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 黒猫姫さんが雄の白猫を部屋に引き入れていた。

 雄の白猫はまだほんの子供で、本気で姫さんとあれやこれやの関係にあろうとは露程も疑っちゃいない。


 いないのだが、あろう事か姫さんは白猫に胸を押し付けて抱き締めていた。それも姫さんはズロース一枚穿いただけのすっぽんぽんで、だ。


 夫としてこの事態を黙って見過ごす訳にはいかねぇだろう? そうして今、ズロース一枚のままベッドヘッドにずり上がって震える黒猫姫さんを、さて、どう料理してくれよう?


 姫さんには言わないが、こんな阿呆みたいな事態に俺は心底ほっとしていた。

 下の階で姫さんの悲鳴を聞いた時、心臓が凍り付いた。姫さんに何かあったんじゃないかと、目の前が真っ暗になるくらい怖かった。


 そう、俺にとって姫さんの窮地は恐怖と認識されるらしい。恐怖、この感情は俺にとって初めてのものだ。


 手入れ途中の愛剣を放り投げて寝室に向かった。どんな窮地も共に切り抜けてきた相棒だ、常だったらそんな扱いなんて絶対にしない。

 だけどこの時は、姫さんの事しか頭になかった。


 ところが蓋を開ければ、トルテッタが朝から行方知れずだと零していた息子のアモンが寝室に紛れ込んで姫さんとじゃれていた。


 俺の寝室は二階だが、中庭からバルコニーの柱伝いに余裕で上がって来れる。これは警備うんぬんじゃない。表通りに寝室は面さない、あくまで中庭に面してる。トルテッタがあんなに探していたアモンが実は俺の屋敷の中庭にいたってのは、家令のカルスが顔見知りのアモンを入れてやったからだ。


 俺はたまたま朝、顔を合わせた時にトルテッタからアモンの行方知れずを聞かされていた。しかしカルスはそれを聞いていなかった。

 使用人同士で情報共有が出来てなかった、それが問題だ。

 全く、そもそもガキってのは治外法権だから質が悪い。


 ともあれ、俺は夫として姫さんに妻の心得をしっかりと分からせてやらなきゃならん。


「姫さん、新妻が寝室に他の雄引き入れちゃいけないって事くらい分かってるよな?」


 姫さんはコクコクと忙しなく首を上下させ、目に涙を浮かべて俺を見上げる。何だろうか、この嗜虐心をものすごく刺激してくるシチュエーション。


 何より、明るい陽の下で見る姫さんはめちゃめちゃ綺麗だ。


「姫さん、いけない事をしたらどうするんだ?」


 俺の問いに、姫さんは泣きそうに顔を歪めて見上げた。姫さんのうるうるに涙で潤んだ黒の双眸は、俺をそわそわと落ち着かない気分にさせる。


「……ごめんなさい。どうすればいい?」

「そうだな……」


 さて、可愛いすぎる姫さんをどうしたものか……。

 男への危機感というものをきちんと教えてやるのもまた、夫の務めに違いない。俺はそんな大義名分を盾に、姫さんの真っ白な肌に手を伸ばした。



***



 体が怠い。それもそのはず、真昼間っから、いや、正確には朝からあんな事やこんな事をしていれば疲労もするだろう。

 手早くお湯を使って、今度こそドレスに袖を通した。そうして重い足を引き摺って寝室の扉を開ければ、


「やっ、やだぁ~~!」


 トルテッタが寝乱れたベッドを整えていた。


「なんだいミーナさま、こりゃアタシの仕事だよ。邪魔しないどくれ」


 トルテッタが上機嫌に笑い、私の背中をべしべしと叩く。トルテッタの上機嫌の訳は行方をくらませていたアモン君が無事に見つかったからなのだが、考えようによっては私はアモン君のせいで窮地に陥ったとも言える。


 ……いやいや、相手はいたいけな天使だ。これは不遇な事故だったと考えよう。


「それになんだい。最初は心配もしたけどさ、夫婦仲は円満に越した事ないさ! ハッハッ!」

「っ!」


 ……居た堪れない。


 アスラン将軍が朝っぱらから、使用人一堂に見せ付けてくれた。お陰でトルテッタも例に漏れず屋敷中の認識が、私とアスラン将軍はすっかり円満新婚らぶらぶ、に成り代わっていた。


