12話 清原太一
**** 清原 太一 ****
真希の教え方はうまかった。
ジャージ姿でパイプ椅子に腰かけて足を組んでいるが、指示は適切だった。
あと、持参した竹刀は余計だが。
その足元でへばっている原稚奈は、息も絶え絶えになっている。
「やっぱり基礎体力もない。この前のライブで思ったとおりね」
「わたし、中高現役の、いじめ被害者で、ひきこもり、なので」
ぜいぜい言いながら、さらっとハードな環境を告げる。
「どうでもいいわ。アタシはその三倍はやってるからね」
「これだけでも新人レッスンの倍はハードです」
「同じことやって差がつくわけないでしょ」
レッスンをサボりまくってたのは、どこの誰だったんですか?
そう言いたかったところを、真希は察してなのか、視線でくぎを刺してきた。
「じゃあ次は発声ね。アンタの高音って金切り声に近いから耳障りなの。そこから直すよ」
「は、はい。師匠」
「あと師匠ってやめて。アタシ落語家じゃないから」
「じゃあ、親方ですか?」
「竹刀じゃなくてビール瓶がいい?」
そういうネタはやめましょう。
清原が内心でツッコミを入れる。
「……先輩でいいって」
「上野、先輩」
「ど、どーせ学校ではそう言う機会もないんでしょっ? アタシだってそんな年取ってないつもりだし」
「はい、上野先輩! ……にへへ」
「へらへらすんな。休憩終了!」
ぺしんと竹刀で床を叩いた。
「えっ、さっき休みに入ったばかりですし、せっかく先輩とお話――」
「そんな時間はないのっ。ほら立ちなさい」
ぺしん。ぺしん。ぺしん。
清原には分っていた。
真希が床を叩くときは決まって照れ隠しだ。
*
真希の方から『翌日からのレッスンはちゃんと行くから迎えは寄こさなくていい』と連絡があったので、信じることにした。真希は来た。しかし、稚奈が遅れてきた。マスクにマフラー姿でかすれ声で、おはようございますと、かろうじて聞き取れる声でレッスン場にやってきた。
「稚奈ぁ、あんた風邪ひいたなら言いなさい。そもそも風邪も気の緩……どしたの?」
異変に気付いたのは真希だった。
稚奈の目がいまにも泣き出しそうに涙を溜めている。
「こ……こえが……」
相当なしゃがれ具合だった。
マフラーを外すと、ノドには全体を覆うようにシップが貼られていた。
「アンタ、何やった……?」
真希がさらに険しい顔をする。その表情に稚奈がさらに委縮する。
「かえってから……いえで……れんしゅう」
「どれだけ?」
「さ……さんばいの――」
「バカかアンタはっ‼」
レッスン場の窓ガラスまでが震えそうな大声で真希が怒鳴った。
「ノドは歌手の命でしょっ。痛みが出たらすぐやめるの! 荒れた分だけ声にノイズが入るんだからね!」
「す……ぅいまっ……せん。あさには……なおるかと……おもっ……ひっ」
「今日はいますぐ病院行くよっ。レッスンは無し!」
「でも、きそれん……しゅう……なら」
「疲れてたら治りも遅いのっ‼」
一回の怒声ごとに稚奈の体がびくりと縮こまる。
「上野さん怒り過ぎです」
真希にとっては、感情を昂らせることも危険なのだ。
発作の虚脱が起こる前にと声をかけたが――、
「怒って当然でしょっ。明らかなオーバーワークなのになんで自分で止めな――ぁ」
「――上野さんっ」
「――うえのせんぱいっ」
――注意より先に虚脱が起こって倒れかける真希を、清原が受け止めた。
マットの上で横たわらせ、数分後に真希は意識を取り戻した。
「……ごめん」
間が開いて、冷静さを取り戻した真希が謝罪する。
「すい……ま……せん」
責任を感じている稚奈も謝る。
「もう今日は喋っちゃダメ。喉を休める。いい?」
言われて稚奈はうなずく。
でもなんでそこまでと言う真希に、清原が指摘する。
「上野さん、あなたのせいでもありますよ」
「なんでよ」
「昨日のレッスンで、あなたが自分はその三倍こなしてたと言ったからです」
「あ……」
「だから稚奈さんは、家に帰ってから自主練習をしたんですよね?」
おびえるように稚奈はうなずき、真希の顔色をうかがった。
真希も落ち着いていたので、自分の失言を認めて片手で顔を覆いながら、もう怒らないって……と首を振った。
「なんで一気にやるかなあ。まるでメイみたいじゃん」
「……?」
稚奈が目で訊ね、真希も意図を理解する。
「アタシとメイ、あとハルカは昔一緒に住んでたし組んでたの。そこのマネージャーも知ってるわ。で、鹿屋メイはアンタみたいに体力なかったし、のども痛めやすかった。それでもアタシらと同じメニューを隠れてやるもんだから何度も怒ったりしたの。たまに倒れたりするときは決まってハードワークで、だから……」
そこまで言って真希は何かに気づいた顔をした。
血の気が引いていくのもわかった。
「アタシっ――」
真希はレッスン場から飛び出した。
*
事務所の裏口に通じる廊下は、紙パックが散乱していた。
真希が自販機の横のごみ箱から中身を全部ぶちまけていた。
「どうしたんですか」
