1話 上野真希
**** 上野 真希 ****
低い振動に反応して、沈んでいた思考が浮上する。
「上野さん。もうすぐ着きますよ」
助手席に座る上野真希は、マネージャーの清原太一に声をかけられ、目を開ける。
「あ、あれ? ん~……、早いね」
寝足りない時の倦怠感は頭をゆすっても払えるわけではないが、凝った体をほぐすとちょっと楽になる。
「上野さんは、座ると同時に寝ていました」
そう告げた清原は背が高く線が細い。腹の奥から出る声も深く響く。左目側の泣きホクロがまたアクセントになっている。三年前に紹介されたときは新しい所属タレントかと思ったが、「上野さんのマネージャーです」と頭下げられてすっ転びそうになった。
見栄えする男で、スタジオに行っても真希が見学しにきた親戚の子のような扱いを受けたこともある。当初に比べてだいぶ地味にしてくれたが、真希の仕事が減り、スタジオに行く機会がほとんどなくなってからは、彼の外見などどうでもよくなっていた。
あ、ちなみにこいつ、あまり笑いません。しゃべりません。
真面目だけど口数が少ないし、堅苦しいので疲れます。
「アルバイト、忙しいんですか? 疲れがたまっているから、あの程度の出演ですぐ寝てしまった、とか……」
ほらね。
心配なのか、皮肉なのか、オカンなのか。
ハンドルを握ったまま正面を向いているので表情も読めない。
平坦というか、感情の抑揚もないので口調だけでは分かりづらい。
「なに? バイト減らせって言いたいの? ムリだよ生活できなくなるじゃん」
「しかし上野さんの本業は歌手ですので」
……あのさ、
「それで食えてないからバイトしてんじゃん。だったら大きい仕事持ってきて」
今日はライブハウスのイベントに出演していた。
五組のアーティストがいるので二曲ほど歌って、最後にちょっとにぎやかして終わり。大して疲れはないが、ギャラも大したことはない。
「ん~……」
また首を回して筋をほぐす。それでもどこかだるさが残り、終わったあとの帰り道はあっという間に眠くなる。車だけでなく電車の中でも。最近になってすごく増えた。
成長期だろうか?
しかし、見下ろす胸元に変化はない。
「……すいません」
遅れて清原が謝る。
二一歳の上野真希が今年三〇歳になる相手に大口を叩けるのは、清原太一がマネージャーだからというだけでない。清原はプロダクション『ウイングヒューマン』に入って、まだ三年目。
真希はというと所属歴だけならこれで六年目。一応は先輩なのだ。
「ごめんごめん。アタシじゃそんないい仕事なんて取れないの分かってるって」
車が信号を曲がる。見慣れた通りに合流した。
あとは直線でアパートの前だ。
「そんなことありません。俺のせいです」
「別にいいって。それで次の仕事は?」
「しばらくは……すいません。ですがレッスンのスケジュールを――」
「パス。もう今更って感じだし」
「しかし……」
「だってアタシ、一五からやってきてこれだよ。意味ないって。それにレッスンの間はバイトできないし。あ、ここでいい」
そう言って停まった車から降りた。
今度からは、歌の仕事取れた時だけ連絡くれりゃいい。レッスンは自分でやるから入れなくていい。要点だけ伝えて、まだ少しぼうっとする頭で家賃2万円のワンルームに向かう。車はすぐに発進しない。
真希が部屋のドアを閉めると、ドア越しに聞こえていたエンジン音が高まり、遠のいていった。
「律義なやつ」
真希は家に入ると、スマートフォンを操作して音楽系のまとめサイトを開く。今日のイベントまとめが無いか探した。なかった。代わりに目にしたのは、ユニット【Maybe/Absolute】の記事。
「がんばってんねぃ……」
同じプロダクションに所属する鹿屋メイと、阿武川ハルカの女性二人組ユニット【Maybe/Absolute】――通称メイアブ――は連日、何かしらの記事が出る。
たまに二人のどのパーツがエロいか、なんてネットの論争もまとめ記事にされている。気持ち悪いけどうらやましい。
真希は彼女達以外の記事に目を通して、敷きっぱなしの布団に転がる。
二年前に一緒に組んでいた相手が、自分が抜けたとたんに売れ出した。
そうなると、
「アタシ、疫病神タレントとかで売り出すかねえ。……なんてね」
そんなことも思ってしまう。
メイク落としも面倒になってそのまま眠りについてしまった。
どーせ明日のバイトは昼からだと緩んだ瞬間に、意識は体から離れていった。
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