「コホン。と、ところでアモン君はもう帰ったの?」


 無理矢来咳払いをひとつして、不毛な記憶は片隅に押しやった。アスラン将軍との事は、今更私が足掻いたところでどうにもならない。

 少なくとも、さんさんと降り注ぐ陽光の下で頭を悩ませる事自体が苦痛だ。


「いや、今日は体調もすこぶるいいってんで、そのままここでカルスの手伝いをしてるよ」

「ねぇトルテッタ、アモン君って病弱って言ってなかったっけ?」


 私が会ったアモン君は線の細い天使な美少年ではあったけど、別段病気を患っているようには見えなかった。そもそもトルテッタの目を盗んで一人で遊び歩けるくらいだから、元気なんじゃないだろうか。一体どこが悪いんだろう。


「あぁ、ここ最近は随分いいんだけどさ、それでもふとした拍子にゼーゼーいって発作を起こすのさ。呼吸困難で夜中に死んじまうんじゃないかって思った事も一度や二度じゃない。唇や爪先が暗紫色になって手足冷たくなっちまった時は、もう終わりかと思ったよ」


 それ、大発作で血中酸素濃度が低下して、チアノーゼを起こしちゃってるんだ。


「アモン君って確か今、八歳だっけ?」

「そうだよ」


 ……たぶん、小児喘息じゃないかな。私も小さい時は小児喘息で両親はかなり大変だったらしい。だけど十歳を前に良くなって、今ではすっかり影も形もない。


「ただね、どこの医者に掛かってもこんな症状は初めてだって匙投げられちまってねぇ」


 現代社会だと色んなアレルゲンが蔓延してて、アレルギーとかそれに伴った喘息やアトピーなんかの症状は決して珍しい物じゃない。だけど大気が綺麗で、添加物とか科学物質の影響が殆どないこの世界では、医学的問題としてあまり認識されていないんだろう。


「トルテッタ、部屋の中で何か動物を飼ったりしてる?」


 小児喘息原因は色々あって、とてもひとつに絞れるものじゃない。だけど私が抱き締めた時に、アモン君の服に動物の毛のような物が付ていたのを、ふと思い出した。


「あ? あぁ。ヤギを一匹飼ってるけど?」

 トルテッタは不思議そうに首を傾げてる。


「そっか。トルテッタ、これはあくまで可能性の話だけど、それってあんまり病気によくないかも。ダニとかカビとか、動物の毛なんかが病気を誘発してるケースが私の国では結構あったから」


 医者でも何でもない私がいい加減な事は言いたくなかったけれど、実際に小児喘息の経験者としては放っておけない。トルテッタの顔色を窺いながらそれとなく伝えてみれば、トルテッタは顎に手をあてて考え込んでしまった。


「……ふーん。言われてみれば換毛の時期に特にアモンの発作が多かったかもしれないね。うん、屋外での飼育を考えてみるよ」

「うん!」


 これでアモン君の症状が少しでも快方に向かえばいい。




 そうして髪を結い、薄く化粧を刷いたところで、窓の外から声が掛かった。


「ミーナ、いってくる!」


 慌てて窓辺に寄って見下ろせば、私の後に浴室を使ったはずのアスラン将軍が、既に身支度を終えて出勤していくところだった。


「アスラン将軍、お見送り出来なくてごめんなさい! 気をつけていってらっしゃい!」

「構わん。ゆっくり支度してくれ」


 アスラン将軍はそう言い残すと、ジルガーに跨って颯爽と駆けていった。


 相変わらず、アスラン将軍はとても忙しそうだった。聞いたところでは、アスラン将軍の裁可が必要な案件が山積みになっているという。


「おやおや、将軍は濡れ髪のまま出て行っちまったじゃないか。あれじゃあ、新婚夫の遅刻の理由も一目瞭然だね!」


 ……どうやら身支度が整いきる前に出て行ったようだ。


「はははっ! なーに、夫婦仲がいいのが一番さ!!」

「……そうだね」


 苦笑まじりに答えながら、二階の窓から段々と小さくなるアスラン将軍の後ろ姿を見つめていた。


 そうしてアスラン将軍の姿が完全に見えなくなると、私はトルテッタを教師役にしてドルーガン王国の暮らしぶりについてメモを取り始めた。これはここ最近の日課で、道中を含めれば一週間続く遣り取りだ。


