136.教師なんて
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シュルストー。……まったく聞き覚えのない名を名乗ったナガミンに俺と委員長は呆気に取られていたが、スレンだけは億劫そうにため息をこぼした。
「『魔下三将』? 参ったね、現状逢魔四天だけでも手に余るというのにそんなのまで出てきたか……君もここで潰しておきたいところだが、私の標的はあくまでこの上にいる奴だ」
ぽん、と俺たちの肩に手を置いたスレン。
「うん。というわけで、知り合いらしい君たちであいつはどうにかしてくれると助かる。私は先を急がせてもらうよ」
「そうはいかない。お前にだけは確実にこの場に残ってもらう。――【決闘宣言】」
「うっ……?」
俺たちの返答を待たずに階段を目指そうとしたスレンの足が止まる。これはスレン自身の意思によるものではなさそうだ。
まるで指名するようにスレンを指差すナガミンが何かしらのスキルを使ったってのは明白だぜ。
「これでお前は俺を倒さなくてはここから離れられない。絶対にな。今発動したのはそういうスキルだ」
「……本当に参ったね。やはり来訪者は難儀な相手だ」
どうにも階段に向かおうとしない自らの足を見下ろしながらスレンは苦笑する。ナガミンはそれを冷淡な目付きで眺めている。
……そんな目は俺の知ってるナガミンならしねーぞ!
「どうしてこんなことすんだよ、ナガミン!」
「そうですよ先生! どういったわけがあってエニシ側についているのかお聞きしたい」
「……その理由を話す前に、俺はお前たちに謝らねばならない」
「あ、謝る?」
急な謝罪の申し出に俺も委員長も意味がわからず戸惑うしかない。
こくり、と神妙にナガミンは頷き。
「俺はお前たちの担任に相応しい男ではなかった……ということへの謝罪だ。何故なら。人生の分岐点に差し掛かろうとしているお前たちへ『夢を追え』と言いながら、その実、俺は夢を諦め捨てた人間だからだ。……そもそも教師なんて、なりたくてなったわけじゃないんだよ、俺は」
「え……!」
それは俺にとって……いや俺だけじゃない、クラスメートなら全員が衝撃を覚えるだろう告白だった。
厳しくも優しいナガミン。生徒の自主性を尊重しながらも必要なときは親身になって相談に乗ってくれるナガミンは……理想の教師像そのままの人だ。
少なくとも俺たちの目にはそう映っていた。
「幻想だ。俺は誇りなき教職者。最初の夢は、物語の主人公だった。漫画や特撮の主人公のように世の悪を倒すことに強く憧れたものだ。だがそんなのは年端も行かない子供だけの夢。現実を知ることで希望が破れ、その代わりに俺は警察官を目指すようになった。安直だろう? 深く考えることもなく最もヒーローの代替に近いものを選んだわけだ。しかし……そう、中学生。今のお前たちくらいのときにはより現実を知って、警察官という職が必ずしも俺の理想と一致しないことをよくよく知った。――だからまた夢を捨てた」
こんなの全部初耳だ。ナガミンは元から教師になりたくてなったとばかり思っていた――まだ若いのに『先生』の板のつきっぷりからそうとしか思えなかったが、言われてみれば本人の口からそういった発言を聞いた覚えがないと今になって気付く。
「高校の三年間は虚無だった。もはや夢の代わりは見つからなかった。なんとなく手ごろな大学を選び、なんとなく教育学部へ進み、なんとなく教員試験を受けた。……そしてなんとなく、俺は教師となった。ふ、こんな男が生徒へ将来の夢を追えとのたまうのだから滑稽だろう。実を言うと教務自体は思いのほか俺の性に合っていた。生徒と触れ合うのは楽しかった――だからこそ苦しかった」
「苦しい? いったいそれのどこが……長嶺先生は立派に教師をお務めになられているじゃないですか」
当惑とともに疑問符を顔に浮かべる委員長に、「お前にはそう見えるか新条」と力のない笑みをナガミンは見せた。
「錯覚だよ。年度が替わるたび、生徒に慕われるたび心が苛まれた。過ぎ行く日々に体ではなく心が追いつかなくなった。……生徒を導くという重荷を背負ったままでは歩くことすらままならないんだ! それはどうしてか? わかるだろう、俺はまだ、こんな歳にもなってもまだ、最初の夢を捨てきれていなからだ! 馬鹿みたいにヒーローへの憧れが! 特別な存在への憧れが胸を焦がしている! 平凡な教職に価値を見出せず、常に燻っている! 生徒に『良き先生』と思われたいがためにそう演じるのも、結局はその罪滅ぼしでしかない。俺は教師に、生徒たちに相応しい人間なんかじゃないんだよ……!」
