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 俺はどうしょうもない阿呆だ。姫さんの事を何にもわかっちゃいない。


 姫さんが何を考えて、何を思ってガラージュでの五年を過ごしたのか。そして今、ドルーガン王国で過ごす姫さんが何をなさんとしているのか。


 俺は、姫さんの事を知りたいと思った。


 カルバンからガラージュ領主を言い渡されて、居ても立ってもいられずに執務を抜けて屋敷に戻った。しかし、姫さんは不在だった。


「買い物か?」


 俺の問いにカルスは緩く首を振った。


「奥様は午後から事業の交渉に行かれております。奥様は毎日朝から夕刻まで多くの貴族宅や商家を回られています」


 頭をハンマーで殴られたような気がした。それくらい俺はカルスの言葉に衝撃を受けていた。

 俺の留守中、姫さんが何をして過ごそうが俺は構わなかった。別に外出だって、好きにしてくれて構わないと思っていた。

 俺は姫さんを籠の鳥にしたいわけじゃないんだ。


「外出はいつからだ?」


 けれど姫さんがこうまで積極的に方々と繋ぎを取って動いていたなんて、俺は知らなかった。

 姫さんが毎日部屋で刺繍をしながら過ごしていただなんて思っちゃい。それでも姫さんがここまで積極的に動こうとは想像もしていなかった。


 女だから、ここは姫さんの国じゃないから、そんな風に自分に都合よく考えて俺は姫さんの行動力を甘く見ていたんだろう。その方が俺にとって都合が良かったからだ。


「奥様が屋敷にいらっしゃって五日目からは毎日でございます。けれど、その前から多く手紙をしたためておりました。投函を頼まれた事は一度や二度ではございません。方々に当たりを付けて、交渉の準備を進めておられたのでしょう」

「……そうか」


 俺は姫さんって人を、多少は分かっている気でいた。しかしそれは、俺の独りよがりだった。


 姫さんはどこか浮世離れしてる。それは黒髪黒目の見た目だけじゃない。姫さんの思考は自由で、敵味方とかそんな事に捕らわれない。根底はいつも、誰かの為に出来る事をする、そんな献身に満ちている。


 事実、姫さんは自身の生への執着すらどこか希薄で、そのくせ他へは自己犠牲も厭わない寛容さを見せる。


 だけど姫さん、それじゃあんた自身の幸福は誰が考えてやるんだよ。


「カルス、姫さんがこれまで手紙を出した先を覚えているか?」


 例えば敗戦国の皇女である姫さんが周りに認められたいと思ったなら、俺の財産を姫さんの名前で教会に寄付でもしてみせればいい。それで殊勝な態度のひとつもして見せれば、姫さんは社交界で一躍時の人になれる。

 それはわかり易い善行で、一番簡単で、いい思いも出来る。だけど姫さんは絶対にそんな方法なんて選ばない。一時の気まぐれの施しよりももっと、後続的で効率的な手段を姫さんなら考える。


「はい。全て覚えております」


 際立って優秀に家政の全てを取り仕切るカルスだ、その観察眼も記憶力も目を瞠るものがある。案の定、カルスは一目見ただけの宛名を全て記憶していた。


「こちらになります。それから、差し出がましい事は承知で奥様がガラージュ領に宛ててしたためた手紙の住所もこれへ」


 !!

 有能なカルスは全て見越してやがった。その上で、俺がまず調べようと思ってたガラージュ北砦幽閉時代の姫さんの協力者の居所を先回りで教えてきた。

 そもそもカルスが直ぐにリストを差し出してきたのは、カルスが俺の訴えを予測していたから。そしてカルス自身、それを待ち望んでいた。遅いぞと、もっと早くに言ってこいと、そんなカルスの声が聞こえそうだ。姫さんはもう、この屋敷の使用人を全て掌握してしまってる。


「カルス、俺はお前や姫さんみたいに優秀じゃないからな、ものの真相に辿り着くのも時間がかかる。……だからこの後は、しばらく戻れん」


 俺は姫さんの足跡を辿る。


「それでも、なるべくお早いお帰りをお待ちしております」


 カルスが俺をじっと見つめて、重く告げる。これまでカルスは俺の言葉にただ静かに了承の意を伝え、留守を守り、戻れば常に居心地よい状態で俺を出迎えてきた。

 そんなカルスの言葉に俺も重く頷く。


「そうだな、なるべく早く戻る! 留守を、姫さんを頼んだ!」 


 俺は姫さんが生きてきた足跡を辿るべく、単騎でガラージュ領に向かった。





 体力には自信がある。愛馬のジルガーも健脚が取り柄のタフな馬だ。通常の半分の時間で俺はガラージュへの路を駆け抜けた。


 到着したガラージュは予想に反し、大きな混乱もなく整然と復興が進められていた。ドルーガン王国との隣接村では地元村民に交じり、ドルーガン兵が復興協力する奇異な光景を目撃した。