 国家としての概要は知識として持っているけれど、実際の暮らし向きは当事者から生で聞くのが一番だ。


「うちの国は農業や漁業の分野も独自にギルドを持ってるだろ。だもんで市民はいつだって農作物や水産物が安定的に買える。他国じゃそうもいかないって聞いて、あたしゃこの国に暮らしてて良かったってつくづく思ったね」

「……ドルーガン王国の商業活動はほんとに秀逸だよね」


 ざっと聞いただけでも、ドルーガン王国の優れた流通システムと畜産農の秀逸な保護政策は直ぐに知れた。ガラージュ公国なんて足元にも及ばない。

 そうして私にとってはかなり重要、お目当ての商人ギルド窓口だって王都だけじゃなく、各都市に点在している。


 拓けてるなぁ。


「あぁ、物が動けば金が動いて国も豊かになるってなもんだよ。これも偏にカルバン国王陛下の施政のお陰さ」

「カルバン国王は立派だね」

 カルバン国王の爪の垢でも煎じて飲ませてやってれば、皇帝も少しはその心を入れ替えたのだろうか?


「そうだね。ガラージュの無能な皇帝に比べりゃ……って、ご、ごめんよ!」

 慌てて謝るトルテッタに、首を振る。


「ううんトルテッタ、謝らないで?」


 いいや、皇帝は心を入れ替えたりなんてしない。そんな殊勝な心なんて、欠片も持ち合わせてはいなかった。三つ子の魂百まで、そもそもそんなので心を入れ替えるくらいなら、千年の歴史に終止符を打つなんて暴挙を遂げたわけがない。


「トルテッタの言う通りだよ」


 ガラージュは、愚鈍な皇帝が滅ぼした。


「ミーナさま……」

 考えれば考える程に不毛だ。


「ねぇトルテッタ、私これから出かけてもいい?」

 しんみりした空気を振り払うように、努めて明るく言った。


「トルテッタのお陰で国民の暮らしぶりもだいぶ掴めたし、ちょっと出掛けたい用事があるの。ついでに街を見て歩きたいんだけど、いいかな?」


 私はアスラン将軍の妻になった。妻にはなったけど、籠の鳥にはなっていない。その認識でいいよね?

 この国の貴族の奥方は一歩も屋敷を出ないって程箱入りでもない。もちろん暗い時間は駄目だけど、日中は普通に外出している。


 アスラン将軍の屋敷はその造り外観こそ簡素だけれど、何気に立地は王都の一等地だ。商店は中央通り沿いに集まっており、私のお目当ての商人ギルドもその中にある。行けばきっと、すぐに分かる。


「そりゃ構わないけど」

「やったぁ!」


 トルテッタの了承を得るや、私はクローゼットを漁り、お外行きっぽい上着を羽織った。どうしたって五年振りの外出に心が弾む。


 初日はとてもそれどころじゃなかったし、昨日一昨日は使用人の皆への挨拶や屋敷の散策、各方面への挨拶状や復興支援の基金創設に関する依頼状を認めたらそれで一日が終わってしまった。


 だけど今日こそは、出かけるんだから。


「だけどミーナさま、もうじきお昼だよ?」


 実はそれを敢えて狙っていたりもする。私にとって買い食い行為そのものが垂涎もの。五年振りの買い食いに、私は涙がちょちょぎれそうなのだ。


「えっと、私の分の昼ご飯は夕飯に回してもらって。とりあえず、行ってきます!!」

 だけど一食分を無駄にするのは私の望むところではない。だから導き出した結論、次の食事に持ち越しだ。


「って、ミーナさま!」

 これ以上は居ても立ってもいられずに、私は飛ぶ勢いでアスラン将軍の屋敷を飛び出した。





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