188.吸血鬼の始祖
カスカ視点です
「居心地は良くないだろうが勘弁してくれ。急ごしらえで設けた場所なんでな」
端整な顔立ち。粉をまぶしたように不自然なくらいくすんだ金髪。ちらりと牙の先を覗かせて笑う彼女を見て――警戒を解いてはいけない。私はそう自分を戒めたわ。
なんでこうなったのか。
記憶を辿れば事は単純、私は単にヨルについてきただけのこと。
元はと言えば、原因はヨルと教会の遺恨にあった。
いや、それが本当に遺恨と呼んでいいものであるのかどうかも私には判断がつかなかったけれど、とにかく吸血鬼を名乗る者――それも正真正銘の本物だ――に対し教会は諸手を上げての歓迎などできないようだった。
けれどヨルはそれを知ってか知らずか、いつもの調子で自らを吸血鬼であると認めてしまったの。
……そのせいで(なんて物言いを私はヨルに決してしないが)サラの護衛という役目を負って堂々上京してきた私たちのほうが、むしろ率先してトラブルを起こしてしまう羽目になったのよね。
何もしないからサラの傍にいさせろとヨル。
だからと言って吸血鬼を内部に招けぬと教会。
サラの修行が開始されてからも議論、というかその口論は日を跨いでも続いたけれど、最終的にはクララという人の便宜によってとりあえずは中に入ることができたわ。
が、そうやってサラを待つこと数日。
修行に要される時間は思った以上に長くてまだまだ終わりが見えないと悟ったのは、いい加減私も教会の人たちも痺れを切らしかけてた時分だった。
厚意に甘えていつまで居座るのか、というあの冷ややかな視線。それはひょっとしたら私の勘違いで、シスターたちはあくまで吸血鬼であるヨルの動向をそれとなく見張っていただけなのかもしれないが、少なくとも私たちの口から「ここを出ていく」という言葉が聞けるのを待ち望んでいたことは間違いないだろう。
常人なら針の筵で居たたまれないような日々も、ヨルは吸血鬼の矜持とばかりにあくまで堂々と教会のベッドを使い、出された食事を楽しんで過ごしていたが、今でこそ天使として尊大に振る舞うことのある私も元々はしがない一般人。
ただの平凡なる女子中学生であるからして、ヨルのような真似をするには非一般人としてのハリボテが過ぎた――虚勢の皮がそこまで分厚く被れていなかったわ。
生来気の弱いほうでもあるので、もう限界だ。
と心の奥から上がる悲鳴がいよいよ無視できない大きさになってきた頃に、彼女はふらりと現れた。
私とヨルを含めて大勢の前でカーマインと名乗った少女は、実に驚くべきことに、ついでとばかりに「吸血鬼の始祖」であるとも自称した。
ざわつく教会員たちを尻目にカーマインはその滴る鮮血のように真っ赤な瞳をヨルに向けて、我が元へ来いと実に堂々とした様で誘ったのよ。
話がある、と。
――そして現在に至るってわけ。大きな崖の中腹に切り抜かれた穴倉に私たちはいる。翼を持っていなければ帰宅も一苦労なこの場所に、現在カーマインは仮暮らしをしているみたいね。
「そう固くなってくれるなヨルナヴィス。我が血族、最後の子孫よ。何も取って食おうというわけではない……ただ話がしたいだけだ。楽にしてくれていい」
「は、はい……始祖様。そのようにお命じとあらば、そういたします」
「くくっ、今のを命令と捉えるか? まあいい、とにかく気を楽にしろ」
あー、ヨルったらまだガチガチだわ。でも当然よね、緊張するなと言われて解けるようならそもそも緊張なんてしない。
私だって自分が固くなってる自覚はあるもの……でもそれは、ヨルの緊張とはかなり種類の異なるものだと思う。
吸血鬼としての感覚なのか、ヨルにはカーマインが始祖であると――つまりは自分の種族を生み出した大元であり上位種であると、疑いようのない確信を抱いているみたいだった。
だからこうして、ゼンタに任された護衛役もサラの友人だというシスター二人に引き継ぎを頼み、私たちはカーマインについてきた。
正確に言えば、カーマインについていくヨルを一人きりにさせないために私もついてきたのだ。吸血鬼とは一切関係ないんだけどね。
