130.神はいます
「繰り返そう。怖がらなくていい。怯えなくていい――これは祝福なのです。我らと同じ主に仕える高き存在となる。さあ、そこで横になってください。目が覚めたときには……世界が変わっていることでしょう」
部屋の中央にいくつか置かれた寝台を示してハンナマラは言う。愛想のいい笑みは変わらず、だが決定的にその質を変えて、有無を言わさぬだけの迫力が奴から滲み出ている。
……逃がす気はねえ、というこったな。
「お仲間に包囲させといて何言ってんだかな。拒否権はなしか?」
「ユニフェア教団を訪れたということは救いを求めているはずですね。ならば最初こそ悲しい誤解を受けたとしても、その者を再生誕させることが私の勤め。目覚めて意識も変われば必ず皆感謝する」
そして信徒に加わる目的でもねえのに教団へ潜り込むような輩だったとしても、その再生誕とやらの餌食にして無理矢理仲間にしちまう、ってことだろう。
はん、読めてきたじゃねえか。
新参宗教のくせに急激に信者を増やせたわけってのがよ!
「再生誕なぁ。気になるじゃねえかよ。いったい俺らをどうしてくれるって?」
「人を超えさせる。一段階上の生物となるのですよ。主より賜りし尊き力によってね」
主……ってのはユニフェア教団が信奉する神のことか。
この世界にゃ実際に神様なんてのがいるのか。いたとして、人に力を与えてくれるような存在なのか。
気になった俺がサラへと視線をやれば、返ってきたのは否定のセリフだった。
「理想を象った象徴としての神はいます。しかし呪いも信仰も人の心より生まれ、人の心へと渡るもの。そこに神の介入はありません――宗教は人が人のために興すものですから。本来の意味での神様が実在するかどうかという問いに私は明確に答えることはできませんが、少なくとも。それを証明する記録や証拠といったものは古今東西どこを探しても見つからないでしょう」
「……かつての邪教の多くは邪神を奉り、死と生の救いを求めるものだった。……けれど、全て長くはもっていない。大抵は内部分裂という、どこまでも人らしい理由でその歴史が終わっている」
まあ、やっぱそんなもんだよな。魔法もモンスターも当たり前の世界でも、神様ともなれば眉唾ものってわけだ。しかし二人とも本気で「そんなのいるはずない」と言わないあたり、異世界だなって感じがするぜ。
そして――。
「なんと愚かな。神はいます。偶像などではない本物が、確かに」
こうして神様を信じてやまない奴もいる。
……ま、ここら辺は現代日本でも似たようなもんかもしれないが。
俺の冷めた目に気付いたんだろう、ハンナマラは表情に少しだけ不快感を出した。
「我らがお仕えする絶対なる主。その御方が仕えし更なる天上に君臨す王こそが、この世の全てをたなごころに握る正に神そのもの。哀れなことです。その存在を知らぬが故に、あなた方は自らが迷える子羊であることにも気付けない……ですから私が導いて差し上げようというのです」
話は終わりか。ハンナマラが手を挙げると、周囲の信者どもはギラギラした目付きのままで動き出す気配を見せた。俺たちが素直に寝台で眠ることはないと踏んで強引に寝かしつけるつもりだ。
「余計なお世話だぜ!」
俺は前に出た。寝台ではなくハンナマラを目指す。
すると狙い通り、司祭様を守るために信者は一斉に俺を襲った。
「うぐっ……、」
信者の大半は一般人って感じの出で立ちで、戦えそうにも見えねえのがばかりだ。
なのにいざ動くと変に機敏というか、まるで獣が持つような敏捷性で掴みかかってくる!
予想外のことにあっという間に抑えつけられちまったぜ。
しかも十何人という人間がリミッターでも外れたかという力で圧し掛かってくるんで、このままじゃとても抜け出せそうにねえ……!
「ゼンタさん!」
サラが呼びかけてくるが――心配いらねえよ。
こんなあっさり捕まるのは想定外だったが、こうなること自体は俺の作戦通りさ!
