#94:1023年5月 新秩序
戦争が終われば、実務者には後始末というものがある。
アキラの場合は、相模、武蔵の国庁に出向いて追捕協力の礼を言うのと、溜まった仕事を片付けることである。もちろん後者の方が大変だ。
戦争で消費した糧秣は莫大なものになる。正直、真夏時には米不足に陥るところが少なくないだろう。麦の収穫がそれなりにあったのが幸いだった。夏は麺類などの麦食を奨励することになる。
戦争中の麻痺した交通も痛い。この春から初夏のあいだ、利根川の民間渡河物量は通常時の四分の一以下にまで減っていた。
戦争は、四ヶ国の最近蓄えた富を荒っぽく消費してしまっていた。
武者への戦功手柄の恩賞も頭の痛いところだった。
これらは彼ら郎党を抱える武者大将たちが自ら与えるべき問題の筈だったが、彼らに新たに支給する領地や物量がある筈もなかった。相模の鎌倉党など皆アキラの管理のもとに入植したに過ぎないのだから仕方がない。
恩賞の元は結局、開墾予定地や備蓄からそれぞれ捻出し武者大将に給付しなければならない。
そしてそれらは、それぞれの武者大将から賜る恩賞として、武者郎党たちの忠誠心を勝ち得るための原資となる訳だ。アキラの工面した筈であったが、これはそういうものである。
今は鎮守府将軍の任命した押領使代が上総と下総を統治している。押領使代は全員、下野の藤原氏の累系や郎党から選ばれていた。
都では上総下総の新国司任命と辞退がそれぞれあったと聞いていた。戦争後の荒れた国には国司に旨みが無いのだ。
一方、鎌倉に避難していた安房の国司は、既に安房国庁に戻って政務に復帰していた。
相模の国庁では、足柄の坂の者のうち傀儡子らを多く雇い入れて、読み書きのできる者を大幅に充当することができていた。傀儡子の多くが馬に乗るのも慣れており、とにかく便利だ。
うち数人を武蔵の国庁にも送ろうと考えている。フタロウ改め元服して富田太郎明信は、今や立派な官吏として武蔵国庁を切り盛りしているが、未だに人が足りないと会うたびに言ってくる。
だが、武蔵の国司屋敷で待っていたのは、予想外の話だった。
「養子、でありますか」
「前武蔵守頼貞殿が良いとおっしゃる」
光衡殿の前任、何度かお会いした方だ。
しかし何故。
「源氏の帯刀先生の家ならば、釣り合うというもの」
何が釣り合うというのだ。
「足利の栄えおるに、吾も別業を足利のあたりに作りて移ろうと思うておる。そこに一緒住まわれるが良き」
足利に別業、つまり別荘を建てるというのは良い案だ。武蔵ではようやく部下が増えてきて出歩くのも容易になった光衡殿だったが、完全に足を伸ばせる土地があれば更に良いだろう。
しかし、一緒住まうというのは、誰と。
あずさ殿と、だ。
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えーと、なるほど、血筋は良家に養子入りすることでクリア、あとは官位職位だが実績からみて相応の位にやがてなるだろう、という目算らしい。
どう返事したものか良く覚えていない。持って帰って来た手紙によれば、足利方の都合をまず聞くことになっている。それだ。
「まことなら良き事」
尼女御は即断言した。
「藤永なる家については調べおるがおよそ藤氏のうちにあろう」
アキラの出身について細かい事を聞かれたことが以前あったが、そういう事を調べていたのか。アキラの実家は潰えたと言ってある。
この時代、結婚は特に血筋は気にしないと聞いた気がするが、一方、出世は血筋次第、血筋は大事だとも聞いた。
「しかし出来るなら源氏の家が良い」
源氏とひとくちに言っても色々である。
源の頼信殿や頼光殿は大阪方面のあちこちを根拠地にしている。奈良の方にも根拠地があり、これらが大体武者の源氏だ。
ほかの源氏は都住まいの貴族だ。受領をやっても一期程度、末子でも地方官をやるよりは僧になってしまう。
養父となる源の頼貞殿は、頼信殿や頼光殿と兄弟である。正確には違うらしいが、これはちょっと格が高い。
その為に更にアキラの家系に上げ底が施される予定になっているという。
上げ底のほうは以前からの計画だったそうだ。
藤永の姓は家系の捏造のしやすい、源氏の地元大和の古くからある姓にされる予定だという。
大和だと歴史が古いから、百姓の藤氏もざらなのだという。貞松もそうだったという話だ。貞松の姓は確か藤井。藤氏だったのか。
