12
街に降りた私は、真っ先に商人ギルドに向かった。まずは当面の資金を引き出す。
同時に、昨晩認めたかわら版の原稿も出版社に送付を依頼する。
商人ギルドに依頼すれば、多少時間は掛かっても、戦後処理にゴタつくガラージュ領にだって確実に荷物や手紙が届く。
人の動きがあれば、付随して金も物も動く。
日本で培った感覚からしても、商人ギルドは流通も銀行機能も備えた先進的過ぎる仕組みで感嘆する。
「将来的には保険の機能なんかもアリだろうな……」
私は一人、密かなビジネスチャンスにほくそ笑んだ。
これまで私が最終目標としていたのはガラージュ公国の滅亡。そしてガラージュ公国は、これ以上ない程に穏便に滅んだ。
私の目標は見事達成し、かわら版からも当然手を引くつもりでいた。いや、そもそも私自身の明日の命も分からない状態で、かわら晩もなにもなかった。
ところが蓋を開けてみれば、私はこうしてピンピンしている。カルバン国王も夫のアスラン将軍も寛容で、私には監視もなければ役目だってない。
アスラン将軍との夫婦関係は、……正直よく分からない。嫌われてはいないようだが、好かれていると自惚れるほど目出度い頭もしていない。だから、アスラン将軍との関係はひとまず保留。
そうして夫婦の寝室で一人時間を持て余せば、自ずと悪い虫が顔を出す。私にも、何か出来る事がしたい。新しく生まれ変わるガラージュ領の為に何かしたい。
これは私にとっても少しばかり意外な欲求だった。美奈という人間はもっと内向的で、事なかれ主義だと思っていた。
「……おい」
精力的な一面に驚くと同時に、これは五年間の幽閉生活が育てた一端であると気が付いた。
……北砦での五年間が、私に与えた物もある。
美奈とも違う、これは新しく生まれ変わった私の感情に他ならない。
そんな前向きな気持ちに後押しされ、私は新たなかわら版原稿を書き散らした。内容は僅かばかり民主化を謳っている。時期尚早かとも思ったのだけど、ガラージュ公国に蔓延る膿をドルーガン王国が吐き出させてくれた今が、いいタイミングだと思った。
ドルーガン王国には従順に、けれどガラージュ領内では早々に目玉になる産業を興して、農工業は引き続き優遇させる。
「おい!」
やるべき事、やりたい事は山積みだ。私の投げた石礫はさて、どんな波紋を広げるだろう。
徐々に民主化が進み国民の自主性が高まれば御の字。ガラージュ領の先千年を見越した名脚本家が生まれてくれたなら最高。
最悪名脚本家が生まれなければ、大人しくドルーガン王国の寄生虫をやればいい。
ルーガン王国は既にかなり成熟してる。権力構造も絶対王政じゃなく、議会がきちんと機能してる。ガラージュ領の間接統治に対しても、任せる事に不安はない。
……うん、どう転んでもガラージュ領の未来はそうそう悪くない!
「おいっ!」
ドルーガン王国の属国ポジションでも、父皇帝の統治時代に比べればずーっといい。
何となくこの後の流れも見えてきたし、お昼を食べに行こう。ひと段落ついたところで意識を切り替え、途中で見てきた美味しそうなあれやこれやに頭を悩ませる。
さて、何を食べようか?
「うわぁっ!?」
くるりと踵を返したところでいきなり腕を取られ、ビクリと肩を揺らした。
驚いて見上げれば、よれた旅装にもっさりと無精ひげを湛えた見るからに怪しいおじさんが私を見下ろしていた。
「う、わぁっ」
「……なんか、二度目のうわぁってやつ、地味に傷つくな」
「す、すみません」
そこは平にごめんなさい。だけど、そうは言っても見るからに怪しいおじさんにビビるなという方がハードルが高い。
「それであの、私に何か御用ですか?」
「俺は人を探している」
「……はぁ」
私の質問の答えになっていない気がするけれど、おじさんの目的は分かった。
「あの、残念ですが私は人探しには協力できそうにありませんよ。私も五日前にこちらに来たばかりなんです」
「どこから来た!?」
何故かおじさんは私の言葉に被せるようにして、身を乗り出す。そして、私の腕はいまだおじさんに取られたままだ。
「ガラージュですけど」
この時期の敗戦国からの入国はあんまり声を大にして言いたくない。なのにおじさんが余りにも必死の形相で尋ねてくるものだから、何となく惰性で答えてしまった。
「そうか!」
おじさんは私の返答にグイッと顔を寄せ、白い歯を見せて笑った。
対する私は反射で顔を仰け反らせる。貼り付けた愛想笑いも凍り付く。……やだ、このおじさん、危ない感じの御仁?
「黒い髪、黒い瞳に、年の頃は十代半ば、ふんふん。俺はツイてる!」
勢い込むおじさんに対し、私はかなり引き気味だ。
「ジェンド出版、知っているな?」
!!
まさかっ!?
問いかけてるようで問いかけていない。私がビクンと肩を揺らすのを、おじさんは確信に満ちた目で見てる。
「は、はいっ」
答えた私の声は緊張で震えていた。
目の前のおじさんを見上げた。見覚えのないこのおじさんと私は初対面で間違いない。
「そうか! やっぱりあんたがミーナか!」
おじさんは私がかれこれもう三年間、かわら版を介して世話になっているジェンド出版社長、その人だ……!!
