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「おい!! カルバンお前どういうつもりだ!?」


 姫さんを退出させるや、俺はカルバンに詰め寄った。カルバンはうっとおしそうに俺を見ると、特大の溜息を吐いてみせた。


「好きなんだろう? あのお姫さまを見るお前の目は普通じゃないぞ。お前がいまだかつて女をこんな風に懐に入れて目に掛ける姿なんぞ見た事も無い」


 !!

 ……あぁ、そうさ。俺は確かにあの姫さんに惚れてはじめてる。だが、


「それとこれとは話が違うだろうが! 仮に俺がよくたって、心細いまま敵国にやって来て、いきなり夫を宛がわれる姫さんの身にもなれってんだ! とにかく、余計な世話を焼くんじゃねぇ!」


 激昂する俺とは対照的にカルバンの瞳はあくまでも凪いだもの。俺をジッと見つめ、カルバンはゆっくりと口を開いた。


「同じさ。禍根を残さない為にもガラージュ公国の血は我がドルーガン国王の血と交わらせる。これは国王の私が決めた。決定事項だ」

「っ!」


 淡々と告げるカルバンの言は正論なんだろう。けれど、俺達の意思を無視して取り決められた突然の結婚話に、感情が付いていかない。


「それとも何か? 私が第二夫人として娶ろうか? 私には生涯唯一と定めた正妃がいる。しかし国としての意思ならやむを得ない、孕むまでは胤を与えてやるのも仕方ないか? それともやもめの我らが叔父上に下げ渡すのか?」


 聞くに堪えなかった。俺は渾身の力で拳をローテーブルへと叩きつけた。


「やめろ!! ミーナを貶めるな!!」


 全身が小刻みに震えていた。怒りとも憤りともつかない渦巻く感情の嵐。視線で人を射殺せるとしたら、間違いなく目の前のカルバンは血濡れで伏していただろう。


「なぁ、アスラン。これはお前にとって初恋なんだろう? 外野からのお膳立てなんかじゃなく、己で温めたかったその気持ちは良く分かる。だがな、私の第二夫人は冗談にしたって、叔父上にミーナ姫を掻っ攫われ、あまつさえガラージュ領の支配権まで主張されては全てが元の木阿弥だろう? それはミーナ姫がもっとも憂う事だ」


 カルバンは穏やかに言葉を重ねる。そして辛くも、カルバンの言は全て正論だ。

 分かっている、本当はちゃんと冷静な部分で分かっているんだ。


「……カルバン、俺にミーナを娶らせてくれ。俺が、ミーナを幸せにする。ミーナの故郷、ガラージュ領の復興にも協力する」


 カルバンは整ったその顔で、花が綻ぶみたいに笑って見せた。


「そうか、我が弟よ。私はね、国王だから国益を第一に考えなければならないのは当然の事。けれど、君の幸せを願う心もまた真実だ。君たちは似合いの夫婦になれるだろう」


 カルバンが俺の肩を叩く。

 俺は決意をもって、ただ頷いて応えた。



***



 私の事なのに、私を置き去りにして話はどんどん進んでいく。

 ドルーガン王国に到着したのが一昨日の夕刻。そして一昼夜明けた今日、私はアスラン将軍の花嫁になる。


「流石のあたしもここまでの急展開は予想できなかったね! けどさ、過程なんて重要じゃないよ! あんたらは間違いなく似合いの夫婦になるさ!」


 トルテッタが着せ付ける純白のドレスはアスラン将軍が用意したもの。その生地は一目見ただけで高級と知れる極上のシルクサテン。光沢感が強くって、なんて滑らかな肌触りなんだろう。


 もちろんお財布の出どころがアスラン将軍というだけで、彼が手ずから選んだわけではないんだろう。

 けれどしっくりと体に馴染む極上のシルクは、それだけ大切に想われているのだと錯覚してしまいそうになる。


「……どうかな」


 ドレープの利いたドレスの裾をきゅっと掴んだのは無意識。

 昨日からアスラン将軍は一度も私の所に顔を出さない。


 一昨日、カルバン王の接見の間を辞した私は王宮女官に客間へと通された。トルテッタには一旦自宅に帰ってもらったから、私は広く豪奢な部屋に一人まんじりともしない夜を過ごす事になった。


