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「なぁミーナ、今日はどうする?」


 私の黒髪に櫛を通しながら、後ろからマリッサが問う。自分ですると何度言っても、マリッサは櫛を握り締めて、決して引かない。


「いつもと同じで、後ろでひとつに括って頂戴」


 私の髪は艶々として触り心地が良いのだとマリッサは言う。


「ちぇっ、もったいないよなぁ。こんなにサラサラの髪なんてそうそう無いってのに、皆分かってないよな~」


 マリッサの言葉に苦笑が漏れる。私の髪をそんな風に評すのは、マリッサだけだ。

 当事者でありながら、全ては後から知った。


 ガラージュ公国に生粋の黒髪黒目を持つ者はいない。

 黒に近い暗褐色も、ガラージュ公国では忌避の対象。いわれのない偏見や差別の目が付きまとう。


 もしそんな黒を髪と瞳の両方に持つとすれば、それはもう、人であらざる魔に他ならない。


「まぁいいや。おかげであたいがミーナの髪結い出来てるわけだしな」

「ふふっ、マリッサってば。けど、いつもありがとう」


 けれどアイデンティティーを維持するために、外見の要素というのは無視できない。

 私がなんとか表面上の平静を保ってこられたのは、皇女ミーナの外見によるところもあったに違いない。私がもし、金髪碧眼のお姫さまに転生していたら、それはもう私であって私でない。

 皇女ミーナは美奈ではないけれど、この国では異端の黒に、私であってもいいのかもしれないと、僅かな希望に縋らせてくれた。


 私には、魔女と蔑まれるこの外見が拠り所だった。


「ほいっ、出来た」

 後ろのマリッサからヒョイっと手渡された鏡。

「わっ、素敵!」


 見れば結んだところに可愛らしい野バラが飾られていた。マリッサの心遣いに頬が緩んだ。

 当初は身を焼くほどに私を苛んだ怒り。しかし怒りも、いつまでも当初の激しい奔流のままではいない。


 元来の楽観的な性格もあるだろう。

 怒りは怒りのまま、けれど日々の暮らしの中で、記憶のひとつとしてやがて昇華した。


 皇女とはいえ、皇帝に疎まれた私に構おうとする者はいない。


「そういやミーナぁ、あたしが勉強サボったのかぁちゃんにチクったろ?」


 そう、このマリッサとマーサ母子を除いて。


 北砦の最上階、この空間が私の全て。鉄格子の嵌まる窓、そこから眼下に臨む景色が私が知るガラージュ公国の全てだ。


「やぁね、私はただマリッサの答案が私と一言一句同じだから不思議って、マーサと話しただけ」


 不吉な幽閉皇女の世話なんて、貴族婦女子は敬遠する。貴族出身の世話係が何人か交代したところで遂に志願者が尽きたのか、平民から募る事になったらしい。

 だからマリッサもマーサも平民だ。


「ばぁろ! そんなんチクったも同然だってーの」


 二人は私にとって、大切すぎる存在。腫れ物に触るように接するか、存在を無視するか、そんな数人の世話係を経てマーサとマリッサ母子が私の世話係となって、かれこれ三年の付き合いだ。


「コラッ! マリッサ! ミーナ様になんて口利いてんだい!」


「か、かあちゃん!? もう帰って来たのかよ!? っ、アダダダダッ!!」


 ピョンっと飛ぶように身を翻したマリッサだったが、逃げおおせるには至らなかった。マーサからこめかみにグリグと拳を食らって、マリッサは悶絶した。


「くっそー!」


 マリッサの天真爛漫さは、幽閉生活の鬱屈も吹き飛ばすパワーに満ちている。私はこの母子にどれ程救われているだろう。


「ふふふっ、おかえりなさいマーサ。早かったね」


 これは私の想像。十歳の皇女は誰からの愛情も受けられず、心を殺してしまったのではないか。大人の私だってマーサとマリッサに出会う前の月日は、孤独が苦痛に感じる時もあったのだから。


