8話 上野真希
**** 上野 真希 ****
清原の存在は声で分かった。
しかしその横の女の子が分からない。
誰だろうかと思っていたら駆け寄ってきた。
たまに片足をかばうように走る女の子は、ステージの上でぶつかって一緒に転落した相手だ。たしか名前は原稚奈とかいった。
「上野さん!」
「ああ、アンタ」
「原稚奈ですっ」
「知ってる。昨日挨拶してくれたじゃん。昨日はごめん、その足ってアタシのせいだね」
「社長室に行きましょう!」
「は?」
展開についていけず、清原を見た。
「いえ、あのですね……」
追いついた清原の顔はなぜか額だけが汗だくだ。
返答の声に今朝の怒気は入っておらず少しホッとしている自分がいる。
「なにぼんやりしてるんですか。転落はわたしのせいですので、処分はわたしにしてくださいって言いに行きますよ!」
「いやちょっと……」
腕をつかまれて引っ張られる。
この子はステージの上で静かに燃えるタイプだと思っていたが、今はただただ暑苦しい。
「ねえ、この子にアタシの事情は説明した?」
「大体は。ただしっかり伝える前に連れて行けと……。運転中も、もっと速くとばかり言われて」
「一分一秒を争うことじゃないですか!」
「まー、ちょっと落ち着いてね。はい、どうどう」
真希は手のひらを下に向けて、押さえるジェスチャーを見せる。
「えっと原さん」
「はい!」
「無駄なことはやめとこ?」
「はいっわかりまし……え?」
言われたことがわからなかったのか、稚奈は目をぱちくりさせる。
「いい、原さん」
真希は稚奈を見回す。
まだ芋臭さは残っているが、垢抜けたら人気が出そうな子だ。悔しいがスタイルもかなりいい。
ならやっぱり出る杭になることはない。
「わざわざ社長に歯向かいに行くの?」
「はい、いまからそいつをこれからそいつを殴り行く覚悟です!」
「うんまあ……限りなくブラックな引用はやめるとして。ちょっと落ち着こうか」
あの人は決めたことを曲げない。
訴えたり懇願した同期だって一人また一人と、聞き入れられることなく消えていった。
自分より才能があると思った人でも、容赦なく切られた。
だから余計なことで目をつけられるのは避けるべきだ。
「原さんには未来がある。そういうことはやめときなって」
「……」
「まあ、もういなくなるけど、ちょっとは長く居たアタシからのアドバイスね。権力には逆らわない方がいいよ、うん。せっかく歌手契約も貰ってんでしょ? 世に出るならやっぱりそういう環境にいたほうがいいよ、うんうん」
「……あなた、誰ですか?」
「へ?」
「わたしの知ってる上野真希さんはそんなこと死んでも言わないです。押してもダメなら全力で押すってタイプです。デッドラインでも歌ってました」
「あはは、レアなの知ってるね」
インディーズで出したアルバムの曲だった。
偶然読んだ漫画からインスパイアした曲だったけど、幸か不幸かこっちが売れなかったので、ネットの炎上もピックアップもなかったが。
「しかし上野さん」清原も会話に入ってくる。「俺もこの子に賛成です」
「病気のことだって聞きました! でも歌を出すことはできるんじゃないですか?」
もう……、いいんだって。
「あはは、二人とも息ぴったりじゃん」
「なんでそんな他人事なんですか! そんな簡単にあきらめないで――」
「簡単じゃないよ」
限界は感じていた。
中学から書いていた歌詞の方が、いま書く歌詞より輝いて見えた。
コードだって、我流だけれども聴いていたくなる音階を作っていた。
それがいまじゃどうだ。
作る曲の全てが、誰かの二番煎じか三番煎じになってしまう。
それが嫌で何度も思い浮かんだものを曲にしようとした。
でもやっぱり駄目だった。
書いては消し、弾いては記憶の隅に追いやり、ノートを開いては白いページを眺めるだけでそっと閉じた。そんなことを繰り返しているうちに、一曲作ることが難しくなってきた。
周りが売れ始めると焦る。
売れそうなフレーズやコードで、無理やり形にするが自分の心が否定する。作曲家に頼んでみたらどうしても声が音に乗っていかない。そのうちに他のアーティストの契約解除をどこか喜ぶ自分になっている。人の才能をねたんで、自分の不運を恨んで、人の不幸に安堵する。
そんな自分から世界の鮮度も彩度も消えていくのは当然だ。
「アタシのことはアタシがよくわかってる。これはいい機会なの」
「どこがですかっ」
「……上野さんにとっては、そうなのですね」
そう言ったのは清原太一だった。
真希に背中を向けて歩き出す。
「原さん、行きましょう」
「でも……」
呼ばれた原稚奈は、どちらに行けばいいのか決めかねて、両者の間で顔を左右に振っている。
……こんな終わりでごめんね。
真希は去っていく清原に心の中で謝罪した。
マネージャーは悪くないから。こんな疫病神に当てられてゴメン。
次の原さんはやる気があって売れそうだよ。きっと楽しい仕事ができるよ。
うん。これくらいはせめてものエールでこの子に伝えよう。
「ねえ原さ――」
「原さん、社長室に直談判にいきますよ」
真希の声は清原の低い声にかき消される。
え? と左右に振っていた原稚奈の顔が反射的に目を見開いて、清原の方を向いて止まる。
清原は足を止めて真希に顔を向けた。
「上野さん」
「な……何?」
「賭けをしましょう。俺たちが社長の首を縦に振らせたなら、一二月いっぱいまで、俺の選んだ仕事はすべてこなしてもらいます」
「え? だってステージに立ったりすんのはもう病気で――」
「やってもらいます」
そこに怒りはない。
脅迫でもなければ、上から押さえつける威圧でもない。
正面からぶつけられた、ひとりの男の意志だった。
「でもアタシはクビで、マネージャ……清原さんの言うこと聞く理由なんて、もうないじゃん」
真希が顔をそむけて反論すると、
「お言葉ですが、上野さんは俺からの気に入らないスケジュールを何回受け入れたことがありましたか? たったいちどくらい聞いてくれてもいいでしょう?」
「でも……」
「それに正式な辞令はまだ出ていません。社長は『明日、正式に』と言いました。だからまだ、俺は上野真希のマネージャーです」
そう言って清原は階段の方に歩き始めた。
その後を原稚奈が、「わたしも行きます!」と右足をかばいながら追いかけた。
残されて、真希はひとりその場でうつむく。
「……勝手に決めないでよ」
真希はベージュのタイルに映る、色の薄い自分の影を見つめた。
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