 私は翌日も、宛がわれた客間をずっと空けずに居た。万が一、私が部屋を外している時にアスラン将軍が来たらと思えば、女官の散策の誘いも受ける気にはならなかった。


 本当はずっと、待っていた。何か直接アスラン将軍本人から聞けるのではないかと、儚い期待を胸に待っていたのだ。


 結果、出来上がったのは寝不足に目を腫らした花嫁で、トルテッタや女官の努力によってなんとか厚化粧で誤魔化す事に成功していた。


「なーに辛気臭い顔してさぁ! アスラン将軍はいい男さ!」


 私の背をドンッと叩いて、トルテッタがケタケタと笑う。トルテッタの心遣いはひしひしと感じる。

 そしてまた、私も十分すぎるくらい知ってる。アスラン将軍は信頼に足る男性。トルテッタの言うところの、いい男に間違いないんだろう。

 けれど、カルバン国王から婚姻を言い渡された時のアスラン将軍の苦い表情が頭から離れない。


「トルテッタ、私は怖いんだと思う。望まれない花嫁として嫁ぐ事が……」


 私の心の吐露にトルテッタは驚いたように目を丸くした。


「ミーナさまが望まれないだなんて、そんな事あるわけないだろ! アスラン将軍はミーナさまを望んでいるさっ!」

「……そうかな」


 トルテッタの慰めも、私の沈む心を晴らすには至らない。

 私は何より、尊敬や敬愛を感じ始めるアスラン将軍に疎ましく思われる事が怖い。アスラン将軍に疎まれれば、私の存在意義がゆらぐ。


 まるで視界のままならない霧の中に、投げ出されてしまったような心細さ。

 アスラン将軍への切なく苦しいこの思い。これは依存心なのだろうか? 


 ……いいや、きっと違う。私はおそらく、アスラン将軍を憎からず想い始めている。


 北砦での五年は捨て置かれた気安さから、ある種の自由を満喫した。


 けれどこれから臨むのは、私が存在して行くための必要条件としての婚姻。そこに双方の愛情は必須ではないから、アスラン将軍がこの後何人の女性と愛を語り合おうとも、私にそれを責め立てする権利はない。


 侘しかった。遣り切れなかった。


 今日、生涯の伴侶を得るはずの私の心は、孤独だ。



***



 散々な初夜だ。

 結局俺達は、真の夫婦になれていないのだから。


 ……けれど一方で、ひどく甘美な初夜だった。


 コンコン。


 ノックを受け、俺は隣で浅い寝息を立てている姫さんから扉へと視線を移す。


「トルテッタでございます」

「入れ」


 俺の声を受けて、そっと主寝室の扉が開かれる。ベッドの惨状を目にしたトルテッタが息を呑んだのが分かった。

 後ろめたさに、勝手に視線が泳いだ。


「……後、頼んだな」


 俺は何とかそれだけを告げると、逃げるように自分の寝室を後にした。とてもじゃないがトルテッタの顔を見る事なんて出来なかった。

 廊下を進みながら、束の間昨日の結婚式へと思いを馳せた――。




 昨日の結婚式、俺の選んだ花嫁衣裳に身を包んだ姫さんを見て、俺は夢でも見ているんじゃないかと思った。

 チャペルの前に到着したのは俺が先だった。まんじりともせずに姫さんが来るのを待っていた。 そこにしずしずと姿を現した姫さんは、まるで現実の物とは思えないほど清らかに澄みきっていた。


 控室にはどうしても足を運ぶ勇気がなかった。

 だってそうだろう? これは姫さんが望んだ婚姻じゃない。望まずに嫁ぐ花嫁に、俺はなんと言葉を掛けていいか分からなかったんだ。


 だから初めて目にした花嫁衣裳の姫さんに、俺は阿呆みたいに見惚れていた。


「……あの、アスラン将軍?」


 それほどに純白の花嫁衣装に身を包んだ姫さんは目も眩むほどに綺麗で、そしてその花嫁姿が俺の為のものと思えば、湧き上がる独占欲や得も言われぬ高揚感が胸を支配した。


 同時に幼げな姫さんの花嫁姿は、どこか征服欲や背徳感も掻き立てる。ゴクリと喉を鳴らしたのは純白の花嫁衣裳の下、衣装なんかよりもっと美しい姫さんの真白い裸体を想像したからに他ならない。


