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 ジェンド社長と別れた後は、重たい足を引き摺るようにして屋敷に戻った。

 トルテッタとアモン君が出迎えてくれたが、上機嫌に出掛けた私が暗い顔で戻ったものだから、随分と心配をさせてしまった。


「ねぇミーナさま、差し出た事かもしれないけど、あんたら夫婦は圧倒的に会話が足りないよ。戻ってきたら知らせるから、アスラン将軍とよく話し合いをおしよ?」


 トルテッタが部屋を出がけに、私を振り返ってこんな事を言った。


「……うん」


 この言葉を聞かされたのは今日、二度目だった。



 けれどその晩、宵の刻になってもアスラン将軍は帰宅せず、私は渋るトルテッタ母子の背を押して帰宅させた。なんとなく、これ以上待ってもアスラン将軍は戻らない、そんな気がしていた。


 一睡も出来ずに夜明けを迎え、居間に下り、まんじりともせずにアスラン将軍の帰宅を待った。


 ガチャリ。ギィィィィ。


 扉の音に、胸が跳ねる。


 カツ、カツ、カツ。


 長靴が床を鳴らす音にアスラン将軍の帰宅を確信した。アスラン将軍の靴の音は踵から付くから他の人よりも少し重たく響く。


 そうして居間の扉が開かれて、まず香ってきたのは白粉の甘い匂い。

 胸にズキリと痛みが走る。


「おかえりなさい」

 私は上手く笑えていただろうか。


「っ!! 姫さん……」


 アスラン将軍はビクリと肩を揺らし、私から目線を泳がせた。私に対し何か後ろめたい事でもあるのか、アスラン将軍はバツが悪そうに斜め上を見て頭を掻いた。

 湧き上がる苦い思いが胸を焼く。けれど私に、アスラン将軍を罵る資格なんてない。

 私は一旦苦い思いに蓋をして、謝罪と、一晩考えた言葉をアスラン将軍に伝えようとした。


「アスラン将軍、昨日は……」


 けれど私の言葉は、途中でアスラン将軍に遮られた。


「姫さん、昨日は俺も頭にカッと血が昇っちまったんだ。姫さんの貞淑を疑っちゃいない。だからこの件はもう、これで終わり、な? 俺は着替えて、すぐに出る」


 目の前がガラガラと崩れていく、そんな思いがした。


「姫さん、だからもう休め? あんた凄い疲れた顔をしてる」


 私の謝罪は元より、この後の会話まで、全てが拒絶されたようだった。アスラン将軍は私の肩をぽんぽんと叩くと、私の隣を通り過ぎて奥の厨房の方に消えた。


 甘い甘い白粉の残り香が私を嘲笑う。


 残された私は立ち竦み、血が滲むくらいに唇を噛みしめていた。惨めだった。こんなにも自分を惨めに感じた事は初めてだった。



***



 出勤を言い訳に、逃げるように早朝の屋敷を後にした。自分の屋敷なのに、居心地が悪くて仕方なかった。


 姫さんは一睡もしないで俺の帰りを待っていた。目の下に隈をこさえた姫さんは憔悴しきった様子だった。


 対する俺は花街からの朝帰り。

 まともに姫さんの目を見る事が出来なかった。姫さんの不貞を疑って罵った俺が、どの面下げて姫さんの顔を正面から見られるっていうんだ。


「アスラン将軍、私は情けないです。従順で清純なミーナ様がどうして不貞など働くと思うのですか?」


 そして昨日は右から左に抜けて行ったセリュートの小言が、何故だか今日は耳に痛い。


「私はミーナ様ほど心清らかで優しい女性を知りません」


 普段はどちらかといえば物静かで、出しゃばる事を良しとしないセリュート。そのセリュートが今日はえらく言い募る。


「って、セリュート! お前ちょっとは黙ってらんねーのか!? そもそもお前が、姫さんの何を知ってるってんだ? 何をもって清らかで優しいだなんて言いやがる?」


 しかも知ったような口を利くものだから癪に障る。


「アスラン将軍がご存知ないだけで、ミーナさまは戦争遺族への資金援助のために基金を立ち上げて活動を始めておられます。ミーナさまは心優しく、そしてそれを実行する行動力決断力もお持ちです。……稀有なお方です」

 セリュートの言葉に俺は度肝を抜かれた。


「そんなん俺は一言も聞いちゃいねぇぞ!? なんで姫さんはそれを俺に言わねーんだ!」


 まるっきりの初耳だった。姫さんはそんな話、俺には一言だって……、しかしここでふと頭に過ぎったのは、婚姻の後の俺と姫さんの夫婦の時間。


 ドルーガン王国に着いてから俺と姫さんがまともな会話をしたのは、初夜の翌朝の散策一回きり。他は淫らに体を寄せ合っていたり、不毛な言い合いをしていたり、とても落ち着いて会話など出来る状況ではなかった。


 ……俺、なのか? ……俺が、姫さんとの会話を遠ざけてしまっているのか?


