147.何故まだ生きているの
出口のない空間。
終わりのない戦い。
悪い足場に悩まされながら、俺は走る。
泥をかきわけ沼地を駆けまわる。そうやって追い縋る異形たちをどうにか引き離せたかと思えば、突然目の前に現れた別の異形に阻まれる。
くそっ――どんだけ倒しても! どんだけ駆けずり回っても! どうしたって逃げられやしない!
エニシが創り出したこのくそったれな偽りの世界から!
……癪なことだが奴の言う通り、これじゃあ俺に勝ち目なんてひとつもねえ。
沼地のどこからでもいくらでも湧いてくるペットは俺を決してエニシへ近づけさせちゃくれねえ。こっちはエニシへ手も足も出ないまま、ただ嬲られるしかねえってこった。
「おォら!」
進路を塞ぐ一体を仕留める。だがその手間で他の連中に追いつかれた。しなだれかかって俺に纏わりつく一体のペット。そいつを振り払うよりも先にもう一体、さらにもう一体と――前後左右から満遍なく取り付かれちまった。
このまま重みで押し潰すつもりか?!
「っ……【黒雷】!」
身動きの取りづらいすし詰め状態。まだしも間があったのは、下のみ。俺は足元の沼に向かって黒い雷を叩き付けた。
泥が勢いよく弾け飛ぶ。
それで剥き出しになった地面も多少固まっただけの泥に過ぎないことがわかり、俺はどうにも眉をひそめたくなる。
だがそんなもんに気を取られてる場合じゃねえ!
「【技巧】発動!」
地面を叩いた衝撃でペットどもの体が浮き、拘束が緩んだ。ここがチャンスと見た俺は、確か委員長もナガミン相手に使ってた気がする新スキルを発動した。
俺の意思よりも先立って腕が、拳が動く。【黒雷】を纏う腕だけが加速したように拳打を放ち、瞬きのうちに四体のペットを吹っ飛ばした。
我ながらすげえ速さの自動攻撃! 処理能力を高めたいときには打ってつけの戦闘向けスキルだ。
助かった、と穴の開いた包囲から抜け出して、しかしすぐに止まる。
俺の進む先、沼地の下からぬるりと生える細長い腕を見たからだ。
いやそいつだけじゃない、どこへも逃がす気はないと言うようにあっちからもこっちからも追加のペットが生えてきやがる。
……【黒雷】は威力に対してSP消費量が破格と言っていいほど低く、スキルLVが上がってからは一度の発動で複数の敵をやれるようになってますます燃費が良くなってもいる。
けどいくら効率的に戦えると言っても、減るもんは減る。底はあるんだ。
対してエニシにはそれがない。
効率や限界なんて一切気にすることなく、好きなだけ使い捨ての戦力を生み出してけしかけることができる。
奴にストックという制限があって、俺にレベルアップという無限の可能性があったさっきまでとはまったくの逆。
ここで生まれるペットからは経験値が得られねえ。戦うだけ浪費して終わり。そんでいずれは本当の終わりが来る。
俺にはそれを避ける手段がねえ……!
「【黒雷】っ!」
寄ってくるペットたちの頭を殴り飛ばす。
手の届く範囲はひとまず片付けた、と思えば既に俺の足は新手に掴まれている。
ちっ、少しでも足を止めるとすぐこれだ。
この沼地に捕らわれている限り俺に自由なんてもんはねーようだな……!
「『華鞭殺・孔』」
「!?」
【察知】が知らせてくれたとはいえそれを避けられたのは奇跡に近い。ペットへの攻撃を中断し、泥に伏せるようにしゃがみ込む。その真上をエニシの鞭が弾丸のように飛んでいった。
それを見送ることもなく、まずは俺の足を掴んでいるペットをぶっ叩く。
するとそこで予感通り、どんな達人にも再現不可能だろうと思える摩訶不思議な軌道で通り過ぎたはずの鞭が再度俺へと向かってきやがった。
まるで生き物のように食らいつこうとしてくる鞭へ膝立ちのまま拳を振りかぶる。
「ぉおおおっ!!」
バキィイイイン、と硬いもん同士がぶつかり擦れるような音。
俺は弾かれて無様に沼地を転がったが、どうにか鞭を追いやることには成功した。
今のステータスで、それも【活性】込みの【黒雷】でどうにか相打ちたぁな……あーもう! キッツいなぁマジで!