「ジェンド社長、初めてお会いする事が叶いました……」
認識すれば手が、腕が、体が小刻みに震えた。会う事叶わず、ずっと文字を介し、人伝でしか交流できなかった恩人が今まさに目の前にいる。
「厳しい状況下でずっと私の文章を伝え続けてくれた事、なんとお礼を言ったらいいか」
口元にあてていた震える手をそっと、そっと伸ばす。その手を伸ばしきる前、分厚い大きな手が握り締めた。
ジェンド社長の手だった。
「そうか! あんたが、あんたがそうか! ははっ、あんな観察眼鋭い文章を書いてるのが年端も行かない娘だとは実際に会うまで疑心暗鬼だったさ! だがそうか、あんたが書いたと言われればなんでか納得出来ちまう!」
「……以前に何者だと問われてカミングアウト、したじゃないですか? 私、中身はもう二十六にもなるんです。でたらめと、思っていましたか?」
ジェンド社長には、顔が見えない文字だけの遣り取りという気安さもあったのだと思う。割と早い時期に、私の身の上を明かしていた。
「いいや、でたらめとは思っちゃいない。だが、会って確証した。数奇な運命の皇女様、あんたほどに漢気ある奴に俺は会った事が無い」
……漢気? 皇女の私に向けるにはなんだか面白い言葉だ。
ジェンド社長は信じるに足る人物だと確信があった。同時に、生きて顔を合わせる事はないだろうとも思っていたのだけど……。
「……不思議です。こうして、顔を突き合わせる日が来るなんて思ってもみなかったから」
「そうか? 俺は案外、そう遠くない未来にあんたと顔を合わせるだろうと思ってたがな」
やっぱりジェンド社長は一枚も二枚も上手だ。
「ジェンド社長、途切れぬ発行もですが、原稿料の事も、本当に本当に細やかな気遣いをいただいてなんてお礼を言ったらいいか」
ジェンド社長は私の肩を抱いて、ぽんぽんと叩く。
「なぁに、戦況下だったんだ。物事、賢くいかないとな。それになんだ、商人ギルドって手段を使ってたからこそあたりがついて、こうして実際にあんたに会えた訳だ。俺にとっても手間掛けた甲斐があったってなもんだ」
何でもない事のように言ってくれる。けれど、全てジェンド社長のおかげ。
「ジェンド社長、ありがとうございました」
頭を下げた私の肩にトンッと置かれた大きな手。
つられて顔を上げれば、ジェンド社長は優しい琥珀の瞳で笑みを深くした。
「やめだやめだ、そんな改まって礼言われっと照れるから頭上げてくれ! こっちこそジャーナリズムの神髄をあんたに見してもらったさ」
いやいや、それこそオーバーが過ぎる。
「おっ、そうだそうだ。ガラージュ宮殿陥落の直後、偶然にもマーサとマリッサ母子を保護してんだ。仕えてたあんたがドルーガン王国に連れ去られたってそれはそれは心配してた」
けれど私が何か言うより前、紡がれたジェンド社長の言葉に私は目を丸くした。
「ジェンド社長が二人を!? 二人を保護して下さったんですか!? あぁ、なんてこと!!」
聞いた瞬間、安堵の涙が頬を伝った。
マーサ、マリッサ、何よりも心配だった。ずっと二人の無事が知りたかった。同時に、私の無事も伝えたかった。
だけどマーサとマリッサの現在の所在なんて知りようも無くて……、それがまさか! まさか、こんなところで二人の状況を知ることができるとは思ってもみなかった!
「……良かった。ほんとに良かった」
頬を伝う涙を拭う。今日の涙はなんて嬉しい涙なんだろう。
「あんた、馬鹿だろう。物書きにとっちゃ命とも言える筆記道具一式、そうそう手放すもんじゃねぇ」
ジェンド社長が言っているのは宮殿陥落の時に、私が二人に持たせた執筆道具の事。
「そうは言っても、あの時の私にはそれしか持たせてあげられるものがなくって……」
確かに愛用の文具の類はかなりの高級品で、それなりに愛着もあった。けれど、敗戦の混乱でどうせ誰ともしれない者たちに没収されるのなら、マーサとマリッサの生活の足しにして欲しかった。
「って、待って! マーサとマリッサには私がかわら版の著者だって言ってないんです。ジェンド社長、言っちゃいました!?」
二人にはジェンド出版との繋ぎ役をお願いしてた。ただしそれは手紙や原稿を受け渡しするだけのおつかいだった。
当然封筒の中身は明かしていなかった。
もし何かあった時、その方がいいと思ったからだ。
「いいや、俺は何も言っちゃいない。だけど二人は知ってたさ。立派過ぎるあんたの主義主張に感嘆するだけじゃなく、いつもあんたの身を心配してたさ。こんな事書いて、何かあった時あんたの身は大丈夫なのかってな」
!!
知ってた? 二人が知っていたの??
「ミーナ、あんたが思ってる以上にお前さんは想われているさ。だからさ、この後はもっと、自分を大事にしろよ? あんたに何かあったらマーサとマリッサが泣き明かすだろ? ……もちろん、俺もな」
ぽん、ぽんっ、再びジェンド社長の大きな手が肩を叩く。それに端を発したのか、拭って一度は乾いたはずの涙がまた、新たに頬を伝った。
「……どうだい、ミーナ? 俺と飯でも食いながら、もっと積もる話をしようぜ?」
一通り私の涙が出きって落ち着いたタイミング、ジェンド社長はいい笑顔で宣った。
「ふふっ……あ! ちょっと待ってて下さい!」
ジェンド社長に促され、商人ギルドを出ようとして思い出した。
私はジェンド社長をその場に待たせ、慌てて今しがた手配を済ませたばかりのカウンターに取って返した。
そうして配送手配を取り下げた封筒を手に、いそいそとジェンド社長の元に戻った。
ジェンド出版に送ろうとしていた原稿は、ジェンド社長が目の前にいるのならそもそも送る必要がない。手渡せる距離、すぐ隣にジェンド社長はいる。