「これまでのアスラン将軍の行動を鑑みるに、浅慮な貴方では相談相手にもならないとミーナ様はお思いになったのではありませんか?」

「なっ! セリュート、テメェ!!」


 しかし今のセリュートの発言は看過できるものじゃない。

 俺の非は十分に感じていた。だがそれとこれとは話が別で、少なくとも補佐官が将軍である俺に言っていい言葉じゃない。俺は椅子を蹴倒して立ち上がると、後ろに立って控えるセリュートに食って掛かった。


「セリュート、テメェ浅慮たぁどういうつもりだ?」


 地を這う俺の低い声にも、燃え上がる怒りの目にもセリュートは怯まない。ただ、正面から静かな瞳で俺を見つめていた。


「貴方はいつもそうだ……」

 そうしてポツリとそれだけ零すと、セリュートは口を閉ざしてしまった。


「随分楽しそうな話をしているね」


 突然割ってきた暢気な声に、俺とセリュートは弾かれた様に、揃って扉に首を巡らせた。


「カルバン!」

「国王陛下!」


 軍指令室に断りもなく入室出来る者は限られている。だからといって国王であるカルバンが現れようとは思ってもみなかった。


「な、なんだカルバン? こんなところまでわざわざ足を運ばなくても、呼んでくれりゃこっちから行くぞ!?」

「ん? まぁたまにはいいだろう? 政務室に閉じ籠ってばかりでは、肩が凝っていけない」


 カルバンは颯爽と俺達の方までやって来れば、勧めてもいないのに、勝手にソファに腰を下ろした。

 そうして組んだ足に立て肘突いて寛いだ様子で、目線だけを困惑する俺とセリュートに寄越す。


「さっきの話だけど、ミーナ姫の活動については私も聞き及んでいるよ。と、言うよりもミーナ姫から基金創設に際して打診があった」


 カルバンの言葉に目の前が真っ暗に染まっていくような気がした。夫である俺だけが、姫さんの行動を知らされていない。

 これでは、俺はまるっきり道化じゃないか。固く握りしめた拳の中、掌に爪がぎりぎりと食い込んだ。


「ちなみにアスラン、ひとつ注釈を入れると私がミーナ姫から打診を受けたのは婚姻式後の挨拶の時だ。新しく事を興すのに上官のゴーサインは必須だそうだ。決して私が君の不在中にミーナ姫を訪ねたりミーナ姫が私に謁見を申し入れたわけじゃない」


 カルバンは俺の居ぬ間に姫さんと会った訳ではないとわざわざ強調した。


 それはカルバンなりに俺の気を軽くしようとしたのかもしれないが、俺はちっともよくない。

 そんなに早い段階から、姫さんはもう基金とやらの創設を決意してたって事じゃねえか。


「ちなみにアスラン将軍、私ももちろん直接ミーナさまからお聞きした訳ではありません。父がミーナさま創設の基金の筆頭支援者として名乗りをあげたので、そちらの筋から知りました。ですからアスラン将軍を浅慮だと言ったのは、まるっきり私の私情によるものです」

「あぁあぁそうかよ!」


 これはなにか!? 俺は改めて喧嘩を売られているのか!?

 ギロリとセリュートをねめつけるがセリュートはどこ吹く風で全く堪えていない。


「やめろ二人とも。まずセリュート、ミーナ姫への恋心は十分に察するけど君じゃ役者不足だからすっぱり諦めろ。その上でアスランへの僻みややっかみも全て呑み込むのなら、将軍の椅子は君の物だ」


 !?

 セリュートが将軍だ? 少なくとも俺の在職中に、本人前にしてカルバンは何を血迷ってやがる?

 俺とてセリュートが姫さんを少なからず想っていた事は知っている。しかし問題はその後だ、将軍の椅子の件は何だ?


 これに関してはセリュートも同じようで、奴の眉間には珍しく目一杯皺が寄っている。

 いや、セリュートの眉間の皺はもしかしたら役者不足うんぬんに対してかもしれないが。


「それからアスラン、浅慮で不器用な君に将軍とガラージュ領主二足のわらじは無理だ。君には来月からガラージュ領主を任命する。同時に将軍職は退任だ」


 なっ!? なっ!!


