9話 清原太一
**** 清原 太一 ****
清原太一は珍しくキレていた。
元々感情を表に出すタイプではない。だから大人になって怒り方を忘れていた。
ただ今は、子どもの頃に起こしたかんしゃくのような外に向けた嵐ではない。
頭は妙に冷めていて、胸の中だけが車のエンジンのように回転数を上げて呻っている。
社長室の前。ノックする。声を聞くや、その返答に構わず入室した。
「入っていいと言った覚えはないが?」
「社長、上野真希の契約解除を取り消してください」
清原の作法と訴えに、長谷川玲子の眉は不快を示す角度になる。
受話器に向かって折り返すと伝えて通話を終える。
「私に意見するのか?」
その目と一言だけで強風が吹いたような圧を感じたが、かわすつもりはなかった。
遅れてやってきた原稚奈も入室するや反論を飛ばす。
「約束を破ったのは社長の方ですよ。今年いっぱいまで契約する約束じゃないんですかっ?」
長谷川玲子の目が光る。
割れたガラスの先端のように冷たく鋭利な視線に、原稚奈はうっと声を漏らして清原の陰に回った。しかし清原はそれにも動じなかった。
「清原君、タレントの契約を他者に口外するのは規約違反だぞ」
「さあ、なんの話でしょうか?」清原は問いに応じる。「今のは原さんがカマをかけて、社長が口を滑らせたようにしか見えませんが?」
本当は契約内容をバラしていた。まさか背後の少女がいきなりそれを突きつけるとは思わなかったが、とっさの判断で相手のミスに転換できた。
頭はいつも以上に冴えている。
「ふっ、なるほどな。しかし、仕事ができないものと契約するつもりはない。今の彼女にできる仕事はあるのか? 何ができる? 曲を出すにも、もうウチから作曲費用を出すつもりはない。もう彼女に作れる力があるとも思えない」
「しかし、仕事があればいいんですね?」
「百歩譲って少しでもウチにプラスになるのならな」
「わかりました。ではウチの歌手のパーソナルトレーナーをしてもらいます」
「何を。誰があの娘のトレーニングを受けたがる」
「ここにいますよ」
そう言うと、清原は背後にいた稚奈を横に出させる。
「へ?」
「彼女を年末のファン感謝祭ライブに出場させるために、上野真希に協力させます。予選を通過したら、その功績は認めてくれますよね?」
「……好きにしたまえ。原稚奈、君に異論は?」
「ありませんっ! 望むところです!」
「私に意見したんだ。予選を通過しなかった時は、君自身の立場も危ういと思いたまえ」
「結構です! 望むところです!」
「では俺たちはこれで。失礼しました」
「失礼しましたっ」
一礼して社長室を出た。
……。
…………。
や、やってしまった……。
ドアを閉めるとすぐさま汗が噴き出した。
原稚奈が小さく跳ねながら腕を引っ張り、社長室に届かないように声をひそめ気味にして叫んだ。
「すごいです清原さん! あんなプランがあるなら初めから言ってくださいよっ」
「……ノープランでした」
「へ?」
終わった途端に急に息が上がり、心臓もバクバクと暴れ出す。
「原さんが契約のこと言いだすから、もう正論で当たってはダメだと開き直りました。こじつけでもなんでも、条件を満たしてしまおうとその場で考えました。上野さんにトレーニングの知識はあると思いますが、教えるスキルは不明です。そんな状況で年末ライブの予選を突破しなければならなくなりました」
「あははっ、わたしは望むところですっ!」
原稚奈はそう言うと思いきり高い位置に自らの手のひらを掲げる。
……そういえば、以前の上野さんとも仕事終わりにはこうしていたな。
最近はもうやらなくなってしまったが。
清原も、稚奈の手の位置に当たる、自分の顔あたりの位置に手のひらを掲げると、そこめがけて稚奈の小さな手のひらがやってきて――
――パンッ――
廊下に威勢のいい音が響いた。
*
清原は少し誇らしげに階段を降りる。
『今朝の話は条件付きで撤回です』
そう伝えようと、先ほどまで真希のいた裏口まで向かう足は、自然に小走りになっていた。
しかし、そこに真希の姿はない。
受付で訊ねた。見ていないと言われた。
携帯電話にかけてみる。
真希が通話に応答した。
「……もしもし?」
「上野さん、どこにいるんですか? 社長との話で――」
「ごめん、電車来たから」
「いや、今朝の話は条件付きで撤回――」
「もういいって言ったじゃん。そもそもあたし、清原さんの勝負に乗ったなんて一言も言ってないから。それじゃ」
そう言い、通話を切られる
「……清原、さん?」
あの冷静な怒りから一転、噴き出すものを抑えきれず横のごみ箱を蹴り飛ばした。
「ひっ!」
稚奈が反射的に体を小さくした。
ふたが外れ、大きく口を開けたごみ箱は、その中身を吐き散らす。
そしてまたその光景は――
「清原さん?」
「なに、やってんの?」
――鹿屋メイと阿武川ハルカに目撃されていた。
一瞬で熱が冷めていく。
「……俺の間の悪さを、実感してるところです」
そう伝えると三年前から付き合いのあった二人は、
「「知ってる」」
声をそろえて返してきた。
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