150.往生しろや
「【死活】・【活性】!」
身体強化とスキル強化を同時に発動させながら俺は速攻でスタートを切った。水の上を走る。スレンの偽界の中でしかできないような芸当だが、今はそれを楽しんでる場合じゃねえ――とにかくコンマ一秒でも早くエニシの下へ辿り着く!
「あら、まだやるつもりなの坊や。そのへこたれなさには感心するけれど、結局は真っ直ぐ突っ込むだけの猪武者……芸がないわねえ!」
「言ってろ! てめえこそアホのひとつ覚えみてーにお人形遊びしてんだろうが!」
「うふふふ! 貴方もすぐにお人形の仲間入りをするのよ。たぁっぷりと遊んであげるわ!」
ざぱん、と真下からジョーズさながらに俺の下半身を食いちぎろうとデカい鮫が大口を開けて出てきた。が、そいつが口を閉じるより速く水刃が閃いた。バラバラっつーよりも粉々になって鮫は泥に戻る。
言った通りスレンは俺の防御を厚くしてくれてる。
そしてそれ以上にエニシへ向けての攻撃の割合が増してる。
さっきよりも対処に忙しそうなエニシを見れば水刃の数を数えるまでもなくそれは明らかだが、そのぶんスレン本人の守りは薄くなってるはずだ。
背後ではさっきまでより自分を襲うペットに苦労してだろうスレンの姿が脳裏に浮かぶが、振り返って安否を確かめることはしない。戻ったりもしない。
今はただ前へ。
一刻も早くエニシに拳をぶち込むこと……それだけを目指す!
「おおぉおおおぉおおおっっ!!」
雄叫びを上げながら一直線に突き進む。
猪だ芸がねえだと言われようと知るか、最短最速!
それが一番手っ取り早ぇし、シンプルで性に合ってる!
迂回はしない、フェイントもかけない。ひたすらに直進する。
当然進路はバレバレで、泥魚が餌に食いつかんばかりに俺へ群がってくるが、水刃がその大半を蹴散らす。数が数なんでいくつか漏れはするものの、それは自分でぶっ飛ばす。
たっぷりと水に塗れてるせいか泥魚は陸戦タイプのペットよりも【黒雷】の通りがいい気がした。……もしかすっとただの気のせいかもしれんが、思い込みだろうが力になってくれるなら構わねえ。
絡みつく蛸型ペットの触手をまとめて引き千切りながら、俺は自分の戦意が最高潮になるのを感じた。
偽界に閉じ込められてからは血も浴びてねえんでとっくに【血の喝采】は効果が切れてるが、不思議と昂ぶりは収まってない。むしろ絶好調だ。【集中】だって使ってねえのにどこから泥魚が来るか完璧にわかる。対処も容易い。
俺を構成する要素の全てが研ぎ澄まされている。言葉にすると大仰過ぎるが、そんな感じだ。
勝ちしか見えねえ。
エニシを目前にしながらも俺は冷静だった。
全霊の一撃を決めるべく心は熱く滾っているのに、頭はどこまでも冷え切っている。
だから、エニシが俺を迎撃せんと鞭を振るっても。それが俺の拳より先に炸裂することが読めても……俺はちっとも焦らなかった。
何故なら上から落ちてくる水刃を見るともなく知覚できていたから。
「ッ!」
すとん、と軽やかな音で切り落とされた腕。
それは鞭を握るエニシのものだ。
大した奴だ。ギリギリまで気付いていなかったくせに躱しやがった。反応してなければ腕じゃなく頭部が真っ二つに裂けてただろうに。
直接戦うのは嫌ってるようだがそれでもこいつは魔皇軍幹部、戦闘力だって半端じゃない。
しかしエニシがいくら強かろうと……ここからじゃもう間に合わない。
「【技巧】発動!」
「っ、しまっ――」
「【死活】……三連【黒雷】!」
強化した【黒雷】を加速させた腕で叩き込む。
顔面と胸と腹。正中線上への連撃を食らってエニシの足がふらつく。白すぎて血色がいいとは言えねえその気味悪い美肌が、ドロリと溶ける。
クリーンヒット――いや、致命的。
そう断言できるだけの感触が拳にある。三発が三発ともそうだ。だがそこまでやってもまだエニシは倒れない。
「ぐっ、がが……、こ、この、私が……こんな、こんなことはっ!!」
ぐらりと傾ぐ。エニシだけじゃなく、世界が。奴の作った偽界が揺らいでる。足場も柔らかくなった。それはつまり、ペットの維持にも支障を来たしてるって証だ。
エニシは確実に弱ってる。人間らしい姿も崩れるほどに。
――そこを見逃してやったりしねえ。
「【死活】……!」
「や、だ、ダメよぉ……、それはダメ、私、私が死ぬ……死ぬわけには、いかないのよ……魔皇様のためにも、世界のためにも、私はあぁ!」
何やら叫びつつ、ドロドロになり始めた片腕を鞭のように振るうエニシ。それを防がんとまた水刃が飛んでくるが、エニシの反応は未だに素早い。今度は無数の水刃を躱しながら的確に攻撃してきた。
HPをガッツリ削るだろうその一撃を……俺は避けなかった。
「ガッ……っ、【死線】発動!」
「!?」
手の届かない位置にいる敵からの攻撃をまともに食らったときのみ発動できるというリスキーな新スキル。
その効果は敵を俺の前に、つまりは手の届く範囲に引き寄せるというもの。
「よく来たな」
「坊やぁ……っ!!」
これで、もう一度だ。
もう思いっきり一度打てる。
そのための強化はとっくに完了してる。
こっちも死にかけだが関係ねえ、この一発で決める!
