148.仇討ちなんて下らない
「スレンさん! 来てくれたのか……!」
「うん。スキルでシュルストーが増えたことで手間取ってしまったが、レヴィくんたちが援護に駆け付けてくれてね。皆で連携することでようやくナキリくんの剣が彼に命中して、私を足止めしていた能力が消えた。そこで私だけ一足先に君を追ってきたというわけだ。それにしても……ふむ」
どこまでも広がる沼地と、今も続々湧き出てきているペット。
そしてこの世界の主であるエニシを見てスレンは薄く、けれど獰猛に微笑んだ。
「危ないところだったなゼンタくん。しかしこれは私の責任だね……いやはや、よもや。こんな子供相手に偽界を開くほど余裕のない女とは、流石に計算外だったんだよ」
はっきりとした侮蔑の込められた視線と言葉に、エニシはふんと鼻を鳴らした。
「侵食による侵入。土足で人の心に踏み入るのは感心しないわね。シュルストーも、しくじるなんて見損なったわ。エンタシスを私の許可なく通して……あとでお仕置きしなくっちゃ」
「彼を責めるのは酷というものだよ。ひどく小物の主人によく仕えているじゃないか? まったく日頃の苦労が偲ばれる。ここはむしろ褒めてやるべきと思うね……君に他者を労う良識なんてものがあれば、の話だが」
「――ふふ、随分とお怒りのようね、スレンティティヌス・ポセドー。そんなにあの日のことが恨めしいかしら? 貴方と足手まといたちを逃がすために一人で犠牲になった彼のことが、そんなに惜しいのかしら」
「…………、」
押し黙るスレンに気を良くしたか、エニシは歌うように喋る。
「勇敢な人間だったわねぇ。死期と悟りながら私とインガを一身に引き受けて……案の定ズタボロになって死んだ。本当は生きたまま素材にしたかったんだけど、インガが楽しんだせいで叶わなかったわ。ああ、肉片がいくつかそこら中にこびりついて残っていたのは貴方たちも見たんでしょう? けれど、あんな残飯は私だっていらないもの。惜しいことしたわぁ、本当に。貴方なんかよりよっぽど私のほうが彼の死を惜しんでいるかもしれないわね――うふふふ!」
ギリ、と手袋が擦れる。
それはスレンが強く拳を握った証拠だ。
「二対一で彼を惨たらしく殺しておきながら、なんともふざけたことを言うものだね。いっそ見習いたいくらいの厚顔無恥さだ」
「二対一ぃ? それがどうしたの? だって殺し合いですもの、当然じゃない? 彼だって自分の不利を知りながら、敗北を覚悟しながら挑んできたのよ。互いにベストを尽くして、なるべくしてなった結果。それにぐちぐちと恨み節を述べるほうがどうかしているわ……ほんと、人間って愚かよね。こんなに私たちと姿が似ていながら、どうしてそんなにも弱いのかしらねぇ。言うこと為すこと貧弱極まりない」
バチン! と鞭で沼地をひと叩きしてエニシはスレンをねめつける。
「仇討ちなんて下らないわ。インガはそれで挑まれるのも嫌いじゃないようだけれど、私は大っ嫌い。そんな理由で挑んでくるなんて気持ち悪いったらない。生きるも死ぬも自然の摂理。強い者が弱い者を食うのは当然の話。死に方や殺し方に難癖をつけるのは人間の悪い癖よ、どうしようもない驕りよ。――ねえエンタシス! 人間としては強者であるはずのお前でさえも! そんな下らない正義感を得意顔で振り翳すのだからねえ!」
「なんと言われようと私の意見は変わらない。仲間の仇を打つために。私怨のために君を殺す。勿論君だけじゃない、他の逢魔四天も、魔下三将とやらも、そしてやがては全ての元凶たる魔皇も! 世界に混沌を齎す厄災は尽く払おう。Sランクギルド『恒久宮殿』の名に懸けて!」
やっぱりそうか、と俺は納得する。
レヴィたちもそうだったが、スレンの並々ならねえ意気込みは……仇を討てる機会が巡ってきたからだったんだ。
俺を守るように立つスレンの背中は見るからに燃えていた。まるで沼地が丸ごと干上がっちまいそうなほどの激しい熱量だ。
「あらあらぁ! できないことを口にするものじゃないわよ、スレンティティヌス。貴方も坊やと一緒に朽ち果てるのよ――この私の世界で!」
だがそんなスレンを前にしてもエニシの余裕は崩れない。
一応はこいつも、世界最高のギルドよ呼び声高いアーバンパレスの幹部を警戒してはいたはずだが……それだけ偽界の中だってことが安心感に繋がってんのか。ちっとも自分の勝ちを疑ってないみてえだ。
自信過剰、と捨て置くことはできねえ。
俺は偽界の厄介さをこれでもかと味わわされた。
無限のペット軍団はまともに相手してたらそれだけで死ねる。
しかもスキルのおかげかデバフの効かねえ俺と違って、スレンはもろにこの世界の悪影響を受けちまうはず。
これじゃいくらエンタシスと言ってもマズいだろう。
ここはまず二人で協力してどうにか奴の偽界から逃げ出すのが先決だ――とそこまで考えて、ふと疑問が浮かんだ。
まずそもそもどうやってスレンは『隔絶された空間』であるはずのこの場に姿を現すことができたのか?