「はい、ちゃぁんと封筒も届けてまいりましたからね」

「ありがとう」


 ただし私への生活支給金はケチられてはいないようで、この世界ではまだ高価な本やノート、文具の類も求めれば惜しまず与えられた。

 そのおかげで本の虫の私は、そこそこ快適に過ごして来られてはいる。


 それでも幽閉されて五年、マーサとマリッサと出会ってから三年、流石に外の空気も吸いたくなってきた、今日この頃。




「ではミーナ様、これで失礼させてもらいますね。おやすみなさいませ」

「じゃあな、ミーナ」


 マーサとマリッサと共に過ごす日中は楽しい。

「うん、ありがとう」


 けれどマーサとマリッサが帰宅して一人になると、どうしたって物悲しい。

 格子の隙間から眼下を見下ろせば、夕日が大地を茜色に染めていた。私が幽閉されている北砦は、要塞が起源の堅固な石造りの五階建て。けれど老朽化した北砦は、要塞としての機能を果たさなくなって久しい。

 解体が待たれていた北砦がいまだ取り壊されていないのは、私の幽閉というこの一点に尽きる。


 北砦の最上階の窓からは、行き交う人々の様子がよく見えた。

 夕刻のこの時間は、皆が足早に帰宅を急いでいた。母親は片腕にパンや野菜の入った包みを抱え、反対の手で子供の手を引く。 

 畑仕事を終えたのだろう老爺は、肩に鍬を担ぎ、背負い籠には収穫したばかりの野菜をいっぱいに詰め込んでいる。


 ……あぁ、人々の営みは世界が変わっても同じ。

 知らず頬が緩む。

 悲しくなんてない筈なのに、ジンと目頭が熱を持った。


「それにこうして見てると、戦中だなんて嘘みたい……」


 迫る戦争の足音も、いまだ皇都からは遠い。



 ガラージュ公国というのは、南側が広大なデルーニ海に面する小国で、東にドルーガン王国、西にケトルード国と両隣を大国に挟まれる難しい立地だ。

 しかしながらもガラージュ公国は、これまで巧みな政治手腕で独立を保ち続け、侵さず侵されず既に建国から千年を数えていた。


 そんなガラ―ジュ公国に陰りが見え始めたのは、ちょうど二十年ほど前。そしてドルーガン王国との関係が目に見えて悪くなったのが十五年ほど前だ。

 十五年前と言えば、ミーナがこの世界に生を受けた時期と重なる。けれど私に言わせれば、そんなのはたまたまだ。


 ドルーガン王国の領海を侵し、我が物顔に海洋資源を得て知らんぷり。その上、長年中立を保っていたガラージュ公国は、ここに来てケトルード国と軍事協定を結んでいる。

 それはもう、ドルーガン王国に喧嘩を売っているとしか思えない。そのくせ軍事協定の実態は協定とは名ばかりに、ケトルード国に良い様に搾取されるばかりの現状だ。


 ケトルード国の要請でドルーガン王国の東領に軍を差し向けたのはもう、無能としか言い様がない。

 これではドルーガン王国に睨まれたって文句は言えない。ガラージュ公国は自ら望んで虎の尾を踏む所業に及んだのだ。

 皇帝の無能さが噴き出してきたのが、ミーナ誕生に重なってしまっただけ。


 いまだ皇都に戦火は遠い。けれど無能な皇帝の下ではいつまでもつか、風前の灯なのかもしれない。







 風前の灯? ……昨日までの私は、とてつもなく考えが甘かった。


 灯など、とっくに消えていた。

 そうして今、私はこうしてドルーガン王国の兵に腕を取られてる。


「しっかし、最後の最後になって面倒事を抱えさせてくれたぜ。俺は第三皇女の話なんて聞いちゃいねーってんだ。存在しないはずの第三皇女がいるとなりゃ、嫌でもカルバンに指示を仰がなきゃならねーだろうが」