「往生しろやエニシ――【黒雷】ぃ!!」
「ぐばぁっ……!!」
地平の果てまで吹っ飛ばすつもりでぶっ叩く。
黒い雷を乗せた拳がエニシをぶち抜いた。
泥の塊を貫くように俺の腕はエニシの腹を、体を貫通したんだ。
ぐちゅりと嫌な触感が伝わった。壊してやった。そう確信した。
その次の瞬間――エニシの肉体は砕け散った。
ペット同様、ただの泥にしか見えないそれが霧散し、水に溶け、沈んでいきながらやがて完全に形を無くす。
『レベルアップしました』
本当にやったのか。手応えを感じつつも半信半疑になる俺へ、勝利を知らせるメッセージが見えた。
間違いなく、やった。エニシは死んだ――俺とスレンが勝った。
逢魔四天に、勝利したんだ!
「は、はは……おうっ?」
気が抜けたところに一際大きな揺れがきた。安心感で腰まで抜けたかと思ったがそうじゃない。偽界が解けようとしている。エニシの『泥願羅生沼』だけでなくスレンの『スイスウルケイ』も一緒に。
「おっと。平気かい?」
「スレンさん……」
危うく倒れかけた俺の背をスレンが支えてくれた。そんときにはもう、海も沼も綺麗さっぱりなくなっていた。ユニフェア教団本部の最上階……元いた場所に帰ってきたんだ。
「勝ったん、だよな? 俺たちは……」
「うん。勝ちだとも。エニシは死んだ。私たちは生き残った。完璧な勝利だ……これでようやく彼にも顔向けができるかな。もっとも、仇はもう一人残っているが」
そこまで言ってスレンは少し苦しそうな顔で膝をつく。
やはり守りを薄くしたせいでどこかをやられたのかと焦ったが、スレンの不調はそれが主因じゃないようだった。
「多少の手傷は負わされたけどね。だがそれ以上に魔力の枯渇がね……偽界はそれだけ消費が激しいものだから」
スレンが言うにはエニシの偽界は強固なものだったらしく、それに対抗するために一段と消耗が早まったとのことだ。
発動時にゃエニシも苦しそうにしてたし、マジで心象偽界ってのは奥の手と呼ぶに相応しいもんらしい。
強力ではあるがおいそれとは使えないってこったな……まあこんな術をポンポン使われちゃ、使えない側からすると堪ったもんじゃねえが。
「エンタシスは偽界を作れて当たり前なのか?」
「いや、必ずしもそうではないよ。ただ私も含めて半数以上が習得しているし、一級以下に使える者はいないから、エンタシス以上が持つ技術だという認識は間違っていない」
それを聞けばアーバンパレスの戦力の充実具合が改めてヤバいと気付かされる。
燃費は悪くても一度使えば大抵の敵を確殺できる術だ。エンタシスのほとんどはそれを使えるとなれば、世界一のギルドを自認するのも当然と思える。
感心する俺に、だがスレンの表情はいまいち明るくなかった。その理由は傷や枯渇気味の魔力だけじゃない。
「……エニシ以外。残る逢魔四天の三名も、漏れなく心象偽界を習得していると考えたほうがいいだろうね。この三名というのも推測の域を出ないわけだが……やれやれ。せめて魔下三将には偽界使いがいないことを願うばかりだよ」
「魔下三将……あっ。そうだナガミンは?!」
目の前のことで精一杯だったんで忘れちまってたが、今もまだ下の階ではシュルストーなんて妙な改名をしたナガミンが委員長と戦ってるはずだ。
エニシを倒したからってのんびりとはしてらんねぇぜ。
「レヴィとアルメンザ。それに君のパーティメンバーも戦闘に加わっているから後れを取ってはいないだろうけれど……だが急ごうか。ゼンタくんはまだ戦えるかな」
「俺ならまだまだいけるぜ、スレンさん。レベルアップで回復したばっかりだからな!」
「はは、来訪者が味方だと本当に心強いね――ぅ、」
「あ……?」
立ち上がって階下を目指そうとしたスレンの胸から、尖った何かが生えてきた。
じわり、とそこから血が滲み出したのを見て。
俺はようやく何が起こったのかを認識できた。
「ナ――ナガミンッッ!」
スレンを背後から槍で串刺しにしたのは……階下にいるはずの俺の担任だった。




