191.『勇者』ユーキ・イチノセ
「はじめましてっ! ユーキ・イチノセ、5さいですっ!」
「は、初めまして……俺ゼンタ」
「オレゼンタさん! はじめまして!」
初めましての意味、いまいちわかってない感じすんなぁ。あとオレゼンタじゃなくてゼンタな……いやそんなことよりも。
歌舞伎のようにバンと手の平を向けてくるこの幼児は見栄を切ってるわけじゃあなく、本人が言ってる通り五歳という年齢を表してんだろう。
――五年前にやってきた来訪者が、現在で五歳だと……!?
「どーなってんすかマリアさん」
「ユーキは私の目の前に降ってきました。反射的に抱き留めたのがどう見ても生まれたばかりの新生児であったことには目を疑いましたが……スキルを使って素性を確かめてみて、なお驚きました。自分と同じ職業を持つ子がこの腕の中にいる……確信を抱くには十分過ぎる事件であったと言えるでしょう」
「確信ってぇのは、この子が次に魔皇を倒す番だっていう話か?」
「――はい。自らの子として育てているのは、遠からず死地に送り出すため。正気の沙汰ではないとお思いでしょう」
「…………」
何も答えはしなかったが、俺がどう思ってるかなんてことは筒抜けのようだった。苦い顔で笑ったマリアはきょろきょろと母と俺とを交互に見ているユーキの傍に寄って、その頭を優しく撫でた。
「ありがとう。そうやって憤れるあなたであるから、私は希望が持てる。だからあなたにも同じように、この子に希望を見出してもらいたいと思っています」
「……?」
「ユーキのレベルはようやく70に届いたところです。100レベルの私が殆ど付きっきりで五年間鍛え上げてもここまでしか上げられていない……ですが現時点でもこの子の才能は本物」
「いや、才能ってもよ」
こんなちびっ子が70レベルってのは確かにすげーこったがよ、五歳だぞ五歳。ちゃんと挨拶ができるだけで大したもんだ……そういう年齢に才能もくそもねえだろ。
正しく言うならどんだけ才能があろうがそれを活かせやしないってことだが。
十年後ならまだしも、今のユーキをまさか魔皇の前に立たせるわけもなし……。
「ええ、事態の進行が想像を超えて早まっていることには私も焦りを抱いています。しかし、それでも。まだ間に合う。この子ならばきっと……。ユーキ。見せてあげなさい」
「かしこまりました、母上」
「……!?」
雰囲気が変わった。いかにも幼児然とした無垢な態度から、儀式を行う巫女のような静まりを見せるユーキ。その小さな体から覚えのあるプレッシャーが放たれたことで、俺は大きく目を見開くこととなった。
「心象偽界……未到『光来園』」
――光に包まれる。比喩じゃない。白い光。ただそれのみが俺たち三人を覆いつくしているんだ。
聖痕の間も十分に白かったが、この光はそんなもんじゃない。暴力的なまでに透き通っている。無とは黒じゃなく白を表す。そう否応なしに納得させられちまうような恐ろしいまでの白さが空間を作り上げていた。
体が、重い。
重量が増したとか重力が強まったとかじゃあなく……この小さな世界そのものが持つ圧に、俺の体が、いや、心が膝をつこうとしていやがる。
「こいつは……この感覚は間違いなく偽界だ! 使えるのか……!? 限られた実力者しか会得できないっていう魔法の奥義を、こんな子供が?!」
「その通り。これがユーキの持つ才能の片鱗。私の下へ落ちてきた理由。……けれどまだまだ完璧には程遠い」
「はあ、はあ……っ、」
「おい……!?」
習得してるっつっても偽界を開くのはそんなに大変なことなのか、ユーキは汗でびっしょりになっていた。維持してるだけでもうへとへとだ。
その様を冷静に観察しながらマリアは腕を振った。
ピシリ。
横に薙いだマリアの腕。その指先が刺さったかのように、空間に亀裂が走った。それはどんどん広がりを見せ、瞬時に光の世界をヒビだらけにした。
「この通り――とても脆い」
パリィィイン、と世界が割れる。偽界が解ける。俺たちは元の聖堂めいた大きな部屋に戻ってきていた。
「あ……ぅ」
ふらついたユーキが倒れ込む……そこをマリアが支えて、抱き上げた。
親の腕の中でユーキは眠りについたようだ。
「無茶をさせてしまいましたね。おやすみなさい、ユーキ」
「マリアさん。あんた今どうやって偽界を……?」
「未完成ですから。やろうと思えば柴様にも容易く」
いや全然できる気しなかったんだが。
と顔をしかめた俺に、マリアはあくまで慈母めいた穏やかな笑みを向けてきた。
「もしも今。あなたがユーキのことを敵であると認識していれば、また変わりましたでしょう」
「そーっすかね……しかし起きたばっかだってのにまた寝ちまうとか。いったいどんだけ消耗激しいんだか、偽界ってのは」
