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 俺は悪夢でも見ているんだろうか。


 セリュートに誘われて昼飯を食いに出た。


「路地裏ですし、少々傷んだ外観ですが、味は確かなんです」


 セリュートが語るのを聞きながら、そんなに美味いなら今度姫さんを誘ってみるのも悪くないと、そんな想像をしていた。


 姫さんはきっと、貴族の令嬢みたいな潔癖は言わない。外観などには拘らず、美味い飯に顔を綻ばせるだろう。


 姫さんの笑顔を想像して、知らず俺の頬も緩んだ。


「ここなんです」

 セリュートが立て付けの悪い扉を押し開ける。そこで目にした光景に俺は我が目を疑った。


 頬を赤く染めた姫さんが、向かいに座る熊みたいな男に、匙で自分の料理を食わせてやっていた。


 男は姫さんを舐めるみたいな目で見つめ、姫さんは一層顔を赤くして俯いた。

 握った拳がわなわなと震えた。


 俺は居ても立っても居られなくなって、気付いた時には相手の男を投げ飛ばしていた。男は武術の心得があるらしく、上手く受け身を取って地面に転がった。


 いまだ俺に体を開かない姫さんは、この男にならば体を開いて受け入れるのだろうか。

 一瞬でもそんな考えが浮かべば胸糞悪く、姫さんに限ってそんな事はないと理性の部分が訴えるのも、素直に受け入れる事が出来ない。俺は捨て台詞を吐いて、足早に店を後にした。


 後から追ってきたセリュートが後ろからあれやこれやと言っていたが、俺の耳にはまるっきり入ってこなかった。





 執務室に戻ったものの、まるっきり身が入らずに夕暮れの前には執務室も後にした。真っ直ぐ屋敷に戻る気にもなれず、俺はそのまま花街に足を向けた。


 夕刻のまだ客もまばらな時間帯、目聡く俺に気付いた馴染みの店主らから誘いも受けたのだが、俺は結局そのどれもを素通りした。

 そうして行き着いたのは、花街の外れにある寂れた飲屋だった。花街の飲屋だから、上の客間で給仕女を買う事も出来た。女達も俺の気を引こうと、代わる代わるやってきては、俺に体をすり寄せてきた。

 しかし俺は何故か、執拗な女達の誘いにも、応じる気にはなれなかった。


 ……俺は女が買いたくて来たのではなかったのか?


 鬱屈と胸に堆積する、もやもやとした醜い感情。女を抱けば多少は気も晴れるだろうかと、そう思って来たのだが……。


 俺は結局、安酒の杯と溜息を重ねて一夜を明かした。



 そうして夜明けと共に、俺は花街に背を向けて歩き出す。


 朝の新鮮な空気が胸に溜まった鬱屈を洗い流していくようだった。見上げた朝日は眩しくて、目を眇めれば唐突に思い出す。「あぁ、太陽はこんなに眩しいんだったっけ?」これは五年振りに大地を踏んだ姫さんの言葉だ。



 五年の幽閉を経て呟かれた姫さんの言葉は重い。


 冷静になれば真相は聞かずともすぐに知れる。姫さんが男を手玉に取って遊ぶなど、出来る訳がない。

 姫さんがそんな女じゃない事は、とっくに分かっている。


「なに、やってんだかなぁ」


 分かっているのに、姫さんに関しては感情が理性を凌駕して激流に呑み込んじまう。姫さんが絡めば俺の行動はまるで道化だ。


 セリュートもきっと呆れたに違いない。何より、姫さんも俺に呆れてしまったろうか? 俺にもう愛想を尽かしてしまったろうか?


 屋敷への帰宅する俺の足は、かつてないほど重かった。



***



 アスラン将軍が出ていってすぐに、私も店主に平身低頭謝罪をして、ジェンド社長と店を出た。


 けれど食堂の店主はもちろん、なによりアスラン将軍の誤解によってとばっちりを食った形のジェンド社長に申し訳なくて、私は店を出たところで半ば泣き崩れるような恰好で道端に膝を突き、ジェンド社長に謝罪した。


「なんだなんだ! あんたがそんなふうに謝る事などない」


 ジェンド社長は、直ぐに私の腕を取って引っ張り起こすと、私のスカートの土埃をポンポンと払いながら取り成す。


「俺としてはむしろ役得でもある。それになんだ、あんたの旦那の言う事も満更間違いじゃない。少なくとも俺は本心ではあんたとそんな仲になりたくて、虎視眈々と狙ってたんだ」