清原の声に耳を貸さず、真希は一心不乱にごみをかき分けて、床が顔を出すとまた横にできたごみの山をかき分ける。山はすぐに均されて、狭い廊下は踏み場を探すのが困難になる。
「どうしよう、どうしよう」
膝をつきながら、真希が散ったごみをさらに散らしていく。
「上野さん」
清原が真希の腕をつかむ。
「離してっ」
その顔は悲壮と焦燥がない交ぜになっていた。落ち着いて、と諭す。ごみを荒らす手は止まった。しかし細切れで浅い呼吸が鼻から荒々しく漏れている。
「急にどうしたんですか?」
「捨てちゃったの。メイのお守り、アタシ、捨てちゃった……っ!」
お守りと言われて清原はピンときた。
稚奈も気づいたのだろう。彼女はすぐさま膝をついて探し始めた。
「いつ、捨てたんですか?」
清原が訊ねる。
「……その日。あのライブの……翌日」
ゴミの収集日を挟んでいる。
「それはもう――」
「でも探す!」手を払われて、またごみ荒らしを再開する。「もしかしたらあるかもしれないから……」
珍しく執着している。
真希は一個一個紙パックを手に取り、表裏、横に上下と回して見ては端に弾いていく。
「上野さん……」
「あの頃はホントみんな貧乏で、薬を買うこともできなかった。でもメイは……懲りないから三人で……一個だけ、お守りを買ったんだ」
昨日、メイとハルカが話したことを真希も話す。
ちゃんと真希も覚えていた。
正確には思い出した、なのかもしれない。
「毎年、その年でケガの多そうな子が持っていようって決めて、いつも、メイだったけど……」
倒れたとだけ聞いていたメイは、真希のハードワークを疑った。
それで約束を覚えていたメイは、3人で買ったお守りを真希に渡した。
清原と稚奈はその背景も車の中で聞いて知っている。
「あれ? どうしたんですかぁ?」
最悪な時は重なる。
鹿屋メイと阿武川ハルカが裏口から入ってきた。
「マキ? どうしたの?」
ハルカが事情を訊ねると、今度は真希が先ほどの稚奈のように身を固くする。
親の前で、失態に身を小さくする子供のように。
「なんでもない」
そう言うが、
「さすがに、そんな状況じゃないよね?」
ハルカは察しがいい。
「ご、ごめ……ん。アタシ……」
震える指を床について、奇しくも土下座をするような姿勢で、真希は事情を告げて、メイとハルカは見合い頷いて、荷物を端に置き、五人が床に膝をついて同じ姿勢になった。
五人で手分けすると、すぐにすべての紙パックと床の上を確認できた。
お守りはなかった。
真希はごみ箱を逆さに振るが当然あるわけがない。清原も先に調べている。
赦免の許可を出せるメイにハルカそして清原の3人が見合わせて、互いに諦めの表情を確認すると、メイが、「いいよ。昔のことだもん」と許しを口にした。ハルカも、「私もこの前言われて思い出したくらいだし」と続く。
それでも真希は動きを止めない。
稚奈も真希と同じように床に膝をつけて、探索を続けている。
「上野先輩は……あきらめてません。ならわたし……も……あきらめません」
しゃがれ声で宣言する。
きっと稚奈にとっては、期待していた上野真希の姿勢を初めて見たのだろう。
真希がやめるまで稚奈もやめないだろうな、と清原は思った。
「どうする?」と小声でハルカ。
「私は仕方ないって思ってるし、なんだか昔の真希ちゃんになって実はちょっと嬉しいって……不謹慎かな」同じく小声のメイ。「でもさんざんですよね、このごみ箱さんも。お守り捨てられるわ清原さんにフリーキックされるわ、中身出されるわで」
「あの時もごみ拾いしたの私たち」
――ん?
「あの時、それらしきものは見つからなかった」
「――っ!」
這いつくばっていた稚奈が片手を激しく振った。
清原は稚奈の覗く先――自販機の下――を見て、小さな布袋を確認した。
紐が生えているのも見える。
中に何かが入っているような膨らみもある。
「おい誰か、棒かホウキ!」
お守りは自販機の下に滑り込んでいた。
清原からお守りを受け取った真希は腕で目をぬぐって、鹿屋メイに謝った。
「ごめん、アタシ……」
「マキちゃん。諦めなくてよかったね」
メイはいつでも優しかった。
「でも、アタシが持ってると」
病気は治らないみたいだし……と、言う。
「じゃあ」メイがその手からお守りを抜き取り、「その声、早く治りますように」
稚奈に手渡した。
「めでたしめでたし」と、ハルカが手を叩く。
「でもやっぱり、お守り捨てちゃって、ゴメン」と、真希がまだ涙声で頭を下げる。
「まあ、なんだろ?」と、メイは頬をかく。「諦めないマキちゃん見れたし」
「おかえり、で、いいんじゃない?」と、ハルカの表情がすこし和らぐ。
「そうだね、おかえりだね」と、メイが笑う。
それは『お守り』がなのか、『上野真希』がなのか。
きっと、後者だろう。
清原は真希を挟む旧友たちの表情を見て、そう思った。
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