虹が逆さになる時
童話は久しぶりなので、お目汚しになったら申し訳ありません。
逆さ虹の森と呼ばれる場所があります。
かつて大きな虹がかかったそうです。
それだけではありません。
その虹は普通の虹とは違って逆さまにかかったそうです。
多くの人間も、森に住む動物たちもはっきり見ました。
ですが、どうして逆さまにかかったのかは誰も知りません。
ある人は見間違いだと言いました。
ある人は神さまがいたずらしたのだと言いました。
ある人は動物の悲しみが形になったと言いました。
ある人はみんなの夢がつまっていると言いました。
でも、誰も本当の理由を知りません。
ただ、その事だけが伝えられて、その大きな森は逆さ虹の森と呼ばれるようになりました。
「今日は来てくれるかなあ。」
コマドリの綺麗な歌声が外から聞こえます。今日は天気も良いので、きっと森は夢のようにキラキラして、木々も穏やかに微笑んでいる事でしょう。
「お腹空いたなあ。」
ですが、どれだけ森が美しくても、どんなに綺麗な歌声が優しく世界を包んでも。彼は滅多に外に出て行きません。
「・・・こわいよ。」
そのクマはとっても怖がりだったからです。
虫の羽音に悲鳴を上げ、動物の足音に目を白黒させ、木から落ちてきたドングリに腰を抜かしてしまうのです。
もう何年も前に、彼のお母さんは人間に殺されてしまったのです。
森は大きく、人間が入り込まない場所もたくさんあります。森を半分に分ける川のこちら側は動物しかいません。
ですが、あの日川にかかったオンボロ橋を渡って人間がやって来ました。その人間だって優しい人で、動物と仲良くしたいと思っていました。
ですが、クマのお母さんと突然出会ってしまい、びっくりした人間はもしものために持っていた銃を撃ってしまいました。
クマのお母さんはびっくりして逃げて来ましたが、銃はお母さんの胸に当たってしまっていました。お母さんは何日か苦しんで、死んでしまいました。
それから子どものクマは、とっても怖がりになり、こうして隠れながら生活しています。
「クマさーん、こんにちはー。」
外から声が聞こえます。ずーっと昔から聞いている安心出来る声です。
ポカポカと暖かいお日さまみたいで、サラサラと流れる小川みたいに透き通った声です。
「キツネさん、こんにちは。」
クマはそっと寝ぐらから顔を出してあいさつを返しました。
「こんにちは。」
キツネはクマの姿を見ると、にっこりと笑ってもう一度あいさつをしました。
ツヤツヤの毛皮が日を照り返し、コマドリの綺麗な歌声を背に、もっと綺麗な笑顔を向けてくれます。
「はい、今日の分ですよ。ゆっくり食べてくださいね。」
キツネは怖がりのクマに食べ物を持って来てくれるのです。
とっても怖がりなクマは自分の寝ぐらから出るのも出来ないくらいですから、自分で食べ物を取ってこれないのです。
「ありがとう。キツネさん。」
クマのお礼を聞いて、もっと笑顔を深くしたキツネは言いました。
「毎日来るのは難しいから気になっていたけど、元気そうで良かった。また来るから、ちゃんと食べてね。そうじゃないとガリガリになっちゃうからね。」
もう一度笑うとキツネは走って行きました。
キツネのいなくなったあとには、木の実やキノコがたくさん置いてありました。
「本当、キツネの奴はお人好しだよなあ。こんな臆病者にまで飯を配ってるんだから。」
遊びに来たヘビがそう言ってため息をつきました。
ヘビは自分でご飯を準備して食べますが、とっても食いしん坊なので、自分で準備した食べ物だけでは足りず、こうやってクマがキツネにもらった食べ物をもらいに来るのです。
「でも、本当に嬉しいよ。こうやってご飯が食べられるのはキツネさんのおかげだから。」
「そうなんだけどな。最近あいつ、森に来た人間にまで食べ物を渡しているらしいぞ。」
