#96:1023年6月 決着
爆発は想像以上のものだったが、爆風はきれいに建屋の舞台から崖へと吹き抜けてしまったようだ。少なくとも建屋の屋根は無事に見える。が、それは目に見える範囲に過ぎない。建屋の奥は煙が充満していた。
さて、藤原正頼だが、どうだろうか。死んだとみるのは甘いか。
藤原正頼本人が鬼の手を取り出し麻糸を引っ張る事を元々は想定していたのだ。しかしもちろん、これで手が尽きた訳ではない。
アキラは帯に仕込んだ折り畳み小刀を引っ張り出した。薄い直刀を薄い木の柄の中に折って保護したもので、全体の厚みは柄を含めて六分の一寸、5ミリほどしかない。
刃を柄から引き出す。小刀は折り畳み鋸のような大きさと外見だがもっと薄い。刃もできるだけ薄くしたが、残念ながら今の鋼の品質はぺらぺらに薄くできるほど良くない。
刃も頼りないが柄も頼りない。5ミリというのは帯に隠すには結構な厚みだが刀の柄には薄すぎる。そのくせ刃渡りは一尺、30センチも無い。これはちょっと大きいナイフに過ぎない。
構えてみると、判っていた事だが結構みじめだ。護身用でもぎりぎりなのに、これで妻の仇を討つというのはちょっときつい気がする。
鉄砲でもあれば、と一瞬妄想しかけて自重する。見慣れぬ鉄砲であれば武器とみなされずに持ち込めたかもしれない。しかし銃身の製造に着火の構造、要開発項目が多すぎる。将来は作るとしても今では無かった。
無理して作って持ち込んだとしても、多分その鉄砲本体を投げつけるほうが殺傷力は確実だろう。
本当に、多分石でも投げるのが一番良かったのだろう。
しかし今手にあるのは、この短い直刀だ。
煙の中から這い出してくる奴がいる。陰陽師だ。目が見えていないのか。
背後に回り込み、背中から折り畳み小刀の刃を突き立てる。なるべく真っ直ぐ突き立てる。
陰陽師は呻き、しばらくジタバタしていたかと思うと、絶命した。
刃の先から血が滴る。
叫ぶ。
「正頼はおるかぁ!
居らば死ね!吾が妻のかたきぞ!」
前方に素早く身を投げ出す。
殺気があったのだ。頭上を刀身らしきものが勢いよく通過してゆく。
アキラは起きて向き直ると、短い直刀をさらに短く、腰溜めにして構えた。
正頼だ。煙の向こうに、いる。
「つまらぬことよ」
落ち着いた声だ。
正頼との間の煙が少し薄れた。
どこかで、パチパチと小さく爆ぜる音が聞こえる。どこかで火が燃えているのだ。
「吾子もまた、つまらぬ者共とおなじであったか。
転生の者とは言っても、しょせんは智恵の廻らぬ下衆か」
随分と賢ぶるじゃないか。
向こうから、郎党どもの声がする。
「ほれ、者共、目代に弓射掛けよ」
だが、煙の中から現れた郎党は、
「下の寺が火に巻かれおりますっ」
田部郷の郷長の手勢の攻撃だ。
彼女はありったけの財を投じて人を雇っていた。その中にはいつぞやの行商人姿の間諜もいた。大半は盗賊くずれで、押領使に捕まったのちに足利の軍勢にほうりこまれていた連中だ。
郷長には、大きな音を合図に掛かれと言ってある。
この岩舟山、山頂から降りる道は限られている。最大の道は今、寺と共に火の中だ。他の道には雇った伏兵が忍ばせてある。
この岩山、登り攻めかかるのは難しくとも、降りてくる者を討つのは容易い。
煙が色濃く、さらに量を増してきた。この建屋が本格的に燃え始めたのだ。
「くたばれっ!」
アキラは鋭く踏み出して藤原正頼に襲い掛かる。