「【接触】!」
「「「……!」」」
ぶわっと信者どもが俺の体から離れる。いや、引き攣った顔に震える手足は連中が自分の意思とは関係なしに俺を拘束することができなくなったことを示していた。【接触】の効果は抜群だ。それを見て笑う俺とは反対に、ハンナマラは剣呑な顔をしている。
「何をした……? 再生誕を受けた者は主のためひたすらに、我武者羅に働く。その定まった心を乱すのは容易ではないはず!」
こいつらは精神に作用する類いの状態異常への耐性がついてる、ってことかね。
だが俺の【接触】の恐怖効果はそれを突破したと。
あぶねーあぶねー、スキルLVが上がってなかったら掴まれたままだったかもしれんな。
「へっ、教えてやらねーよ! 逃げるぞ!」
ハンナマラに背を向けて走り出せば、サラとメモリもすぐに続いた。もたもたしねえのは助かるぜ。俺があえて信者からのヘイトを稼いだってのをわかってたみてーだな。
「くっ……正気に戻りなさいお前たち! すぐに追うのです! 決して外に出してはいけません、確実に捕えなさい!」
閉まった扉を蹴り破って脱出すれば、後ろからハンナマラの叱責の声が聞こえた。信者どもを炊き付けているようだ。
俺から言わせりゃハンナマラも含めてあの場に正気の人間なんて一人もいねーが、首謀者でもある司祭と違って他の連中は操られてるだけの元一般人。なんとか傷付けずに解決してーが、向こうから襲ってくるんじゃそれも難しい。
さーて、こっからどうしたもんか……!
◇◇◇
ち、とハンナマラは舌を打つ。視線の先にはようやく気を取り直して命令に従い部屋を出ていく信徒たち。この神聖なる本部にて鬼ごっこが演じられると思うと腹が立つが、致し方ない。不敬にも主からの施しより逃走した三人組はすぐにも捕まえる必要がある。
奴らがどこの誰でどんなよこしまな目的を持っていようと、再生誕さえしてしまえば問題は問題じゃなくなる。今は一刻も早く騒ぎを収めることだ。
「封鎖は済みましたね? ならば受付も今だけは必要ない。ナルマにも言伝えて奴らを追わせなさい」
連絡役に一人残した信者へそう告げたハンナマラは踵を返し、逃げた三人とは別のほうへ向かう。
その背中にかかる無言の問いかけへ、ハンナマラは答えた。
「最高信徒ナキリを動かします。先ほどもハエを追い払わせたばかりですが、事態が事態です。彼にも最大限その力を発揮してもらわねばなりませんからね」
あなたはあなたなのすべきことをしなさい、と命じれば連絡役の男は無言で深々と頭を下げると他の信者同様、部屋を出ていった。
走らず、しかしできるだけの早足という実利と品性を両立させた彼の足音が遠ざかっていくのを満足して聞きながら、ハンナマラも似たような歩き方で先を急ぐ。
ナキリ信徒が控えているのは上階だ。警護として特殊な立ち位置にいる彼は他の最高信徒が常に携帯している、建物内でのみ使用できる連絡用の通信具を所持していない。
正直言ってそのことにハンナマラは納得がいっていない。
が、それに文句をつけたりはしない。
彼を特別扱いしているのは他ならぬ主であるからだ。
彼女のすることに、司祭とはいえ一信徒でしかない自分が口を挟むことなどあってはならない。苦言などもってのほか。ハンナマラはそう考えている。
絶対なる忠誠心。
教団員の中でもとりわけ自分こそが一等強いそれを抱いているという自負があるからこそ、現状のハンナマラはどうしても焦らざるを得なかった。
「例の疑惑もまだ払拭されていないというのに……ここであの子供たちに手を煩わされるわけにはいきませんね」
数日前から教団に起こり始めた異変――というよりも違和感。散見されるそれらが単なる再生誕者たちの気の迷いか、あるいは真実、この本部内をうろつく影なき侵入者がいるのか。
前者でも統率の面では問題だが後者だとすれば大問題だ。ここで目的不明の子供などにかかずらっている余裕などない。ましてや、このまま彼らまで捕えられずに鬼ごっこがかくれんぼにまでなってしまっては、いよいよ目も当てられなくなる。
万が一にも長引かせてはいけない。
そして異変の正体もいい加減突き止めねばならないだろう。
「ナキリは当然として、この際他の最高信徒たち……選ばれし精鋭である鎮圧隊にも出動をかけましょう。全戦力を傾けて本部をくまなく洗いつくす。これこそが現状の最善に違いない」
――固く閉ざされた最上階。司祭である自分でもおいそれとは近づけないそこに、他のいかなる誰もが決して近寄らないようにとハンナマラは厚い忠誠をより堅固なものとした。