そう、私は吸血鬼じゃないから……このカーマインという少女にまったく信用が置けない。こんな私とも変わらないくらいの少女が本当に始祖なる人物なのか、それが本当だとしてヨルを害さない保証がどこにあるのか。
以前に聞いたヨルの過去を思い出す。それによれば百年以上前の魔皇軍に、ヨルの父親を始めとした吸血鬼一族は参列していたというではないか……であるなら、もしかしたら。
杞憂ならばいいけれど、もしこの最悪の想定が的中してしまった場合は、私がどうにかしなければならない。
カーマインの目的はまだ読めないが、それがヨルに関係していることは確実。なら最低、ヨルだけでもここから逃がせるように心積もりをしておかなくっちゃね……。幸い私にはそれに向いたスキルもあるんだから。
ヨルは畏怖で。私は警戒で。
それぞれ堅苦しい居住まいを直せないでいる私たちを見て、カーマインの目は細まった。
「ふ……まあ、いいさ。ともかくこいつらも紹介しておこう」
! 入口から人が……二人も。さあ挟み撃ちでもするつもりなのかと私は翼を広げて戦闘体勢に入ったが、ヨルに手の平を向けられて制される。
どうやら新たな二人組のうち、女のほうは彼女の顔見知りのようね。
例えるなら軍人めいた硬質な気配を持つその女性は。
「メイル・ストーン……またお前なのか」
「ふん。久しいな、ヨルナヴィス。一時期は常にお前を見ていたが」
「気持ちの悪いことを言うな」
うーむ、このやり取りからすると知り合いといってもあまり仲は良さそうじゃないわね……。
聞けばメイルはあの有名なギルド、アーバンパレスの最高戦力特級構成員の一人なのだという。そして彼女の後ろにいる若い男性もまたエンタシス。
「……どーも」
私たちの注目を受けて彼は能面のような顔でそれだけを言った。
メモリを思い起こさせるほどの無表情さだけど、それでも感情自体は覗かせるあの子と違ってこの男は完全に何も感じさせない。表情筋が動かないんじゃなく、元から存在してないんじゃないかと思わせるほどの鉄仮面ぶりだわ。
メイルも、この男も。
確かにたった一目でも普通じゃないと思わせる何かが、あることにはあるわね。
「アーバンパレスが気を利かせてくれてな。こいつらは私の警護に就いている。ここに移動する間も常に後をつけていたのだが、気付かなかったか?」
どことなくヨルとメイルの剣呑な雰囲気を楽しんでいるようでもあるカーマインがそう問えば、ヨルはいいえと首を振った。
「気付いておりました。しかし始祖様の眷属か、あるいは私とは別の系譜の子孫なのかと……」
「なるほど。お前の立場ではそう考えるのも無理はないな。しかし先に言った通り、今や私の血を受け継いでいる存在はお前一人のみだ。ヨルナヴィス」
「……ええ、心得ております」
……他にもいたなんて私はまったく気付きませんでした。
なんて言える空気じゃないし、言う必要もなさそうね。いいのよ。私は天使だもの。こそこそ隠れているのを目敏く見つける、なんていうのは領分じゃないの。
自分以外に吸血鬼の仲間がいないことを改めて思い知らされたからか、ヨルは少しだけ悲しそうな顔を見せた。けれどすぐに意識を切り替え、意を決したようにカーマインへと言った。
「お話は勿論伺います。ですが始祖様。貴女様は人間の手によって滅ぼされたと父より伝え聞いております。生きておられたのでしたら、何故……それにこの者たちを警護に就ける訳とはいったい」
「まあ待て。当然の疑問だが、あまり逸るな。すぐにそれらは説明はつく……というのも、これからする話に関係しているからだ」
まずは見ろ。
と、カーマインはシルク素材に見える服を大きくまくり上げて胸部まで露出させた。
男性もいるのに、と私のほうが慌ててしまったけどカーマインはちっとも異性(になるのかしら、人間でも?)の視線なんて気にしていないようだった。そして私も、そんなことは考えていられなくなった。
胸の中心。そこにぽっかりと空いた、どす黒い闇を目にしてしまっては。
「つい三日前のことだ。私の隠れ家がある島に……今代の魔皇が訪れた」
「「な……!」」
その突然の告白には、ヨルも私も息を呑むしかなかった――。