「ふぅー……落ち着け、落ち着けよ俺」
複雑な軌道で鞭が暴れてくれたおかげでその進路上にいたペットたちは哀れにも爆散して死んだ。ほんの少し鞭に触れただけでこれだ、なんも言えん。
だがこいつらは所詮泥の塊だ。
改造元があった奴らよりも遥かに簡単に、手早く肉体を再生することができるようで、もにゅりもにゅりと散ったはずの泥が再集合していく。
「……どういうこと、なのかしら」
俺がうんざりしながらも警戒してると、エニシが頬に手を当てながらぽつりと疑問を口にした。
「貴方、何故まだ生きているの?」
「なぜだぁ? 必死こいて抵抗してんのが見えねーのかボンクラ」
「だから、何故抵抗できているのか。私はそれを問うているのよお馬鹿さん。……『泥願羅生沼』は私以外の命にはとても厳しいわ。一度沼に沈み泥へ捕らわれた足はそうそう抜け出せず、瘴気は常に貴方の正気を蝕む――そのはずなのに。多少動きづらそうにはしているけれど、貴方は大して偽界の影響を受けていないじゃないの。そうでなければもうとっくに物言わぬ骸へと成り果てている。抵抗を、成立させている。そんなことができるはずはないというのに……いったいどうやっている?」
鋭さを増したエニシの目付き。
それだけ俺は奴にとって信じ難いことをしてるらしいが……そんな目で見られたって何がなんだかわからん。
そもそも『心象偽界』なんてもんも初めて知ったし、戦っててもこの異空間がデバフ機能まで持ってたなんて言われるまで気付けなかったくらいだ。
「偽界には偽界でしか抵抗できず、対抗できない。偽界を使う者なら誰もが知っている常識であり不変の理よ。スキルやらレベルやら、如何に来訪者が私たちとは別の法則に生きる存在であってもその点において例外はない。……と、思っていたのだけれどねぇ」
ぶつぶつと、モルモットを観察するような目で俺を睨みながら考え込むエニシ。
奴は奴で真剣に頭を悩ませているみてーだが、スキルとその口から出たことで俺はとあることを思い出した。
そうだ、下水道でのネズミ退治。
あのクエストでのレベルアップで、俺は次に入手するスキルを自分で選んだ。
確かいかにも強そうなのを避けて、将来への期待込みで選択したスキル――それが【偽界】だった。
これまで一度も役に立たなかったんですっかり記憶から消えてたが、このスキル名。エニシの使う『心象偽界』と無関係とはとても思えねえな……!?
俺がデバフを受けてねえのは、こいつのおかげなのか?
つまり【偽界】ってのは敵の使う心象偽界から身を守ってくれるスキルなのか……いやさひょっとすると、俺にもこの技が使えるんじゃないか。
これぞ逆転の目か。
そう思って【偽界】を意識して使おうとしてみたが、うんともすんとも反応がない。自分で発動するタイプのスキルじゃあないらしい。
もしかするとスキルLVが足りてないせいってのも考えられるが、それだと経験値が入らない現状もう発動できる機会はないに等しい。
ちっ、せっかくあのときの逆張り精神が功を奏したかと思ったのによ!
「まあ、いいわ。貴方にやれるのは精々が抵抗であって、対抗じゃあない。僅かに寿命を延ばす悪足掻きでしかないものね。不可解ではあるけれどそう気にすることでもないでしょう。でも、いい加減鬼ごっこを観るのにも飽きてきたことだし……無駄な抵抗はそこまでにしてもらうわよ」
そろそろ下の様子も気になるしね、と鞭の持ち手と先端を両手で引っ張りながらエニシは言った。
奴はペットの視界を覗けるはずだが……偽界の中じゃ奴自身も外との繋がりが途切れるってことか。
だとすると、本格的に俺ぁ詰みっぽいな。
術者本人ですら発動中は内部に閉じこもるしかない技だ。『隔絶された空間』。その物言いもまた真実でしかないのなら、いくら粘ったところで外部からの助けは望めねえってことになる。
おそらく【従順】で転移ができるヤチだってここには来られないだろう。
「……どうしようもねえ、か」
「ええそうよ。貴方は一人、ここで死ぬ」
鞭がくる。横から波打って範囲の広がったそれに対応できず、打たれた俺は泥に頭から突っ込んだ。
急いで起き上がろうとするが、俺の顔を泥から生まれた異形が包む。腕も足も。そして上からも何体もの異形が圧し掛かってくる。
「ぐ、ぅ……っ、」
なんてこった。こんなときに【活性】が切れたぞ。次の発動までのクールタイムは以前より短くなってるが、それでもこの場面では致命的だ。
お、重い……! とてもじゃねえが持ち上げられねえ!
そのまま、まるでペットたちとひとつになるかのように俺は、全身を沼地へ引き摺りこまれる――。
「あ、れ?」
嘘のように体がフッと軽くなる。顔を上げれば、俺にへばりついていた異形はみんなまとめて細切れになってバシャバシャと沼地へ還っていくところだった。
何が起きたのか、と困惑したところで。
「やあ、遅くなってすまなかった。まだ無事でいてくれて何よりだ」
背後から聞こえたその呑気にも聞こえる声の主は――。