ヘビの言葉にクマはびっくりしました。人間はとっても怖い生き物なのですから。
「危なく、ないの?」
自分の声が震えているのが解ります。人間は怖い生き物なのです。わざわざ自分から関わろうだなんて。
「まあ、姿を見せずに上手くやっているみたいだけどな。他にリスの奴なんかも見に行ったりしているようだ。オンボロ橋のそばに小さな小屋を建てているみたいだぞ。」
ヘビの言葉に安心しましたが、リスはとってもいたずら好きです。きっと人間にもいたずらしているのでしょう。そう考えると、くすっと笑ってしまいました。
「まあ、お前には関係ないな。」
ヘビも笑っていました。
それからしばらく経って、人間がリスのいたずらでオンボロ橋から落ちてずぶ濡れになったとヘビが教えてくれました。
キツネは食べ物を配る相手が増えて忙しそうでした。
またしばらく経ったある日。寝ぐらの外から叫び声が聞こえて来ました。コマドリの声もいつもの草原に吹く風のような歌声ではなく、嵐を思わせる声でした。
そっと寝ぐらから顔を出すと、そこには綺麗な毛皮を真っ赤に染めたキツネが横たわっていました。
「人間の野郎だ。リスのいたずらをキツネの仕業と勘違いして、撃ちやがった。」
ヘビが教えてくれます。ですが、クマにはヘビの声が頭に入ってきません。
誰よりも優しいキツネがどうして。
お母さんと同じ。
死んじゃう。
クマは走り出しました。
後ろからヘビの声が追いかけてきますが、気にしてなんていられません。
クマは知っていました。
お母さんが死ぬ直前に教えてくれた、ドングリ池を。
そこにドングリを投げ込んで願い事をすると、叶うのだということを。
動物たちの中でも、限られた者しか知らない事です。
クマの心臓は張ちきれそうでした。必死で走ってバクバク言っています。まるで別の生き物のようです。
そして何より、怖かったのです。
最後に寝ぐらから出たのなんて、いつだったでしょう。当たり前に存在する森そのものが、怖かったのです。
お母さんが死んでから、クマにとって全てが怖いものに変わりました。柔らかい日差しも、高い場所から見下ろす大木も。時々表情を変える小川も。友だちのヘビも。いつも優しいキツネもです。
でも、怖くても。どれだけ怖くても。
「いなくなったら、いやだ。」
通り過ぎる景色をゆっくり見る余裕なんてありません。腰を抜かしてしまうほどに驚いたドングリを探さなければいけません。
気味が悪いほどに透き通ったドングリ池に近づかないといけません。
落ちないよう、気をつけてドングリを投げ込まないといけません。
一生懸命、それこそ必死にお願いをしないといけません。
それら全てがどれだけ怖くても。
クマには叶えたい願いが生まれました。
その日、森には逆さまの虹がかかりました。
逆さ虹の森と呼ばれる場所があります。
かつて大きな虹がかかったそうです。
それだけではありません。
その虹は普通の虹とは違って逆さまにかかったそうです。
多くの人間も、森に住む動物たちもはっきり見ました。
ですが、どうして逆さまにかかったのかは誰も知りません。
ある人は見間違いだと言いました。
ある人は神さまがいたずらしたのだと言いました。
ある人は動物の悲しみが形になったと言いました。
ある人はみんなの夢がつまっていると言いました。
でも、誰も本当の理由を知りません。
ただ、その事だけが伝えられて、その大きな森は逆さ虹の森と呼ばれるようになりました。
時々しか寝ぐらから出て来ないクマや、友だちのヘビ、優しいキツネたちが仲良く暮らしている、大きな森です。
ある日、クマはずぶ濡れになって寝ぐらに帰ってきたそうですよ。
でも、とっても嬉しそうだったという話です。
本当はそれぞれの動物の視点も書きたかったですが、時間がー(・_・;