 

 そうしてわざと、おどけたような口調で言った。

 冗談でもその心遣いが嬉しくて、私は泣き笑いにジェンド社長を見上げた。ジェンド社長は優しい琥珀色の瞳で私を見下ろしていた。


「だがな、どうやらあんたは義理じゃなく旦那を慕ってるようだから仕方ない。俺はあんたが旦那とより戻すのを指を銜えて見ているさ。それでも、もしあんたが屋敷に帰りたくないと言うのなら俺とガラージュに帰ったっていいんだぞ?」


 ジェンド社長は私を鼓舞し、背中を押してくれる。その上で、そんな風に笑って私に逃げ道をくれるのだから、どう足掻いたってジェンド社長の懐の広さには敵いやしない。


「ジェンド社長、望んで手にしたものではない、そう言った先程の言葉を訂正させて下さい」

「ん?」


 首を傾げてジェンド社長が私を見た。


「私はたとえ王命による名目上の妻だとしても、アスラン将軍の正妻の座を拝命して嬉しかった。義務感でも、共に暮らす中でいつか私を真に愛してくれるんじゃないか、いみじくもそんな微かな希望に今も縋っています」


 ジェンド社長とは文章を介して三年の交流があった。それでも実際に会った事もない私を追ってドルーガン王国まで来てもらって、それには感謝したってしきれない。


 けれど私には、ジェンド社長と共にガラージュに帰る選択肢は端からない。私はどういう形であれ、アスラン将軍の隣にある事を既に受け入れているのだ。


「うーん。外野がどうこう言う事じゃないだろうが、あんたと旦那はきっと少しばかり会話が足りないな。……けれど、やっぱりあんたは面白いな。一国の情勢には先を見越して鋭く切り込みを入れるのに、自分の事となるとてんで見えちゃいないんだな」


 会話が足りないのはそうだろう。妻とは言え、私は圧倒体にアスラン将軍その人の事を知らない。


 では、ジェンド社長の言葉が意味するところは何? ジェンド社長には一体私の何が見えているというのだろう? えてして人は感情に振り回される生き物だから、自分の事に一番感情的で、そして冷静な判断ができない。


「ジェンド社長?」

「言ったろう? こういうのは外野から聞くじゃ駄目なのさ」


 核心の部分は濁して、けれどジェンド社長の私を見る目は温かく優しかった。


「俺が屋敷に送ったりすればまた上手くないだろうから、名残惜しいがあんたとはここでお別れだ。俺は折角だからな、観光でもしながらガラージュに帰るさ。だからそれ、今回はありがたく貰っていくが、次は送ってくれ」


 ジェンド社長は私の抱えていた封筒を指差した。


「あっ!」


「じゃあなミーナ」

 ジェンド社長は封筒を受け取ると、颯爽と背中を向けて行ってしまった。


「ジェンド社長ほんとに、ほんとにありがとうございました!!」


 私は小さくなるジェンド社長の背中を眺めながら、あまりにも突然の出会いと別れにしばし茫然としていた。



 ジェンド社長との三年間の交流が思い出された。一番最初の手紙で私は、戦争へとひた走るガラージュの現状を風刺を交えて書き綴って送った。返事は期待していなかった。


 けれど二回目の手紙を託したマーサが、まさかの返信を持ち帰った。内容は面白いから乗っかる、の一言。

 それが全ての始まりで、坦々と綴る事実に込めた皮肉、端々に散らせた反社会性の強いメッセージがかわら版の肝。出版社には幾度も軍部から圧力が掛かった。それらを躱しながら、ここまで発刊し続けたジェンド社長は剣を持たない一流の戦士だ。


 私にとって三年間ジェンド社長は戦友だった。そうして三年越しに対面した戦友は、これ以上ない格好良い男性だった。


 去りゆく戦友の背中が見えなくなっても、私はずっと記憶の背中を見つめていた。これからも私が書く限り、ジェンド社長との関係は終わりがない。だけどそれはあくまでもかわら版を介しての繋がり。今回の邂逅でミーナとジェンド社長の、人と人の関係は区切りになった。





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