「うん――慌てなくていいよ、ゼンタくん。魔皇案件。それも逢魔四天との接触が濃厚となるクエストに駆り出されること。それ即ち、私には手段があるということだ。魔皇の幹部たちに抗う手段がね……!」
あるものが目に付いた。
それは水溜まり。
スレンの足元に、いつの間にか水溜まりなんてもんができている。
変だ。エニシによって支配されているはずのこの沼地でそんなものができるはずがない。まるでそこだけが。スレンだけが別の世界にいるような――。
そこでペットたちが一斉に襲い掛かってくる。
目標は俺じゃなくスレンだ。
だが四方八方から押し寄せるその波は俺ごとスレンを飲み込むだろう。反撃のために跳ね起きる、が、そんときにはもう水の刃がペットを蹂躙し終えていた。
「邪魔はさせないよ」
静かに、だが絶対の意思を以ってスレンはそれを唱えた。
「心象偽界――『スイスウルケイ』」
瞬間、偽りの世界がサッと色を変えた。
◇◇◇
「お、おお……!?」
気が付くと俺は海の上にいた。
いやそれともバカ広い湖だろうか?
どっちかはともかく、沼地だったはずの場所が一面の水面へと変貌してたんだ。
浮いてるわけじゃない、俺は水の上に立っている。スレンも一緒だ。まるで平地にいるかのようにごく普通にだ。
だが不思議なことに足に伝わる感触は確かに水だ。
なぜ沈まねーのかまったくわからん。
わからんがこれはきっと、スレンの力によるものなんだろう。
「うん、そうだね。これが私の偽界だよ。君は対象外となっているが、本来私以外はこの水の下へ強制的に沈んで溺れ死ぬようになっている」
怖いことをサラっと言うな。
自分以外は問答無用で溺死する世界。エニシのと同じくとんでもねえ能力だが、これはつまりエニシの偽界は解けたってことなのか?
そう思って辺りを見回してみるが、確かにどこにも奴の姿はねえ……。
「そうだったら良かったんだけどね。これはあくまで偽界に偽界をぶつけただけ。今は互いの心を浸食し合っている段階だ。ほら、上を見てごらん」
「上……あっ?」
空が黒い。これはエニシの『泥願羅生沼』が見せる光景だ。
沼地でこそなくなったが、ここは未だに奴の世界でもあるらしい。
「私の偽界はあんな空色じゃあない。水の底も未だに沼地のままのようだね。しかも、この下を何匹も泳いでいる」
「お、泳いでいる……?」
何が、とは聞くまでもなかった。
ざぱりと離れた位置に不沈艦のごとく浮かんできたエニシが、生き物とは思えねえほど平たい形状をしたペットの上に乗って仁王立ちしているのを見れば自ずと答えは出てきたぜ。
「ありゃマンタなのか……? 数だけじゃなく形も自由自在ってわけかよ。まさか小島みたいなペットまで出せるとは」
「ほう、あれがエニシの力か。私の偽界の環境にも悪趣味な生物たちを適応させてしまったようだ」
それは一種の進化か。あるいは奴からすればちょっとした細工のようなもんか。
いずれにしろ手足ではなくヒレと流線形のフォルムを手に入れたらしいペットが、俺たちの足の下で数え切れないくらいに泳ぎ回っているのが見える。
「うふふ……偽界の張り合いは相性と技量によって趨勢が決まる。どうもごめんなさいね? 貴方の心は私のペットにとっては居心地のいい場所でしかなかったみたい。当然、この私にとってもね」
こんなもの大した偽界ではない。
と、暗に告げるエニシに対しスレンも嘲笑を返した。
「そんな小さな足場に追いやられながら強がったところで滑稽としか言いようがないよ。好きなだけペットを作れるのが君の自慢のようだが、それは私も同じだ」
水が巻き上がる。細く捩じれたそれは、何本もの巨大な水刃になった。
周囲に何本もそれを浮かび上がるこれらは間違いなくスレンが作り出したものだ。
「偽界にいる限りいくらでも『アクアカッター』を放てる。限界は、ない。君の作る無限の命を無限に殺し尽くすことができるんだよ」
「あら本当? それは坊やにはできなかったことよ。……大言か否か試してあげるわぁスレンティティヌス。貴方の偽界を、私の偽界で!」
鮫に似た巨大な異形たちが水中から飛び出してくるのを見てスレンは、慌てず騒がず幾本もの水刃で迎撃を開始する。
泥と水が空中で弾け、大嵐のような大量の飛沫となって降り注いだ。