かわされる。奴が討ちかかって来る。ちくしょう、相手に比べるとこっちの刀はおもちゃのようなものだ。質量が違う。
まともに打ち合えばひん曲がる。打撃に弱いどころじゃない。
「ははっ、何ぞその刀は。布のごとく曲がりおるぞ」
アキラは直刀を振るうが、藤原正頼にはもうこれを恐れる様子は無い。
「いかほど薄き鋼か。面白き」
吾子の息の根止めてから存分に調べようぞ、と振りかぶった刀は、しかし真っ黒な影に阻まれた。
硫黄の臭いが鼻につく。
鬼だ。
振るう腕を紙一重でかわす。
ブンと音を立てて、でかく重いものがアキラの頭すぐそばを通り過ぎた。あれが腕か。背筋が凍る。
黄色い煙を纏わせて巨体が姿を現す。あの火薬の爆発にまったくの無傷か。
「それ、目代を片付けよ、向こうぞ」
しかし鬼の動きは鈍い。
その隙にその場を離れる。鬼の背後、炎がまわり始めた建屋の隙間を走り抜けて、背後の回廊を走る。
郎党が見えるが、アキラの背後に何かを見てあわてふためいて逃げる。
振り返る。
振り返るんじゃなかった。
鬼が追って来るのはわかっていた事だ。
下屋を抜け、小屋に飛び込む。室内に積まれたものがガラガラと雪崩を起こす。
ここにあると確信していた。
屋敷の門前で預けた、アキラの刀だ。
・
轟音と共に小屋は吹き飛ばされた。
さっきまで小屋を構築していた部材と共に、アキラも弾き飛ばされていた。
薄い築地壁を突き破りアキラは地面を転がる。数日前の雨の湿気が残っており、アキラは泥だらけになる。
すぐ立ち上がる。
漆塗りの調度や弦の切れた弓に混じって、綾の糸で拵えを飾られたアキラの刀が地面に転がっているのが見える。見間違えることはない。なにしろ長さが違う。
刃の欠けた折り畳み小刀を手放し、刀を取り上げると鞘を捨てた。いつものことながら重い刀だ。
鬼の腕の次の一撃は、小屋の残骸をぺしゃんこにした。
吹き飛ぶ破片は幸いアキラをわずかに逸れてくれた。
鬼の背後では、桧皮葺きの屋根が盛大に火に巻かれ始めていた。
「目代よ。すでに吾子に呪法かけたるゆえ、逃げることも叶わぬぞ。
足萎えの法に腕萎えの法ぞ。今はまだ命まで取る心積もり無きゆえ、まずは吾に命乞いいたせ」
藤原正頼が現れる。
陰陽で呪われることは予想していた。
これまでアキラに効かなかったのは、アキラの正体について知識が無かったせいだろう。だが未来の人間であるという知識があれば、呪いは有効になりうる。
こちらに飲ませた酒も気になる。焼いた呪符の灰を酒に混ぜて飲ませるという法もあると聞く。
しかし同時に、こちらも自分に陰陽の術をかけることができるのだ。
アキラは予め石川法師より陰陽の呪法について教授を受けていた。
陰陽の呪いは人形を使う。木の板を更に頭や足を模擬して削り、名前など書いて使う。呪う場合は穢れと共に、守護には祈願の言葉と共に。
さて、人形、つまり人の姿に似せることに意味があるとすれば、もし、より人の姿に似せることができれば、そちらのほうが強いのではないだろうか。
アキラは精巧な自分の立像を、木工の学生に頼んで彫刻してもらっていた。そしてそこに陰陽の本来の使いかたである災難避けの法、呪いや不幸を避ける文句をびっしり書き込んだのだ。
矢音が響く。藤原正頼の郎党がアキラに矢を射掛けたのだ。勿論、ハズレだ。
当たるものか。
アキラの陰陽のほうが強い。
「効かぬ。吾に向けし呪いは弾かれ、呪い主に戻る」
