10話 原稚奈
**** 原 稚奈 ****
事務所を出るワンボックスは右に曲がり、清原の運転する国産車は左に曲がった。
用事を終えた阿武川ハルカと鹿屋メイの二人はラジオ局に移動予定だった。それが、SNS上で事務所にやってきているという情報が出回り、事務所付近にファンが集まりつつあった。そこで普段の移動用ワンボックスが囮になった。
「なんでそうなるの!」
後部座席のハルカが吠えた。
クールな人だと思っていたらぜんぜん違う。
ハルカが怒っていたのは社長のことではなく、真希の態度だった。
「石にかじりついてでも諦めないって言ってたマキはどこ行ったの⁉」
「……あの?」
助手席に座る稚奈が、ハルカの隣のメイに訊ねる。
通称メイアブと中高生から神格化されている二人と同じ車にいるのが恐れ多く、それこそ、ここの空気を吸ってもいいのだろうかとすら委縮していたが、ハルカの怒り具合にそんな心配はどうでもよくなっていた。
「ハルちゃんは、マキちゃんのライバルだから」
「メイもでしょ!」
言われてメイは、ああうんそうだよ、と冷静に返す。
「ところでマキちゃんのケガは大丈夫ですか? 倒れたって、がんばりすぎたんじゃないですか?」
「ああそれですが……」
運転手の清原が真希の事情を、病気の診断も隠さずにすべて伝えた。
伝えると、後ろで暴れていたハルカもややトーンを落としつつ、「だってそれでも歌なら……」と、ぶつぶつつぶやく程度まで落ち着いた。
「でも本人が自分に無関心だとしても、動かす方法はありますよ。たとえば」
メイが後部座席から指を伸ばして、稚奈のほっぺたをぷにりと突きさした。
「ふぇ?」
「かわいい教え子が実力行使するのも、いいかもしれませんよ?」
「ほういうほほへふか?(どういうことですか?)」
訊ねると、メイがコホンと咳払いして、
「『いい? アタシたちは体が資本なんだから健康でいなきゃダメ! 思いつく限りの健康管理をするよ!』って。ね、ハルちゃん?」
真希の真似をした。
あまり似ていなかったが。
「あの頃のマキは、しつこいくらいに徹底してて、こっちにもそれを強要した」
「一緒に暮らしてるときは無理やり野菜食べさせられてもんね~」
「じ、自分から食べてた」
「ニンジン食べられるようになったもんねー」
「む、昔から食べられてた。……気持ち的に不要なものを、摂らない主義なだけ」
「うんうん。そうだよねー」
「もうっ!」
「……あの、つまり?」
ごめんごめん、とメイが手を合わせた。
「とにかくまずは引っ張り出す」と、ハルカ。
「そして教える環境になったら」と、メイ。
「「あの教えたがりは黙ってられない」」
二人が息ぴったりに答えた。
「だから、清原さんの采配はぴったりかもしれませんね」
「教えているうちに、昔を思い出すかもしれない」
「そうそう。思い出すと言ったら、清原さん、マキちゃんにお守りはカバンにつけておくように伝えてくださいね」
お守り? と訊いたのは清原だった。
「昔、私たちが三人で活動してた頃に、みんなでなけなしのお金を出して買ったお守りです」
「……あったっけ?」
訊ねたハルカの目が点になっていた。
「買ったじゃない! ほら神楽坂の!」
「……」
「……え? うそ、本当に忘れたの?」
「あ~……ああ、思い出したっ。ホント、ちゃんと思いだした! ほとんどメイが持ってたから思い出せなかったけど、そうだった、間違いなく買った」
二人の様子を見ていた稚奈の表情に気づいて、メイが補足をする。
「あのね、三年前に三人で暮らしてたころはお金なくって、薬を買う余裕もなかったの。それで代わりに、みんなのお金でお守りを買ったんだ」
「体が資本。『元気だったら何も諦めることはない』ってね」
ハルカも真希の真似をした。
こっちはすごく似ていた。
「わたしそれ知ってます!」稚奈は知ってる話題に柏手を打ち、目を輝かせて食いついた。「初期のインタビューで答えた言葉です! 確かその時のインタビュアーさんが」
「そうそうなんとあの――」
稚奈とハルカが上野真希トークを始める。
話が盛り上がったところで車は目的地に到着した。
「良かったねハルちゃん」車を降りたメイがハルカに言う。「マキちゃんマニアの仲間ができて」
「ま、マニアじゃない! ……でも、またね」
くちびるを尖らせたハルカが稚奈に挨拶をした。
そして、
「あの天邪鬼のこと、よろしく。私もできること、するから。……あと、私の電話番号、清原さんから聞いていいよ」
そう言って去っていった。
二人を見送り、一度事務所に戻った。
「上野さん、愛されてますね」
さすがです、と言う。
「ハルカさんは、上野さんのライバルだと意識しているがゆえに、歯がゆいけど手出ししにくいんだと思います」
清原の意見に、稚奈はうなずく。
「わたし、がんばります!」
それは同じ上野真希ファンとしての気持ちでもあり、もっと近くにいたハルカへの嫉妬も混ざっていた。ファンとしてなのか、歌手としてなのか。
少なくともハルカへの健全な対抗心であることに間違いはなかった。
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