか?
敵よりも味方を怖がらせた事実にボチがうなだれちまうが、憎たらしいことにインガはそれを見て愉快そうに肩を揺らしてやがった。
「あっははは! 賑やかなんだな、アンダーテイカーってのは。私たちを前にしてこの余裕は大したもんだ。……にしても、それって前にもつれてた犬っころなのか? 随分と変わったなぁ、何を食わせたらそうなるんだ。首まで増えてるじゃないか」
「なんでもいいですよ。あの魔物も、人間の女たちも。僕にとってはどうでもいい存在です。喧しいのはあなたに任せますよ、インガ」
「はいはい。コマンダーに選ばれたのはあんただ。あんたがお望みとあらば兵隊としてやらいでかい……念を入る性格だってのも承知さ。もしも邪魔しそうならちゃーんと私が阻止してやる。安心して死合えばいい」
「いいでしょう。それでは始めますか」
何かに備えるようにしているインガの横から、シガラが一歩前に出た。
俺たちのほうに、というよりもやはり俺のほうに近づいたんだ。
「エニシほど得意ではありませんが、ご堪能頂ければ幸いですね。心象偽界――」
「っ、こいつ!」
「――『異土戀天』」
それに思い至ったときにはもう遅かった。俺が行動を起こすよりも早く、拳の甲と甲を重ね合わせたシガラからそれが溢れ出し、怖気が走るほどの勢いで世界を上書きしていった。
瞬きする暇もないほどの一瞬。
だが俺にはその光景がよく見えていた。
完成されていく偽りの世界。
現実へ変換される心象風景。
シガラだけを認め、歓迎するそこは、上下左右の区別なく岩肌のようなものに全周を覆われた殺風景極まりない場所だった。
空気が極端に薄くなった。そう感じるのは異物へ向けられる偽界特有のプレッシャーによるもの。
「ようこそ、僕の世界へ。お持て成ししましょう……あなたの四肢が千切れ飛ぶほど熱烈にね」
変わらぬ微笑。変わらぬ殺意。
だが俺にはそれが、より悍ましいものへ変わったのがわかったぜ。
◇◇◇
「え、ゼンタさん……!?」
「……、」
すぐ傍にいたはずのゼンタが、不意に消えた。それと時を同じくシガラという敵の姿もなくなった。
その事実と、そして消える直前に聞かされたシガラの言葉。
そこからおおよそのことは推測できている二人だが、だからとて落ち着いてなどいられない。
まさか、だ。強力ではあっても異様に消耗が激しく、使い手だとしてもおいそれとは切れない手札であるはずの心象偽界。
そんな奥の手と呼ぶに相応しいものを、たった一人だけを引きずり込むためだけに開幕から用いてくるとは思いもしなかった――。
「こうなったらどうしようもない。その様子じゃあんたらに偽界を開く能はなさそうだし……はっ、これならやっぱり私が控えとく意味もなかったね。万が一は万が一でしかなく、そうそう起こり得やしない。わかっちゃいたが肩透かしは否めんな」
どことなくテンションが落ちているようにも見えるオニの少女インガ。今の彼女からは登場時の覇気は感じられない。しかし、以前にインガがどれだけ恐ろしいか身を以って知ったサラはそんな姿を見せられようと油断などしない。
意を決し、明後日のほうを向きながら頭の後ろをぼりぼりと描いている少女へ、最大限の警戒をしながらサラは訊ねた。
「あなたのお仲間がゼンタさんをどこかへ閉じ込めているんですね」
「ん……ああ、そうだよ。偽界については知ってるようだね。今頃二人はお楽しみってやつさ」
「……なら、こちらから干渉する手段は」
「はは、干渉ね。まあ出るのはともかく入っていくのはそう難しくないよ。ただしそれには不完全でもなんでも、偽界の技術を習得していることが必須だ。そんな腕はないんだろ? だからどうしようもないって言ったんだ。万一にもあんたらがそうしようとした場合、こっちも偽界で防ぐつもりでいたんだよ。サシの勝負ってのがシガラのオーダーだったんでね」
実質的に干渉は不可能。親切にもそう教えてやったつもりのインガはしかし、続くメモリの言葉に瞠目させられた。
「……つまり。あなたならシガラの偽界にも干渉できる、ということ」
「……!」
「よーし、だったらやることはひとつですね。インガちゃん! ゼンタさんをお助けするためにも、私たちをそこへ連れていってください!」
これはインガにとってもまさかだった。
よもや自分たちでは無理だからといって、次に敵の手を借りようと思いつくなど。
なんともはや呆れるほどに豪胆な発想である――しかもその言葉の真意、行き着く先は。
「いいぜ、やってやろう。……なんて私が言うとでも?」
「嫌と言ってもやるんですよ」
「……無理矢理にでも、させる」
「バウバウルッ!!」
「……はっ」
勝つ気満々。そういう表情をして二人と一匹が構えたのを見て、インガは薄く笑った。
200話ヴァー