アキラは刀を藤原正頼に向けた。だが、
「呪い主なら先ほど目代が殺しおったろう。吾には効かぬ」
陰陽師にさせていたのか。というか、爆発前には既に呪っていたのか。
藤原正頼はぺらぺらとよく喋る。
「先の世からの転生の者となれば、吾が智恵でよく使うてやらんと思ったのだがな。
悲しきことよ。役に立たぬ愚か者とは」
飛んで来る矢が多くなってきたが、アキラは全て刀で叩き切る。
いや待て、流石にこの技能はおかしい。自分には飛んで来る矢を切り落とすような超絶技能は無かった筈だ。だが、今確かにこの腕に技能の確信が宿っている。
試そう。
振るわれる鬼の腕に、刀をまっすぐ正対させる。
鬼の腕は、軽くわずかな手応えを残して、さらりと切断された。
切り落とされた腕は、その巨大な慣性のままに重く転がり落ちる。鬼が呻く。背後に落ちた鬼の腕が重い音を響かせる。
わかってきた。
鬼の足を刀で払う。鬼が啼く。重かった筈の刀は軽く片手で振るうことができる。鬼はすんでで避けたが尻餅をつく。
術師に帰るべき呪いが、その術師の死んだことで行き場を無くしたのだ。行き場を無くした呪いは更に反転する。
足萎えの呪いは速足の術に、腕萎えの呪いは強力の術に。
素早く踏み込み、鬼の胴に切りつける。さらに切る。
足を切り落とし、太い胴をぶった切り、
そして、首を落とす。
「鬼ぞ、人丈の鬼ぞ」
藤原正頼の声が震える。正頼は逃げ場を探し背後を見るが、そこには燃え盛る建物があるだけだ。
「者共っ、あれを討てっ!」
叫ぶが肝心の郎党はみな逃げ失せたようだ。こんな奴に命かけて忠誠を誓う奴などいるものか。
こいつは結局武士ではなく、郎党もまた武士ではないのだ。
泣き顔でへたり込む藤原正頼のもとへと歩み寄り、見下ろす。
「さて、吾子で終わりぞ。何ぞ神仏にでも助命すがるがよい」
刀を振り上げたところで、藤原正頼はアキラに叩頭した。
「たっ助けられよ、吾の身を坂東別当の下郎としようぞ。
主人と仰ぎ従うゆえ、この一命なにとぞ慈悲にて助命いたせっ!」
そのまま藤原正頼は早口でまくしたてる。
「吾子こそ坂東の新皇にふさわしき御方よ。
都攻め滅ぼし、坂東に都作られよ。
新しき帝に民みな従わせ、叩頭させようぞ。
贅の限り尽くした内裏建てられよ。
御方の威光を陸奥の果てから西海の向こうまで示させましょう!」
興奮してきたのか、藤原正頼は叩頭から頭を上げ、アキラを見上げる。
「御みかどよ、なにとぞ慈悲を示され給え」
アキラは表情を変えず、言う。
「吾子は吾が妻の仇ぞ」
そのまま刀を振り下ろした。
・
既に陽は落ちている。山の上の火災は続いているが、山道はとっぷりと暗い。
矢音がした。
「まてっ、吾は目代ぞ」
がさごそと茂みが揺れると、見知った顔が現れた。
「おお済まぬ。しかし首尾はいかにあった」
「鎮守府将軍もあの火の中よ」
アキラの刀は鞘を見失った事もあり、鬼の胴に突き立てて放置してきた。
鬼に対しては軽々と扱えた刀だったが、いつのまにか、いつもの重い様子に戻っていた。これを持っては山を降りるのは難しいし、そもそもこの先必要とも思えない。
藤原正頼の死体もそのままに放置してきた。首を持って帰るような蛮習はアキラには無い。
藤原正頼殺しの犯人はアキラ以外に考えられないだろうが、鬼の死体も一緒となるとどういう事になるやら。
そういう事を麓にいた田部郷の郷長に説明する。
