173.どうやったら元の世界に戻れるのか
「あたしはお前のことなんて知らん。何もだ。興味がなかったんでな、べらべらと話すトードの言葉も遮った。だが、お前がこれからどんな存在と戦おうとしているのか……それだけは聞いたよ」
初日の再現のように、倒れ伏す俺に一方的に仮面女が話す。
だがあのときとは違ってこちらを見下ろすのではなく、腕を組んだ仮面女の視線は湖の向こう側へと向けられていた。
「魔族。魔皇ときた。恐ろしい奴だってな。百年前の災厄が世に蘇ったと。はは、私でも戦ったことのないような連中だぞ。そんなのとお前みたいなちんちくりんが戦うのか。なんてこった。よりにもよってこう来たかって感じだ」
やれやれ、と仮面女は首を振る。
ちんちくりんなどと言われて腹が立たねーわけじゃなかったが、ご覧の有り様だ。こいつからすると俺なんてそんなもんだろうから、突っかかったってしょうがねーわな。
「任せておけねーってんなら、あんたも一緒に戦わねえか。魔皇軍とやり合う戦力は多いほうがいい。それにあんたほどの人が味方にいりゃ、百人力だ」
「やなこった。あたしがそういうことをする時代はとっくの昔に終わってんだ。今のことは今の奴らでどうにかしろ」
「なんだよ、つれねえな……別に世代なんざ関係ねーじゃんか」
「世代じゃねえ、時代が違うんだ。あたしのレベルを教えてやろうか」
「……!」
身を起こす。それはぜひ知っておきたいことだった。
知って何がどうなるってもんでもないが、顔も見せず名前すら名乗らないこの女のことだ。自分の情報なんて一個も明かさねーだろうと諦めてただけに、降って湧いたこのチャンスは逃したくなかった。
「教えてくれ!」
「がっつきやがる。――80きっかり。それがあたしのレベルさ」
「80……?」
「はっ、けっこうけっこう。正直な反応じゃないか。意外と低い、とでも思ってんだろう?」
「あ、いや。んなことは」
「隠さなくたっていい。大方100に近いか、あるいはカンストしてるか。それくらいに考えてたんじゃないか?」
「……ああ、実を言うとそうだ。あんだけ強かったし、三十年以上も来訪者してるって聞けばそりゃあな」
その前情報からの80レベルだと、やっぱ低いと感じたって仕方ねえよな。
何もカンストしてるはずだと確信まではしていなかったが、心のどっかではそう予想してたんだろうな。だから微妙なリアクションになっちまったんだ。
「言っておくがレベルってのは上がるほど上がりづらくなるぞ。お前だって何度か壁を感じてるだろ? まず10の壁。一桁から二桁に入るとレベルアップに必要な経験値が大きく変わる。次が30。その次に50、70……と奇数の台に差し掛かると壁はより高くなっていくのさ。……だけど妙だな」
ぐりん、と湖から俺へ顔を向けて仮面女は訝しんでるような声を出した。
「お前、今のレベルは」
「さっき55になった」
「……数えてないが、あたしと戦いながら十回以上はレベルアップしてたはずだよな」
その問いに頷けば、いよいよ仮面女は手を顎にやって考え込む仕草を見せた。
「40台から一息に55、だと? こんなにも早く? いくらレベル差のあるあたしと戦い続けたからってこうはならんだろう……どうなってんだ」
「あー、それ。たぶん俺が経験値増やす系のスキルを持ってるからじゃねえかな」
そう言ってやると、仮面女は固まった。そしてゆっくりと俺に顔を向け直すと、どこかこれまでとは違う雰囲気で訊ねてきた。
「経験値を増やす、スキル? お前そんなものを持ってるのか?」
「あ、ああ。三つあるぞ。だからこんだけレベルが上がったんだ。ひとつは近くの仲間のも勘定に入れるっぽいから、あんたとの戦闘だけじゃなくてあそこでメモリが修行してるぶんもあるだろうけどな」
「レベル上げを助けるスキルを三つも……しかも仲間のも勘定に入る……? は、ははっ。はははははは!」
「うわ、どうした」
急に笑い出されると怖いっての。仮面で表情が見えないせいで余計にな。
ひょっとして俺の言ったことが何かの気に障ったんだろうかと不安にもさせられたんだが、仮面女は本気で愉快そうにしているようだった。
ちょっと笑いの感性がわからんな。
「そうか、そうなのか。なるほどな。箸にも棒にもかからん雑魚かと思えば、あるいはお前が? さてどうかな。どうなるかな。なんにせよ笑わせてもらったよ。今のあたしは怒りも呆れも通り越してそう悪くない気分だ……だから特別になんでもひとつ。お前の質問に答えてやるとしよう。嘘偽りなくあたしが知るだけの真実を話すと誓う。さあ、何か聞きたいことはないか」
「聞きたいこと……」
またしても好機だ。
どう考えたってただの気まぐれでしかなさそうだが、せっかく聞けと相手が言ってるんだから聞かない手はねえだろう。