「少しは喜ばぬか」
いや、その。
「アキラはまこと笑わぬな」
頼季様は言う。そもそも笑うところ見たことなき、と。
いや、勿論笑うことも有る。
この時代、笑うと言う事は人を嘲笑するという事だ。それは侮辱であり、多くの場合恨みを買う行為だ。だから笑わないのは正しい戦略だ。
そもそもまともなユーモアの概念すら、人を傷つけないジョークも無いのだ。気持ちよく笑えることなど、まず無い。
笑えるのは、純粋な喜びの時だけだ。
「いつ笑うた」
「……子の出来たとき、クワメの前では」
頼季様と尼女御は顔を見合わせると、アキラに言った。
まぁ、ゆっくりで良い、と。
「これも鎮守府将軍の手回した事にあろう。急ぐ事無き」
・
「足利に別業、いや屋敷移そうかと思う」
周りにいた足利のものは藤原正頼のその言葉を聞いて、冷や水をぶっかけられたかのように震え上がった。
場所は足利の別業、新しい劇の初演に鎮守府将軍様こと藤原正頼を招いたその席でのことだ。
塩を振った若鮎の天ぷらをご賞味になって、ご満悦のところで発せられた言葉だった。
太政官符の命じた平忠常追捕は終わり、もう鎮守府将軍に頭を下げるべき公的な根拠は無い。主従関係はもとより無い。
しかし、再び争乱があれば、太政官符は再び権限を鎮守府将軍に与えるだろう。そうなれば再び頭を下げることになる。
その時の事を考えれば今不興を買うことはできない。今もまだ、頭を下げ続けなければならないのだ。
そして、次の号令の時も近いと目されていた。常陸の情勢を巡って、常陸大掾平維幹の追捕の命令があるのではないかというのが専らの噂だ。
たいした罪状がありそうにも思えないのだが、国司である平維衡が訴えているらしい。
藤原正頼は今や坂東の支配者だった。
彼の正規の収入、権力源は簗田の郡司であることに過ぎない。今はまだ。
しかし、今や坂東の万人が彼に頭を下げざるを得ない。藤原正頼の歓心を買うために、坂東中の有力者が彼に寄進を申し出るだろう。
そして藤原正頼はその非公然の権力をもって、足利に君臨しようと申し出ているのだ。
光衡殿と言っていることは同じでも、足利に別業をつくるというその意味合いは全く違う。
「今からでは良き土地は限られますゆえ、梁田のほうがまだ適地があろうかと」
尼女御のそんな言葉も意に介さず、
「栄えゆる所が面白かろう」
そんな適地があろう筈が無い。
足利屋敷を除けば。
舞台の上では、三人の歩き巫女が不思議な予言をして去っていったところだった。
ところ変わって下総の宮の陣なる場所、坂東将軍は先ほどの歩き巫女の予言を真に受けて、叔父を殺してその地位を奪おうとする。
話のベースは「マクベス」だ。魔女は歩き巫女、国王ではなく叔父になっているのは、これは平将門の逸話も下敷きにしているからだ。
傀儡子舞には、平将門を題材にしたものもある。将門の息子の仇討ちの話だ。しかし藤原正頼の歓心を買おうという場面で、平将門の敵側であった藤原秀郷の子孫に見せるにはそういう筋書きはよろしくない。
そこでひねり出したのが、将門を悪役マクベスの役どころに置く筋立てだ。
「かような声を聞いたぞ、坂東将軍は眠りを殺したと。もはや安らき眠りはなき、と」
血に濡れた刀を持ったまま坂東将軍は叫ぶ。先ほど寝床の叔父を殺してきたのだ。
刀を捨てると舞台をぐるぐると歩き回り、手を洗う仕草をする。
「この血は海の水全て使えば落ちようか。いや、海を全て赤く染めようぞ」
「おい」
その声にアキラは振り返る。藤原正頼の声には怒りがあった。
「あれは何ぞ」
舞台を指差す。何を指差しているのか。
舞台では坂東将軍がようやく立ち止まり、笑い出す。
「何を恐れようか。歩き巫女の言うた事を思い出してみよ。
未だ生まれておらぬ者にしか吾は殺せぬ、と。
つまり吾は誰にも害される事はなき」
歩き巫女のお告げのくだりも将門の伝説の中にはある。新皇として即位せよという菅原道真と八幡大菩薩のお告げを伝えたという話だ。
しかし話はその後、将門は叔父平国香の子である平貞盛と、それを助ける藤原秀郷に負けて短い栄華は終わりを告げる。
「……将門の、叔父平国香を殺すところにあります」
将門を悪者にするためには、史実とは違い叔父を騙し討ちしたことにしなければならない。
「他意なきと言うか」
「……何を」