「という訳で、吾子の父母の法要には顔出せぬゆえ」
鎮守府将軍殺しというのは、これはもう立派な謀反である。朝廷の任命した高官を殺害したのだ。
という訳で、アキラはこれから身をくらます心算だった。
アキラは予め準備しておいた長櫃と袋を取り、長く伸ばしてきた髪をざっくり切り落とした。童子形という奴だ。烏帽子をうち捨てる。
ああ、さっぱりした。髪はやはり短髪が良い。
「これより如何にする」
郷長が聞いてくるが、実はまだアキラにも考えは無いのだ。
素早く着替えて長櫃を背負う。麻の葉の寄進を乞う行者そっくりに見えるだろう。ちょっと背が高すぎる気もするが。
「さて、陸奥に行くか信濃に行くか」
アキラは歩き出し、手を振って言う。
「さらばだ。みな長命にあれ」
#96 藤姓足利氏について その1
足利氏というのは足利という土地からついた苗字であり、彼らは別に姓を持っていました。足利氏を名乗った一族は姓違いの2系統がありました。藤姓、つまり藤原氏と、そして源姓、源氏です。
藤姓足利氏の起源は平安時代、藤原秀郷に遡りますが、更に藤原秀郷は藤原魚名流、藤原魚名から数えて5代目とされています。
藤原魚名は藤原不比等の孫で、藤原不比等には天智天皇の落胤とする説はありますが公式には皇孫ではありません。
藤原魚名の子、藤原藤成は夷俘専当となっており、この時に俘囚の武術に詳しくなったと考えらえています。この頃に東北の38年戦争が終わり、多くの俘囚が全国各地に移配されます。藤原藤成が若い頃下野国の在庁、大介であったときに現地在庁官人、史生であった鳥取業俊の娘との間に生まれたのが藤原豊沢です。藤原豊沢は下野の在庁を経て陸奥守にも任ぜられています。
その子の藤原村雄も下野で育ち、下野の在庁を経て地方受領を歴任しました。藤原村雄が妻に迎えたのは史生より位の高かった掾の鹿島氏からでした。この鹿島氏は鳥取と書いた文字の読み取り間違いであるとの説もあります。
その勢力拡大によって圧迫を受けたのが古い一族、上毛野氏、下毛野氏でした。岩舟山のふもとにあった壬生氏、毛野氏の一族であった彼ら郡司が亡びたのもこの辺りでしょう。第三代天台座主の円仁(慈覚大師)の出身氏族であった壬生氏はその後歴史の表舞台から姿を消します。郡司の地位を追われた彼らはその後上野国甘楽郡に現れます。
藤原村雄が赴任した土地のうちには下野も含まれ、ここで更に大きく勢力を広げたものと思われます。彼らは単なる在庁官人ではなく、武芸を伝承したものと思われています。重要なのは地方受領を歴任する一方、子供は母方の家で養育されたという事です。恐らく子供は鳥取氏の家の中で貴種の自覚と自尊を育んだことでしょう。
藤原秀郷はその子です。彼の代でこの藤原氏は大きく勢力を広げます。延長七(929)年には追討の官符が出されていますが追討されたという報告はありません。藤原秀郷は平将門の乱で大きく名を上げます。俵藤太という別名の由来はよくわかっていません。
彼の子孫は都に出ることになりますが、安和二(969)年の安和の変によりその勢力を大きく減じます。安和の変は左大臣源高明の失脚に連動して、藤原秀郷の子である藤原千晴を流刑としましたが、同時に密告者であった河内源氏の源満仲の出世の糸口にもなります。
藤原千晴の弟である藤原千常は先祖たちと同じ地方の受領として生きることになり、これは四代、藤原兼光の代まで続くことになります。