11話 上野真希
**** 上野 真希 ****
その案内のせいで変な時間に起きてしまった。
デジタル時計の表示は5:58となっていた。
清原には昨日の電話口で賭けは不成立だと断っていた。
それでもしばらくして、原稚奈のトレーナーとして事務所に来るようスケジュールが入ったメールを送ってきた。返信せずにその日はすぐさま寝た。
しかしそれが結果的にこんな時間の目覚めになっていた。
指定された時間までまだ三時間以上ある。事務所も片道1時間足らずで行ける。
――いや、気にせず寝てしまえ。二度寝しよう。
「……」
そう思っても、過眠病なんて別名があるくせに眠りが来ない。しかし、それでも布団にくるまっていると1時間が消費されて、遠く離れていた眠気が再びやってきそうな気配を感じていた。
その波の乗ろうと目を閉じる前に――
「おはようございまーすっ」
原稚奈の声と、ドアをノックする音が部屋に響いた。
「上野さん、よろしくおねがいしまーす!」
七時台になっているとはいえ、非常識な音量の挨拶だ。
ノックも嫌がらせのごとく続いている。というか間違いなく嫌がらせだ。
そもそもなんでここに原稚奈がいるのか。
ただでさえマネージャーにも知ってほしくなかった家賃二万円のアパート暮らしを、元後輩に見られるなんて最悪だ。
「うーえーのーさーん♪」
「ああもう、お前は友達の家に来た小学生かっ。うるさいなあ!」
ドアを開けると鼻から頬を赤くした原稚奈が、制服の上にコートを羽織って、笑顔のままで白い息を吐いた。
*
「……それ飲んだら帰ってね」
仕方なく部屋に入れてインスタントのコーヒーを出した。
ドアを開けるとワンルームの部屋なんて奥まで見えてしまう。
もう知られてしまったのなら、と部屋に上げた。
風邪をひかれても困るわけで。
「いえいえ、わたしの今日の予定はレッスンですから。トレーナーがいないと始まりません」
「あんたのマネージャーに回収するよう連絡する」
「清原さんは上野さんのマネージャーでもありますよ」
返答に舌打ちしたいがぐっとこらえて、玄関の方に退散して清原に電話をする。
いつも通り、三コール以内で彼は電話に出た。
「はい、清原です」
「どういうつもり?」
怒りを示すつもりで、相手の声より低い声を意識して訊ねた。
「ご病気中の上野さんのため、迎えを寄こしただけですが」
「だったらアンタが来なさいよ。なんでタレントに小間使いさせてんのっ?」
「あ、それはわたしが行きたいと申し出ました~」
「アンタは黙っててっ」
居間にいる女子高生に声を飛ばした。
「実力行使です」
清原の声は、昨日の意志の強い圧を含んでいた。
「俺は昨日考えを改めました。タレントの意向を組んで少々甘やかせすぎたと。なので反省して、残りの期間は厳しくいこうと決めました」
「だからもうアタシは――」
「昨日も言いましたが昨日の辞令は撤回されています。つまり上野真希はまだウチの所属であり、俺はあなたのマネージャーのままです。辞めたいのでしたら事務所に書類を書きに来てください」
昨日から現れた、半ギレバージョンの清原は、口調がハキハキしてて男らしくなった。
声の低さもあって口論でも負かされそうになる。
しかも後ろを見やれば、あっという間にコーヒーを飲んだ原稚奈が、行きましょうと目で催促をしてくる。前から後ろから逃げ道を塞がれた感じだ。
「いいですか上野さん、これは仕事です。バイトもご病気のことがあってシフト入れづらくなってるでしょ? 今回はトレーナー契約なので報酬も出ますよ。レッスン場だって使い放題です」
生活費という痛いところも突いてくる。
「……わかった、行くって。……ただし、日払いでちょうだい」
せめて言われるがままの状態は避けたかった。
電話を終えて振り返れば、カバンを手にした準備万全な女子高生が、目をらんらんとさせて待っている。
アンタは散歩待ちの犬かっ!
「上野さんっ」
「あのね、アタシは準備できてないの。化粧だってしなきゃだし。……そもそも、あんたすっぴんでしょ、ソレ」
「へ? まあ」
「歌手だってビジュアル大事なんだから、移動の時でも変装か化粧をしなさい! ほら、さきに化粧してあげるからこっちに来るっ」
言われるや、原稚奈はててっと駆けてきて胸を張り、目をつむってマキに顔を突き出した。ショーに出るアシカのような、ごほうび待ちの大勢だ。
「まったく。あんたに使った化粧分は、経費であの男に請求してやるんだから」
そう言いながら、稚奈の肌に使ったファンデーションの広がり具合とノリの良さに歯ぎしりした。
二一歳と一六歳の差を、すでに見せつけられている。
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