過去のエピソードなんかも含めて訊ねたいことは山のようにあるぜ……だが、この上機嫌のときにこそ最も重要な質問をぶつけるべきだろうな。
「俺たち来訪者が……どうやったら元の世界に戻れるのか。ひとつだけってんなら、俺はそれが知りたい」
「…………」
この異世界にやってきてとっくに半年以上が過ぎた――。
こちらでの来訪者は数こそ少ないが有名で、当たり前のように受け入れられている存在でもある。魔法があって、モンスターがいて、復活した魔族が世を脅かしていて。
そんな世界だからか、別世界から訪れた人間というものに対して疑問を覚える者はほとんどいないようだ。来訪者とはいえ、世界の一部。そういう前提と認識があるように思える。
だが当然と化しているそれらの認識にゃ決定的に欠けてるもんがある。
――来訪者が来るのは当たり前でも、去ることに関しては一切の情報がないこと。言い伝え程度のものもないってのは、やはりどう考えたって変だ。
そんなことは起こり得ないのだと、世界全体がそう認識しているかのように。
サラだって俺が帰ることを口にしたとき、意外そうにしていた。帰りたがるとは思ってもみなかったって反応だったのを覚えてる。
そしてどうやったら帰れるのかという点にも、あんだけ知りたがりなやつだってのに、大して興味を持っているようでもなかったことも。
まさかと思う。
この感覚。
言いようのない予感。
異世界が持つ独特なそれに、俺は焦りを抱いている。
だが所詮は新米来訪者。まだまだ知らないことのほうが多い俺なんかが悩むようなことなんざ、仮面女は大昔に解決してきてるはずだろう。
三十年だ。
そんだけこの世界にいるのなら、きっと。
帰還方法だって知ってるに違いない。試してなくともその心当たりぐらいなら。ただ帰らないという線択をしただけで、その気になれば仮面女も元の世界に帰ることができる――。
「ないよ。そんな方法はない」
けれどにべもなく。
俺の問いと希望は、仮面女の否定によってばっさりと切り捨てられた。
「ま、マジか……マジで言ってんのかよ、それ。俺たちはもう二度と、あっちに帰れないって?」
「嘘はつかないと言ったろうが。そしてこんな嘘をつく意味もない。……あたしの知る限りじゃ世界を跨ぐ手段はないし、それができたっていう話も聞かない。一度来訪者になったなら死ぬまで来訪者。そういうことなんだろうよ」
「……!」
「そんな顔したってないもんはないんだから仕方ないだろうが。なんだ、そんなに帰りたかったのか? それとも帰らせてやりたい奴でもいたか。知らんがとにかく、すっぱり諦めることを勧める。今すぐにとは言わないさ。あたしも足掻くのをやめるのに十年はかかった。……いやもしかすると、今でもまだ諦めきれてはいないのかもしれない。だけど来訪者が何を望もうと関係はない。魔法やスキルってのは、なんだってできると錯覚しそうになるほどの力だが……こんなものは人の願いのひとつも叶えちゃくれやしないんだよ」
「…………」
軽い口調で話してはいるが、仮面女からは悲壮感めいたもんが漂っていた。
期待を裏切られた長い年月の重みがそのまま乗っかった、深い悲しみってやつだ。
それを理解したからには俺だって何も言えやしない。
「…………くそっ」
しかし、本格的に参ったな。最悪俺は帰れなくても……姉貴には悪いが、我慢できねえことはない。この世界に残されたって絶望なんてしない。男一匹どうとでも生きていけるっつー自信もある。
だけどだからって他のやつにもそうしろとは言えねえ。カスカ筆頭に例外は何人もいるようだが、やっぱ帰りたいと願うのが普通だろ? クラスメートの中には今すぐにでも元の学校生活に戻りたがってる連中だって多いはずだ。
まだ全員の安否がわかってねえってのも気がかりだが、無事に見つけきれたとしても、今度は帰還方法が手詰まり。
まったくどうしたもんだかな……あーくそ。こんなに頭使うのは俺のガラじゃねえってのによ。
「ふん……その面。無駄なことはすんなとせっかく忠告してやってんのに、諦めるつもりはなさそうだな」
「……悪ぃな。たとえあんただろうと、諦めろと言われてはいわかりましたとはならねえよ」
「ま、そうだろうな。お前はそういう人種じゃない……だったら精々気の済むまで調べ尽くすことだね。この世界ってものを。そして、来訪者ってものを」
「そうは言うが、もう当てがないぜ。今度は誰を頼ればいいってんだよ」
あんた以上にそういうのに詳しい人でもいるのか。
と冗談交じりに来訪者歴三十年の先輩に訊ねてみると、これまたあっさりと仮面女は肯定を返した。
「いるさ。来訪者歴百年の、大先輩がな」
「ひゃ、百年だぁ……!?」
「ああ。やれるもんなら教会の『聖女』を訪ねてみろよ。奴こそが現状、この世で最も古い来訪者なんだからな」