 姫さんの真白い肌はどれほどに柔らかく、温かに俺を包むのだろう。


「まるでニンフだな」


 妖精のように、女神のように、姫さんは俺を魅了してやまない。

 しかし何故だろうか、俺の言葉に姫さんの表情が暗く沈んだように見えた。


「姫さん?」


 心配になって呼び掛ければ、俺の視線から逃げるように姫さんが俯く。


「……いえ、なんでもありません」


 けれど、しばらくの間を置いて顔を上げた姫さんは、常と寸分も変わらない表情だった。


 俺の気のせいだったか? ……それもそうだ。俺の下賤な欲望など、姫さんには想像すら出来ないだろう。


 姫さんは綺麗な物だけを寄せ集めて形作られた清廉な奇跡だ。俺の欲望に汚したくはないが、姫さんとて子供じゃない。人妻になるその意味を正しく理解しているだろう。

 初夜の晩に期待するなという方が難しい。


「行くか」

「はい……」


 腕を差し出せば、姫さんの嫋やかな手が、しずしずと添えられる。

 俺は俯きがちな姫さんを花嫁の初々しい恥じらいと微笑ましく眺めながら、神父の立つ祭壇までエスコートした。


 その後の形式的なものなんかはまるっきり覚えちゃいない。ただ、俺の隣に並ぶ姫さんを不本意な形とは言え、嫁に出来た僥倖に俺は酔いしれていた。



 だから、初夜の床での姫さんの態度に俺は正直、男としての沽券を打ち砕かれた思いだった。なにより、悲しいというのが率直な気持ちだった。


 形式通りに花嫁衣裳の姫さんを抱き上げて、はじめて招き入れた俺の屋敷は家令のカルスの指揮の元、かつてないほど綺麗に磨き上げられていた。

 夫婦の寝室はリネン類を替えこそしたが、新しく調度を設える事をしなかった。今まで俺が使っていた主寝室でも十分な広さがあったし、特段姫さんが豪奢な家具や調度品を望むとは思えなかったからだ。


 そうして待ちに待った初夜の床入り。

 こんなにも落ち着かない思いで自室に向かったのは初めてだった。


 湯を浴びて寝支度を整えて、姫さんが待つ寝室の扉を開ける。一応のノックだってしてみせたのは、紳士としては当然の行動だろうと思ったからだ。


「姫さん?」


 姫さんは俺を目にすると、楚々として頭を下げて見せた。それは貞淑な行動であるはずなのに、何故か一線を引かれたような物悲しい気持ちがした。


 それというのも俺の知る姫さんはもっと勝気で、言いたい事があれは凛と顔を上げてきちんと言ってのける、そういう娘だ。


 その姫さんがまるで借りてきた猫みたいに大人しく俺に頭を下げるのは、この婚姻が命じられた義務だから仕方なく従っている、そんな姫さんの思いの裏返しのようで、俺は一気に高まっていた想いが萎んでいくのを感じていた。


 一方で義務として従うのであれば、これから夫である俺に従順に足を開いてみせるといい、そんな残酷な思いも頭を過った。

 俺は俯いたままの姫さんにそっと距離を詰めた。夜着から覗く姫さんの真っ白なうなじに誘われるように手を伸ばす。


「……きっと、私はアスラン将軍を悦ばせるニンフにはなれません」


 真白いうなじに触れる直前、姫さんの言葉に俺の指先が弾かれたようにビクリと止まる。

 それはこれからの行為への拒絶なんだろうか。胸に一気に苦い感情が広がってゆく。


「姫さん、姫さんが何と言おうと俺は、あんたを逃がすつもりはない」


 一旦は躊躇った指先を、俺は今度こそ姫さんの真白いうなじに触れた。触れた姫さんの肌は驚くほど滑らかで、甘く香しい匂いがした。


 けれど姫さんの感覚はそうではなかったようで、姫さんは俺が触れさせた瞬間に大きく肩を跳ねさせた。

 何を今更と思った。夫婦になるとはそういう事だ。

 姫さんの潔癖さは美徳ではあるが、夫婦の寝室にその感情は不要だ。


「姫さんは俺のものになった。夫に体を開くのは妻の務めだろう?」


 触れた姫さんのうなじから、首筋を辿って華奢な鎖骨をなぞらせる。この段になると姫さんの体が小刻みに震えているのが分かった。


 ……そうまで俺を拒絶するのか。わなわなと怒りが込み上げ、握りしめた拳の中で爪が掌に食い込んだ。


「姫さん、いつまでも震えていたってしゃーないだろう?」


 しかし、構うものか。どんなに姫さんが嘆こうが、俺の劣情は既に高まるところまで高まっている。喉の奥に引っ掛かっていた苦い感情は情欲へと形を変え、残虐な男の性が支配していた。


「夜着を脱げよ?」

「っっ!」


 姫さんは俺の残酷な台詞に弾かれたように顔を上げた。


 顔を上げた姫さんは泣きそうに顔を歪めていたけれど、何を反論するでもない。俺もまた、冗談で言った訳じゃない。


 着衣のまま事に及ぶのも悪くはないが、初夜の床では無粋だろう。どうせなら姫さんの生まれたままの姿を眺めながら果てたい。


 俺を見上げたまま固まる姫さんから、俺も視線を外さない。姫さんの黒曜石の黒が映すのは情欲にけぶる肉食獣みたいな雄。俺はこれから、姫さんを骨の髄まで食らい尽くしてやる。

 視線と視線が、まるで根比べのように絡む。先に折れたのは姫さんだった。姫さんは綺麗な黒を瞼の裏にスッと隠すと、震える手で夜着のリボンを解き始めた。


 それはじれったい位の時間を掛けて解かれた。姫さんの夜着は当然それを考慮して作られているから、胸元のリボンを解けば、それだけで薄絹の夜着は姫さんの肌をするりと滑ってベッドに落ちた。


 あまりの美しさに、ごくりと生唾を呑み込んだ。


 こうして俺と姫さんの初めての夜が始まった……。





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