「ってオイ! カルバン! ガラージュへの赴任は復興が波に乗るまで大使として、一時的に、じゃねーのかよ?」

「うん、違うね。ガラージュ領主として、永続的に、だね」


「っっ!!」


 んだよ! そんなんありなのか!?


「私はミーナ姫が気に入ったんだ。あ、もちろん女性としてって意味ではないよ」

「そんなんはとっくに分かってる!」

「私はどうやら彼女を随分と見くびっていたらしい。彼女は一流の支配者の器を持つ。そして人として彼女は大いに魅力的だ。彼女ならば駄目亭主の尻を叩いて動かして、立派な領主夫人としてガラージュの地を盛り立ててくれるだろう」


 情けないが、俺は何も言えなかった。


 カルバンの言葉は事実だ。姫さんがすげぇのは、俺だってとっくに知ってる。

 ……そして俺は、そんな姫さんに惚れている。


「そんな彼女に私から餞を送りたい。ひとつはアスラン、君だね。君たちは良いコンビだよ」


 俺の感情なんて百も承知なんだろうカルバンは、いつもの人を食ったような表情じゃなく、柔らかな表情で俺を見ている。


「そしてもうひとつ、彼女に故郷を送りたい。生まれ出でた地に骨を埋める事叶わぬ彼女に、新しい故郷をね。子孫永劫ガラージュの地を繋いで行くといい。そう、君達二人でね」


 カルバンには必要と思い、姫さんの前世云々の事を告げていた。案の定カルバンはひとつ頷いて見せただけで、それに対して忌避したりそういう事はまるでなかった。


「カルバン……」


 だけどそうだったよ、カルバンはこういう奴だ。冷徹な支配者としての判断を下す一方で、己の懐に引き入れた者には過剰なほどに温情を見せるんだ。


「返事は?」


 可笑しいだろう? 剣一本、己の腕一本でのし上がって来た軍人の俺が、今度は嫁に尻を叩かれながら領主として一領の統治者をするなんて。

 だけどそうか、姫さんの笑顔と、俺と姫さんにそっくりな子供らに囲まれてそんな日常の夢を見るのも面白いかもしれないな。


「ガラージュ領主の任、謹んで拝命いたします」


 俺は将軍職を賜った就任式の時以来の最高礼でもって、カルバンの前に膝を突いた。カルバンを前に自然と体がそうさせていた。


 カルバンはすげぇ奴だよ。姫さんもそうだ。俺の周りはこぞって優秀過ぎる奴らが揃ってやがる。これじゃあ、俺は浅慮と言われたって仕方ない。


「やめてくれ、堅苦しいのは嫌いさ。ちなみにさ、ミーナ姫が進めてる、温泉リゾート開発は急いでくれ。王妃と今年の保養でいきたいからさ」

 !? 

「温泉リゾートってなんだよ!?」

「ん? これも聞いてないか? ミーナ姫はガラージュで投資家としての顔も持ってるはずさ。戦火も遠いガラージュ北東には近隣でも有数のノーズ鉱山を有してるだろう? 鉱山からの副産物である温泉は元々地元民のみならず、かなりの人気だった。ミーナ姫はそこに投資して拡張工事を進めてる。一定周期で噴出する間欠泉を目玉に、ミーナ姫はノーズ温泉郷ってリゾート開発を展開してる」

 !! 

「そんなもの、俺は知らん!」

「あ、ちなみにコレだってガラージュ情勢を調べさせてた時に、面白そうな事業があるなって思ったらミーナ姫が事業主だったって訳で、偶然知っただけだからな? お前の居ぬ間にミーナ姫とあれやこれやがあった訳ではないぞ」


 姫さんはまるで、ビックリ箱みたいだ。俺はすげぇ女を嫁に迎えたみてーだ。


「はぁ~。カルバン、別にお前と姫さんの関係なんか疑っちゃいねーよ」


 ……俺は圧倒的に姫さんの事を知らない。

 俺は姫さんの事を、なんにも分かっちゃいない……。


「フン。保養できやがったらその時はせいぜい、俺の治める領にガッポリ金を落としていけよ?」

「ははっ、それはいいな!」


 ここに至るまで、姫さんはどんなふうに日々を過ごしていた? 何を思いながら暮らして来た?


「カルバン、俺、この後少し国を空けるな?」

 ……姫さんが知りたい。姫さんの過ごしてきた日々を、知りたいと思った。


「へぇ、構わないけどやりかけの戦後処理の引継ぎは忘れずに頼んだよ」

 !! 

 仕方なく、俺はこの後泣く泣くセリュートに頭を下げた。





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