「ひとつの世界を創る行為はいくら才能を持っていたとしても決して容易なことではありません。来訪者は特定の魔法を職業に応じて特別な訓練も必要なく身につけますが、心象偽界だけはそうもいかず……本格的な修練を初めて三年未満。たったそれだけの期間でここまで辿り着いたことが、何よりユーキの素質を物語っていると言えるでしょう」
まだ実用に足るレベルじゃあないようだが、来訪者だからってこの歳でこれだけのことができるなんてのは普通ではねえよな。
やはり『勇者』に選ばれるだけあってユーキは凄いやつなのかもしれん。
だが、だからといってだ。
「その才能を信じて……マリアさん、あんたは。魔皇軍との戦いにその子を駆り出させるってのかよ」
「いいえ。ユーキを出すことはしません。そう、今はまだ。仮にこの状態でのユーキが矢面に立つとすればそれは、私が失敗したときになるでしょうから」
「失敗……?」
「今代の魔皇と私の思惑は一致しているのです。『時間が欲しい』。互いの戦力が整うための時間が。今しばらくはそのために時が費やされるはずだったものが、ここにきて均衡が崩れ始めている。おそらくは魔皇のこと、それもまた良しと駒を動かすやもしれません。そうなれば魔皇軍はついに大胆な行動を取れるようになる……」
「つまり……このままじゃユーキを一人前に育てるための時間がなくなっちまうってことっすか。マリアさんはそのことに焦ってると」
「はい、焦っています。教会として必要な支援をするつもりではいますが、『ガロッサの大迷宮』の本格攻略へ臨むという今回の作戦も……私個人はあまり良くないことだと考えております。紅蓮魔鉱石の力について私は何も語らず、関与も致しません。それらは運命を速めてしまうことになるから。決戦の時を近づけてしまう――白と黒の誰もが望まぬ形で。あるいはそれこそが道理であり、私たちはただ定められた結末のひとつを選ばされるだけなのかもしれませんが……いずれにせよ抗うことをやめてしまうわけには参りません」
「…………」
い、言ってる意味がわからねえ……あんましわからせるつもりもなさそうだが、とにかく魔皇軍との直接対決が迫ってる現状がマリアにとっちゃ非常によろしくねえと。
紅蓮魔鉱石の力を解き放つのも、そうしたことで戦争の開幕が早まることを危惧してる……ってことか?
細かい部分はともかく、マリアの憂慮はなんとなくではあるが伝わってくる。
ユーキっつー切り札が本当に切り札としての力を備えるまでなるべく時間を稼ぎたかったのが、まあなんだ。俺たちアンダーテイカーやアーバンパレスが想定以上に奮闘し、敵幹部の一角を切り崩したことで事態が想定を超えて加速しちまったわけだな。
エニシを放置していたらペットにされる被害者数はもっととんでもないことになってただろう。
それをわかってるんでマリアも俺たちのやったことを責めるつもりはないようだったが、それはそれとして。
これ以上魔皇との激突時期をいたずらに早めてはくれるな、っつーのが聖女様の本音であるらしかった。
「私にも確かなことは言えませんが……逢魔四天、魔下三将。報告にあった魔皇軍の幹部たち。彼らが全員、あるいは大半が落ちた時点で魔皇本人も動き出すであろうことは想像に難くありません」
「じゃあそれを防ぐにゃあ、幹部を倒し過ぎちゃいけねえってことになるんじゃ? ……そんなの無理だぜ」
「不可能に思えるでしょうね。会敵してしまえば悠長なことはしていられない。特に、幹部クラスが魔皇の指示に従って攻めてくるような場合は……それは私にもよくわかります。しかし柴様。物事は押し並べて考え方と捉え方次第。時と場合は己が作るもの。例えば敵を倒すことよりも仲間を失わないことに注力するのであれば、私が望む状況を自然とあなたも望むようになるでしょう」
「……まー、そりゃあ。戦闘狂じゃねえんだ。仲間の命より敵ぶっ倒すことを優先するような真似するつもりはねえっすけど。でもそれこそ、そういう状況でもねえ限りは普通――」
「もしもその選択こそが、世界を越え得る唯一の手段へ通じるものだとしたら?」
「え……?!」
世界を、越える。それは。その言い方はまさか。
あるみたいじゃないかよ。
知ってるみてえじゃねえかよ!
元の世界へ戻るための方法を、この人は!
「守るべきを守り、倒すべきを倒す。言葉にすればそれだけの、しかし困難極まりない道。ですが柴様が真にそれを望むのであれば。百十五年前に私が望むべくもなかったその選択をするのであれば――『席』を奪うしかない。そこへ座すための権利を手に入れるより他はないのです」