 大男は私から視線を逸らせ、宙を仰ぐ。そうして不満をたっぷりと滲ませて、溜息を吐いた。


「……あの、私の世話係をしてくれていたマーサとマリッサの二人はどうなりますか? 彼女達は雇われていただけの平民で、貴族じゃないんです」


 この男の属する軍ならば、そうそう無体を働くとは思えなかったけれど、キチンと確認はしておきたかった。


「あぁ? 用があるのは皇族貴族だけだ。平民には手出しはしねえ」

 男はぶっきらぼうだが、きちんと私の望む答えをくれた。


「そうですか、良かった」

 ホッと胸を撫で下ろす。


 ガラージュ公国の民はドルーガン王国の支配下に入る事で、無能な皇帝に搾取されて暮らすよりも余程、安寧の暮らしが送れるようになるだろう。

 そうすると私の気がかりは、皇女付きという肩書を持つマーサとマリッサの処遇だけだった。


 私には、最期の記憶が色濃く残る。それはつまり、私は確かに殺されて命を落としているという事。

 ミーナとしての生を受け入れこそしたけれど、この世界での生はおまけのようなものと、ある種の達観でもって暮らしていた。


 いつ死んだって悔やむほどの縁も無かった。


 ところが、三年前からそんな私にも縁が出来たのだ。不吉の魔女と忌み嫌われる皇女によく尽くしてくれた、マーサとマリッサの二人だ。


 私を絞殺しようとした皇帝も、命乞いこそしたけれど面会に一度も来ない皇妃も、私にとっては遠い存在。

 マーサとマリッサが、唯一私をこの世界に繋ぎ留める心の楔。


 大男は私を見下ろしたまま、面白そうに笑った。


「お前は自分の処遇よりもまず、使用人の心配か?」

「それは何かおかしいですか?」


 質問に質問で答えた私に、大男は肩を竦めてみせた。


「いいや、お前の境遇を鑑みればそうなるだろう」

 私の境遇? 男は私の事を聞いていないと言ったのに……。


「贅沢と無縁に幽閉生活させられてたろ? しかも僅かな身の回りの品まで世話係の逃走資金に持たせちまって、自身はシュミーズ一枚ってありえんだろう?」


 疑問が表情に出ていたんだろう。答えは大男が勝手に寄越した。

 けれど、贅沢と無縁というのはどうだろう。


 三食昼寝付きに、好きな本も読み放題は、切り口を変えれば贅沢と言えるんじゃないだろうか。

 シュミーズ一枚は、日本のキャミワンピと似たり寄ったり。美奈の感覚だと、そう抵抗のあるものじゃない。

 それに心を尽くしてくれたマーサとマリッサになんとか報いたくて、せめて何か持たせてやりたくて、こっちだって必死だった。


 戦火が宮殿に近付いていると知った二人は、私を連れて逃げようとした。

 けれど幽閉皇女とは言え、ミーナはガラージュ公国皇女。皇女である私を連れ出すリスクを、二人に負わせる訳にはいかなかった。


 頑として動こうとしない私に付き従って、二人とも最後は共に北砦に残ると言い張った。

 それは決してあってはならない事で、私は初めて権力に物を言わせて二人を北砦から追いやった。他の使用人に根こそぎ持ち去られ、備品棚や衣装棚は空っぽ。私は唯一残った文具の類と、その時身に付けていたドレスを脱いで逃走資金として風呂敷に包み、なんとかマリッサに背負わせた。

 とにかく、私はやっとの思いで二人を押し切ったのだ。


「お! あれがいいな」


 そうして男は何を思ったか、忙しそうに物資を運ぶ補給兵を呼び止めると、一言二言交わして大判の布を受け取る。


「ほらよ、これでも掛けておくといい。若い娘がそんな恰好でうろついてちゃ、兵士らの目に毒だかんな」


 そうして受け取った布を広げると、早速私に巻き付けた。

 男の気遣いに驚き、内心の動揺は隠せなかった。


「お、いいんじゃねーか」

「……ありがとうございます」

「おう」


 なんとか口にした礼に、男はなんでもない事のように頷いた。


「それにしたってお前の父母は見苦しい程の命乞いと責任転嫁で、最期まで不格好に足掻いていたぞ。金目の宝飾を抱えられるだけ抱えて、ケトルード国へ渡る算段をしていた。ケトルード国にいい様に使われて、既に切り捨てられているとも露程に疑わない。お前の両親は阿呆なのか?」


 阿呆なのか? と聞かれても父母であっても事実上他人。しかも初見で首を絞められたあの日から五年、顔を合わせてすらいないのだ。


「どうでしょう」


 曖昧に微笑んで告げれば、大男はますます眉間の皺を深くした。

 そうして盛大な溜息を吐くと、何事か考え込むように黙ってしまった。





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