145.俺の命が尽きていく
「しまった……!」
荒々しいさっきまでの暴れっぷりから一転、優しげですらある鞭の嫋やかな動きに思わず虚を突かれた。
こんな技もあるのか、と腰に巻かれた鞭を外そうとする――よりも先にエニシの腕が動いた。
当然、今度は優しさなんてひと欠片もない、これまでで一番の荒々しさでだ。
「ぐっ――げっ――がぁっ!!」
鞭の先に括りつけられたまま振り回され、生まれる遠心力のままに叩き付けられる。壁に床に天井に。ぶつかるたびに体が軋み、歯を食いしばる。
な、なんつーパワーだこいつ!? ちっとも抵抗できやしねえぞ!
こんな勢いで激突したら壁なんざ簡単にぶち抜きそうなもんだが、そうはなってねえ。
フロアを壊さないようにエニシが加減してんのか、それとも奴専用の階ってことで特別頑丈にでもなってんのか。
いずれにしろこのままじゃ延々と叩き付けられ続けて死ぬ!
この体勢じゃ腰の鞭は外せそうにない。
掴まることができそうな場所もフロアにはない。
打開策が見つからない間にもガンガンと衝撃がやってくる。エニシの奴はこのまま決着をつける気なんだ。
実際、HPがもうそろそろ限界だ。
奴には俺の体力なんてわかるはずもねえが、とにかくくたばるまでこれをやめる気はねえだろう。
なんともマズい状況だ――だがそれだからこそ活きるもんもある!
「【武装】、『恨み骨髄』!」
「!」
「っらぁあ!!」
こんだけやられたからこそ!
減らされたHPのぶんだけ強力になる武器『恨み骨髄』の出番だ!
恨みパワー満点の骨の剣を、体から伸びてる鞭に振り下ろす。切れ味ゼロのこいつで鞭を叩いたところで本来ならどうにもならないが、恨みパワーは別だ。『不浄の大鎌』の不浄オーラとも違う、純粋な破壊力ってのがこのオーラには籠ってる。
ミシリ、と鞭か骨の剣かどちらかが鳴る。あるいはどちらもか。一瞬の停滞のあと……ぶつりと弾けるように鞭が千切れた!
「ぃよしっ!」
「……!」
自由の身となった俺は、体勢を入れ替えて足から着地する。エニシのほうはと言えば目を見張りながら鞭の長さを元に戻している……そうか、どんだけ切ってやったところで奴の鞭はいくらでも伸びるわけだ。こりゃ武器破壊なんざ狙うだけ無駄っぽいな。
千切れた先、俺の腰に巻き付いたままの鞭の一部はぼろぼろと崩れていった。
ペットたちの死に方と似てるな。
弟作だと言ってたが、この鞭もペットを作るのと同じような力で作られたもんなのか?
「あら、あら。まさかこれが断ち切られるとは思わなかったわ……面白い武器をいくつも持っているのね」
「まーな、ちょいとした自慢ってところか。委員長の剣にゃあ敵わねーかもだがよ」
会話に応じつつ【補填】でHPを安全圏まで回復させる。
これで瀕死は脱した……が、依然としてマズいぜ。今度はSPのほうがレッドゾーンだ。空っけつまではまだ少し猶予があるが、所詮は猶予。ふんだんにスキルを使って戦えるほどとは言えねえ。
そしてスキルが使えなくなったときが、いよいよ俺が死ぬとき。
ゲームオーバーのときだ。
その前になんとかもう一度レベルアップすんのを期待したいところだが……。
と、考えてる最中に飛んできた鞭の先端を躱し、俺は走る。
行き先はもちろん――エニシのいる方向だ!
「やってくれたぶんはきっちりと返すぜ! この『恨み骨髄』でなぁ!」
「無理よ、貴方にそんなこと」
鞭の第二撃が来る前にできるだけ近づこう、としたんだがやはり奴の鞭捌きは尋常じゃねえ。
横に振り抜かれた鞭に足元を取られバランスが崩れる。なんとか転ばないよう踏ん張ってみたが、その次の瞬間には手にあったはずの『恨み骨髄』が奪われていた。
「少し借りるわね。ああ、でも、ごめんなさい。私ったらうっかり壊しちゃった」
どんだけの力がかかってんのか、巻かれた鞭はそのまま骨の剣を圧し折った。ちっ、俺の武器はどうにも耐久力がどれもいまいちだな。攻撃力はちと過剰なくらいにあるんだが……そのツケなのか?
だが今はそれでいい。
むしろ簡単に壊れてくれて助かったくらいだ。
そのおかげで多少はエニシの気も弛んだからな!