「いやぁ、兵隊さんすまないねぇ! おかげさんでなんとか畑、種まき時期に間に合いそうだよ」

 ふむ。

 主に混乱の鎮圧を目的に派兵されていたのだが、すっかり復興支援になっているようだ。

「兵隊さんよ、すまんが今度はあっちの倒壊家屋の片づけ、手伝ってくんなよ!?」

「ちょっと母さん、あんまりお願いしては悪いって」

「なーに! 暇して突っ立ってんだから構いやしないよっ! なっ、あんたらそうだろう!?」


 ガラージュ領民ってぇのは逞しいもんだ。

 たじたじの兵士らを引っ張って、年配の女はずんずんと行ってしまった。俺は残った女の娘だろう妊婦を見る。女はでかい腹を重そうに擦っていた。


「なぁ、あんたらは千年続いた自国を滅ぼしたドルーガン王国を憎く思っちゃいないのか?」


 突然の俺の問いかけに、女は一瞬ギョッと目を見開いた。

 けれど女は直ぐに俺から目線を逸らすと、今さっき兵士らが耕し終えたんだろう畑をじっと見つめた。


「自分らの育てた麦できちんと子供の腹を満たしてやれるなら、それがどんな王様の治めるどんな土地だろうと構いやしないよ。歴史じゃ腹は膨れないよ」

 なんとも天晴で、なんとも正論過ぎる回答だった。

「……だけどそうだね。願わくばもう、戦争なんて阿呆な事を望まない王様だといい。あたしの腹の子が男でも女でも、この子には所帯を持ったら夫婦揃って共に年老いて一緒の墓に眠る、そんな当たり前の終末を迎えて欲しいと思うよ。あたしにはそれももう叶わないから……」


 じっと前を見つめたまま、瞬きすらしない女。女の目から透明な雫が伝う。ぽたり、ぽたりと地面に落ちる雫。


 戦場で俺は多くの命を散らしてきた。例えばそれは、目の前で涙する女の腹の子の父親であったかもしれない。


 しかしそれが戦場という場では必要な事だったから、だから俺に俺がしてきた事への後悔はない。だが俺は、その涙の重みを忘れてはならない。


「ドルーガン王は戦争、大っ嫌いだぞ」


 俺には気の利いた事のひとつも言ってやれない。だが、事実は言える。カルバンは国を貧しくする戦争、大っ嫌いだかんな。


「ははっ、そう。そりゃ、いい事を聞いた」


 そう言って女は乱暴に涙を拭うと、凛と前を向き母親と兵たちの後を追って行った。





 ガラージュ領民にドルーガン王国への反骨心とかそう言った感情は皆無だ。むしろ、ドルーガンの領地支配にある種の期待すら見てとれる。


 誤った戦争へと舵を取った皇帝一家を悼む声は無かった。皇帝の求心力は敗戦以前から、とうに地を這っていたようだ。



「かわら版はいかがかね? つい今しがた、刷り上がったばかりだよ」


 かわら版? 


 皇都に向かう道すがら、ふとかわら版売りが目に付いた。戦中人気だったかわら版は敗戦を機に出版がなくなったと風の噂に聞いていたがな。


 そうすると必然的にいかがわしい類を想像するのだが、明るい時間に大通りで売るなど珍しい。しかも買っていくのは普通の身なりの堅気の領民だ。


「おやじ、一部くれ」

「あいよ」


 なんとなく興味を惹かれて一部を手に取る。下世話な煽りが目を引く低俗なかわら版はドルーガン王国の花街でもよく目にする。中身は流行りの芸妓の醜聞や、僅かばかりの社会批判なんかの取り留めないものがほとんどだ。


 けれど俺が手にしたかわら版の趣向は、そう言った物とは程遠い内容だった。


「……これ、戦中のかわら版と同じ書き手、だよな?」


 復興に主眼が置かれた内容になっていた。自由や平等、一枚の紙面の中に何回も出てきたこの言葉。これには読み手はどうしたって新しい風を感じずにはいられない。

 押し付けでない、書き手の丁寧な主義主張。読後に爽やかな希望が持てる、そんなかわら版は初めてだった。


 そうしてかわら版の隅っこ、コラムに俺は目を丸くした。


『疑って疑心暗鬼になる事は簡単で、けれど信じる事は難しい。戦争の無い平和な治世、これも信じればこそ、成せるだろう。そしてこれはドルーガン王国筋からの聞きかじり。ドルーガン国王はとんでもなく平和的にガラージュ領復興を画策中とか』


 ってか、この最後の一文ってアレだよな? どう考えても俺と姫さんのガラージュ大使赴任とか、そういうトップシークレットのヤツだよな? ……俺はこの話を姫さんにしかしちゃいないぞ?