「そんな……、」
俺たちに見せてた教師としての顔の裏でそんなことを苦悩してたのか。
それにちっとも気付けなかったのは、そんだけナガミンの仮面の被り方が上手かったからだろう。
この人は上手に本音を隠してた……だがそれも、決して悪いことばかりじゃないはずだ。
「ナガミンせんせーよぉ……あんたちょっと生真面目過ぎるんじゃないか? なあなあで先生やってるやつなんてそれこそ、ナガミンせんせー以外にもたくさんいるだろ。たぶん」
「柴くんの言う通りです。どんな内心を隠していようと僕たちにとってあなたは間違いなく『良き先生』でした。……それに、話が繋がりませんよ。異世界に来てあなたはヒーローどころか、世を乱す悪の側に協力している。矛盾しています」
矛盾、という言葉にナガミンは可笑しそうにしている。
「矛盾している、か。ああそうだな。今の俺は滅茶苦茶だ。お前たちから見れば余計にそうだろうな。だがこれでも、今まで生きてきた中で一番スッキリしているんだぞ? ……お前たちの担任になってからの二年間は教師として最も苦労したが、最も楽しいものでもあったよ。問題児ばかりだがだからこそらしくもなく使命感に燃えて、それで余計に心の火種が爆ぜるようになった。もう限界だった。お前たちの卒業を目途に教師を辞めようと思っていたくらいだ」
だが、とナガミンは両拳をぎゅっと強く握った。
「突然この異世界へと飛ばされたことで教職の呪縛から意図せず解き放たれた! 歓喜したよ。こちらでなら俺は特別な存在になれるとな。レベルにスキル、来訪者の肩書き。倒すべき魔物や犯罪者たち。ここには俺を満足させてくれるだけの素材が全て揃っていた――だが蓋を開けてみればその興奮も長くは続かなかった。この世界の真の特別な存在というものを知って、三度俺の心は折れたんだ。『力が欲しい』。元の世界以上に強くそう願ったよ。そのためならどんなことをしたって構わないとな」
「まさか……その手段としてエニシを頼ったと?」
「偶然目を付けられたと言ったほうが正しいがな。スカウトを受けたのさ。だが俺自身、その誘いに乗るのに迷いはなかった。……エニシ様は本当に素晴らしい人だ。俺を戦士として育て力を授けてくださった。自分の成長が感じられる日々……ここ数ヵ月は教師として過ごした十二年間を遥かに上回る充実度だった」
恍惚とした表情で目線を上げて語るナガミンは……やっぱり俺の知ってるナガミンじゃねえ。
まるでガワだけがそっくりの別人を見てるような感覚だ。
「懺悔しよう。お前たちもこちらに来ているかもしれない、とは頭の片隅で思っていたが。すぐにそんなことはどうでもよくなっていった――俺の夢だ! 力持つ強者になれるのなら! 生徒なんて知ったことではなかった、それこそが俺という男! 如何に担任として似つかわしくないかこれでわかっただろう……夢とは劇薬。諦めれば人生の敗者となり、捨てきれねばその場に膝をつくのみ! 叶えたところで終わりなき苦難が待っている! だが俺は! この修羅道へ進むことに後顧の憂いなどない!」
「――聞くに堪えない」
再生誕を受けた信徒よろしく危ない目をしながら叫ぶナガミン。
そんなナガミンに見切りをつけるように委員長がスキルを発動させた。
「【奮闘】と【武装】を発動。……スレンさん、僕の剣であいつを斬れば【決闘宣言】による拘束効果は解除されるはずです。そうなればすぐに上へ行ってください」
その手があったか、と手を打った。スレンはそんなこともできるのかと興味深そうにしてるが、俺は知ってる。委員長の『サンドリヨンの聖剣』はスキルそのものを斬る反則級の武器だってな。
【活性】を強制的に解除された経験のある俺が言うんだから間違いねえ、この剣さえ届けばきっとスレンだって解放される!
「はぁああっ! ――【聖撃】!」
ものすごい速さでナガミンとの距離を詰めた委員長が剣に光を溜めながら斬りかかった。見るからに強烈そうな光の一撃が決まる、というところで。
「『ダークエクスプロージョン』」
迎え撃つナガミンの体から闇色の爆発が広がり、白と黒が同時に爆ぜた。