「!」
エニシも気付いたらしいな。
俺が気を逸らさせるためあえて『恨み骨髄』を奪わせてやったってことに。
これ見よがしにブン回してたのもエニシがより注目するようにだ。『恨み骨髄』に意識が割かれりゃ、俺はフリーになる。ほんの一時とはいえ鞭に縛られる心配がなくなるんだ。
たった二歩。武器を犠牲に進めたのはそれだけの距離でしかなかったが、【活性】発動中の俺にとっては大きい。
あと一歩だ。
もう一歩さえ踏み込めれば、また【黒雷】をぶちかませる。
「そうはさせないわ。『華鞭殺・纏』」
「【集中】!」
立ち塞がる壁のように俺の目の前でのたうつ鞭。それを俺は擦り抜けた。
見つけた穴とも言えねえ僅かな空間のある一箇所へ体を滑り込ませて、軌道の合間を縫って最後の一歩を詰める。【集中】状態じゃなけりゃ絶対に無理だった。やっぱここぞってときの【活性】+【集中】は強い。
「行くぜ――【死活】! 【黒雷】!!」
確実に当たる。そのはずが。
「……なっ、」
「あはぁ――残念でした。二度もまともに受けてあげたりしないわよ」
止められた。俺の拳が、エニシの手によって。
ぶすぶすと奴の手の平から煙が上がってるが、大したダメージじゃないってのは打った俺がよくわかる。腕に多少の傷を負いながらもエニシは俺の【黒雷】の威力を殺してみせたんだ。
「こんの……!」
ほとんど反射的に反対の手で殴ろうとしたが、動揺のせいか精細さが欠けていた。
それをエニシが見過ごすはずもない――ぱしゅり、と何かが左腕に巻き付いて引っ張り、拳を途中で止められちまう。
俺の腕を絡め取っているのは言うまでもなくエニシの鞭だ。
ヤバい、なんて思うよりも速く絡みついた鞭が伸びていく。
腕全体を覆い、胴体にまで及び、足先から頭までを覆いつくされた。あっという間に全身ミノムシ状態だ。
「『華鞭殺・絶』。……これでお終いね」
「……!」
キツく縛り付けられ口を開くことすらできない。
だが締め付けはもっとキツくなっていく。
エニシが鞭を引きながら縮めているんだ。
絞殺――大蛇が獲物に巻き付いて骨をバッキバキに折り砕くのと同じ処刑法。
これがエニシの決めの一手。
「ぐ、く、が……っ!」
ベキベキィ、と自分の身体が出してるとは思いたくねえ音が耳の奥でこだまする。
本当ならとっくに圧迫で全身から血を拭き出して死んでるだろうが、来訪者はそうはならねえ。カスカ曰くG表現が規制されてるそうなんで、どんな攻撃を食らおうが骨が折れることも血を吐くこともない。
だがHPは減っていく。
確実に、着実に。
目に見えてバーは短くなっていく。
俺の命が尽きていく。
く、くそ……どうしようもねえ。どんなに腕に力を込めてもビクともしない。鞭じゃなく四方から万力にでもかけられてるような気分だ。
【接触】も武器越しじゃ効果を発揮できず、【黒雷】もただ拳に纏わせるだけじゃどうにもならねえ。
とにかく命を伸ばそうと尽きかけるそばから【補填】でHPを回復させてたが、とうとうそれもできなくなった。もうSPも空っぽだ。残りのHPバーがなくなれば。
――俺は死ぬ。
っ、冗談じゃねえ! こんなとこで、こんな奴にやられて死んでたまるか!
鞭の隙間から見えるエニシを睨みつけてやるが、俺にはそれくらいしかできねえってことを奴はよく理解してる。涼やかな笑みを向けてきやがった。
「そう悔しがらないで。貴方に与えられた痛みはこの先決して忘れない――貴方に与えた痛みもね。死んだあとも大切に大切に使ってあげるわ。喜びなさい? 私のペットとして第二の人生を歩めることを」
だからもう、死んで?
愛する者へ囁くような口調で、ぐいっと奴が腕を引く。鞭もそうなる。これがトドメ。俺の命を絞りつくす最後のひと締め――バーがゼロになる。
その、直前。
「っ、何が……!?」
フロアが。いや違う。建物が大きく揺れた。
まるでどこかの階層がまるごと崩れたような、全てがひっくり返るような激しい振動だった。
だがさすがはエニシ、そんな災害じみた揺れの中でもしっかりと立ち、鞭を緩めることもしなかったが……俺のほうには大きな変化があった。
「【亡骸】」
「え……?」
そりゃあもうエニシだって戸惑ったことだろう。
なんせ俺が二人いるんだからな。
鞭に縛られたまま死んでいる俺と、そこから抜け出して拳を構えている俺。
ぐしゃり、と墨のようになって潰れた死体。黒い雷とともに放たれる拳。そこでようやくエニシは我に返ったようだが、もう遅い。
ガードなんて間に合わない――間に合わせてやるもんかよ!
「【死活】・【黒雷】!」
「ガァッ……!」
40レベルだ!
あの揺れが起きた瞬間、どういうわけか一気に四つもレベルが上がった!
HPもSPも満タン、そして新たに入手したスキルのおかげで拘束からも逃れられた。
偽の死体だけを残して逃れるスキル【亡骸】――字面は怖ぇが今これほど嬉しい能力もねえ。
どうしてレベルアップできたかは謎だが、とにかくこの偶然に感謝だな。
「受けてあげたりしない、だったか? ああいいぜ。お前がどういうつもりだろうが俺にゃ関係ねえ。無理矢理でも何度でも! しこたまぶち込んでやるだけだ!」
「ふ、ふふ――うふふふふふ!」
二発目の強化【黒雷】を土手っ腹に浴びて、エニシの顔色がガラリと変わった。その雰囲気もだ。
鞭以外にも何か武器でも出すのか、と身構えた俺だったが……それは半分正解で半分外れだった。
「心象偽界」
武器は武器でも。
エニシが披露したのは。
俺の想像を遥かに超える代物だった。
「――『泥願羅生沼』」
ごぼり、と俺の足が沈み込む。