藤原正頼は顔を逸らすと、しばらく不機嫌そうに劇を眺めていたが、やがて立ち上がり、帰ると言う。
帰る際に、アキラは思いっきり睨まれた。他意があるのは先方じゃないのか。
・
謎はほどなくして解けた。
「藤原の文行様の、岩舟の寺から見えなくなりました」
田部郷の郷長がアキラに告げた。
絹の糸繰り機の追加発注のための話し合い、という名目でアキラは木工作業場で田部郷の郷長と会っていた。藤原兼光の兄弟である藤原文行との連絡を、彼女を介して行っていたのだ。
行商人を送り込むことから始まり、米や絹を貸す業者として彼女は藤原文行の押し込められていた寺に出入りできるようになっていた。
さてこれから、というところで、再び連絡は途切れたのだ。
「ただ、調度や物はそのまま残されておりました」
皆、殺されおるものかと。彼女はさっくりと推測を述べた。
なるほど、叔父藤原文行を殺したことを劇中で暗示、非難されたと藤原正頼は思い込んだ訳だ。
「ところで目代よ、吾はまだ父母の供養済ませておらぬ」
そしていきなり彼女は話題を変えた。
「やらねばならぬ事のある。父母の仇討たねばならぬ」
ぎょっとした。
「……何を知りおる」
「藤原の文行様にお目にかかった時に、教え下さった事よ。
まことのところ知りたき。鎮守府将軍は、目代の何ぞ」
言うつもりの無かった言葉が、漏れる。
「…………吾が妻の仇ぞ」
口に出してしまうと、確信に変わる。
クワメを害しうる陰陽師はあのとき関東にただ一人、藤原千清、藤原一族の累系である陸奥の陰陽師しかいない。名前しか知らない相手であったが、しかしこいつは手下に過ぎない。
この甥、藤原正頼の子、藤原の頼遠、こいつも恐らくは一枚噛んでいる。
そして勿論、全ての指示は藤原正頼から出ていた筈だ。
もし呪いでアキラを殺せるなら、藤原正頼は迷わず殺しを決意していた筈だ。
「吾は一人でも仇討つつもりであったが、目代は如何に」
「早まるな。吾のみで討つ」
鎮守府将軍を討とうというのだ。朝廷に弓引く反逆だ。こんな小娘に背負わせて良い罪ではない。
「目代の手勢いかほどぞ。まともな数おらぬのではなきか」
痛いところを突かれた。まともに考えれば、暗殺にも手勢がいる。
「目代の仇討ちの邪魔いたさぬゆえ、加勢させよ。目代には加勢の要ろうぞ」
その通りだ。
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その後、平忠常が近江の三井寺にて死んだと、都からの便りにあった。
平忠常は畿内に入ることを許されず、都のすぐ裏手、琵琶湖に近い寺に謹慎することとなった。
警備は源氏の武士たちの手を離れ、そうして数日のうちに平忠常は病を得て倒れ、数日のうち死んだという。もちろん謀殺されたのだ。
その伝えを聞いた翌日、アキラのもとへ、藤原の正頼からの宴への招待が届いた。
#94 養子制度について
作中時代の養子は特に制度として固定したものではなく、後に猶子と呼ばれるような、遺産相続権を持たないものも養子と呼ばれ、更に、改姓を伴わない養子もありました。これら別は特に明確な基準も無く、その時々の都合に合わせて扱いは変わりました。
多いのは、一族の中から親を失った子を引き取るパターン、この中には、血筋では弟に当たる幼い子を兄が養子に引き取るものも含まれます。これらは子供の扶養の都合です。
一族以外からも引き取る場合もあります。嫡子がいない場合は養子が財産を受け継ぐことがありました。養子が遺産分与にあずかることができるかは、大抵の場合、いつ家に入ったか、家の一員として認められていたかどうかで決まっていました。
次に多いのは、養子になることによって子の家格を上げる目的です。
皇族はその血統の尊貴性を守るために律令で厳しい結婚相手の制限が課せられていましたが、同時に中国から同姓不婚の考え方も入ってきていました。この矛盾を解決するのが、上皇や親王家に養子入りさせてから入内させる方法でした。
ほかの貴族ではこのような結婚相手の制限は無く、婚外子も普通であった時代では家の格は結婚では問題となりませんでしたが、河内源氏などの武士はその後結婚相手の家格にこだわるようになり、そのために遺産相続権を持たない、また改姓を伴わないような養子縁組は、ある種の売官のように家格を売る方法となります。