 しかもこの書き方は巧妙だ。


 こんな風に持ち上げられれば、ドルーガン王国も無下にはし難い。もしドルーガン王国の統治が碌でもなかったら、期待が大きい分ガラージュ領民からの反発は一層大きくなるだろう。


 ……姫さん、か? 姫さん、なのか? 


 このかわら版の文章は姫さんが書いた? そして、これまでの文章も姫さんが書いてきた!?

 ササイを語った姫さんが書いたなら、当然姫さん自身が書いていたっておかしくない!!


「ははっ! はははははっ!!」


 初めは、ポッと過ぎっただけ。

 けれど何故か、俺には確証があった。……これは姫さんでしか、あり得ない!


「はっ! はははははははっ! すげぇ! 姫さんはすげぇよ!」


 俺は俺の知らない姫さんの新しい一面をまたひとつ見つけた気がしていた。

 通りを行く人々は突然壊れたように笑い出した俺を遠巻きに眺め、俺の横を足早に通り過ぎていく。かわら版売りは、売り場をそそくさと俺から遠ざけた所に移していた。


「……姫さん、あんたは俺には過ぎた女だ」


 姫さんの足跡を辿る旅はまだ始まったばかり。けれど俺は今、物凄く姫さんに会いたいと思った。姫さんと直接顔を合わせ、直接に姫さんの声でその思いを聞いてみたい。


 もっともっと、姫さんと会話を持てばよかった。作ろうと思えば幾らだってその時間は取れたのに、俺は色々と理由を付けてその手間を惜しみ、結果姫さんとの心の距離は開くばかりだ。


 ……不甲斐ないな。


 俺はかわら版を丁寧に畳みつけ、荷袋の一番底にそっとしまった。


 俺が今歩むのは姫さんの祖国、姫さんの過ごしたガラージュ公国の皇都だった場所だ。しかし、姫さんがこの通りを歩いた事はない。


 姫さん自身で知るのは、幽閉された砦の最上階から望む眺望だけ。

 その他は間接的に得る情報が全てで、己の目や耳、肌で直接感じる情報は皆無といっていい。


 五年もの幽閉生活を、姫さんは何を考えて、何を思って過ごしていた? 


 ササイ書記官という人物は、ガラージュ国民へのダメージが最小限の公国滅亡を願っていた。

 かわら版の書き手はガラージュ皇族の腐敗と無能を暴露し、皇家への求心力を削ぐ事に主眼を置いて筆をとっていた。同時に、新体制への希望を謳ってもいた。


 そうしてガラージュ公国が潰えた今、ガラージュ領はドルーガン王国の支配の下、新しく生まれ変わろうとしている。


 では、姫さん自身は? 姫さん自身の幸福な未来は誰が叶える? ガラージュ公国滅亡と共に散ってしまおうなんざ、あまりにも刹那的で、あまりにも寂しい。


 天寿を全うしない、二十一歳の若さで散った前世。前世の二十一年分の記憶を胸に、姫さんは何を思い、格子の嵌まる窓から眼下を見下ろしてきたのだろう。


 悲しいのか。悔しいのか。或いは願いなのか。そんなのは姫さんしか知りえない。


 もやもやした思いを抱えたまま、俺はガラージュ宮殿へ向かった。ガラージュ宮殿には今はドルーガン王国の旗がたなびき、ドルーガン王国から派兵された兵らが宮殿を囲んでいる。


 しかし物々しさはなく、ガラージュ領民もなんら気にする素振りもない。元より皇都に直接的な戦火は聞こえていなかった。それもあってだろう、落城から三週間が経った今、民の日常は平静そのものに見えた。


「母ちゃん、なんで父ちゃんの誕生祝いしないんだ? 毎年忘れずしてんじゃんかぁ?」

「ドルーガン王国の王様がガラージュ前皇帝の喪に服す期間を一ヵ月くれたんだとさ。だから慶事はおあずけさ」

「えー、なにそれ」


 母親に手を引かれながら幼子は不満げに頬を膨らませた。


「全くありがた迷惑な話さ。こっちとしちゃ国を戦に引き摺り込んだ皇帝に払う敬意なんて、爪の先ほどだって持ち合わせちゃいないんだがね」


 母親の身も蓋もない台詞に苦笑が浮かんだ。けれどそれが民にとっての真実。

 宮殿にたなびく旗が変わろうが、それは民にとって些末。日々暮らしていく日常こそが、民にとっては全て。



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