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#90:1022年12月 裏切り

 和平の話し合いは敵地、常陸国内でおこなう。

 これは常陸側からは譲れない条件で、しかも護衛の部隊を付ける事も許さないとあっては、常陸側の和平への意欲の程を疑うところだろう。

 しかしこれは常陸側の、平維幹の権力が揺らいでいる事の表れでもあった。この会談を実現するために平維幹は自陣営内の、足利勢への反感を抱いている勢力をなだめる必要があった。それがこの会談の条件に反映されているのだ。


 アキラら足利側がこの条件を呑んだのは、中立で信頼できる健児の護衛があったからだった。かつて源頼信が常陸国司だった時にも実直に仕えた国衙の兵だ。

 勿論アキラが楽天的であるのも大きい。

 足利方の護衛は一人認められていたが、アキラの郎党というと実質一人しかいない。その大物部季通にしても、あまりやる気のある方でもない。


 だから大物部季通がおかしいと言い出した時も、初めピンとこなかった。


「兵の疲れれば入れ替わろう。何の良からぬ事があろうか」


 それに新たに入れ替わった健児の兵の一人には見覚えがあった。信太の、浮島の人間だ。


「日の半ばに兵入れ替えるは奇異(おかし)き事。そもそも公侯有常はいずこぞ」


 そこに犬丸が戻ってきて、アキラの耳に寄せて囁く。


「このすぐ裏に、誰か死におる」


 宿舎には常陸国庁近くの国分寺僧坊が充てられていた。僧坊の前には健児の兵が立っているし、背後も同様の筈だ。

 誰かが死んでいるとして、それが騒ぎになっていないのはおかしい。


 アキラは犬丸に囁き返す。


「吾子はすぐここを発ち、なんとしても足利へ行け。良からぬ事の起きたと伝えれば良い」


「それだけか」


「逃げよ。吾子のみなら逃げおおせるのであろう」


 犬丸は、一瞬躊躇して、それから小さく、おう、と言った。

 荷物から幾つか取り出すと懐に詰め、上から軽く叩いて目立たないように整えると、何も無いかのような足取りで僧坊を出て行った。


「さて、我らは如何にする」


 大物部季通が問うのに答えながら、アキラも荷物を漁る。


「ここは香取の海に面しておる。舟探すぞ」


    ・


 燈明の火を消し、室内で息をひそめる。

 信頼できる筈の健児に何が起きたのか。やはり常陸の罠だったのだろうか。


 アキラはゆっくり千まで数えてから、大物部季通の肩を叩き、動くことを告げた。

 僧坊のすぐ前に健児の兵が二人。人数は昼間から変わっていない。

 刀を鞘から抜く。

 もし、ただの気のせいだったら。


 いや、こうなっては仕方がない。


 僧坊に戸は無く、外は寒い。雪は積もらなかったようだ。背を屈めて足音を忍ばせ、外に出る。

 兵士二人いるうちの、遠い方に飛び掛かる。

 刺し、もつれ、押し倒し、息の根を止める。


 声を立てられた気がする。随分と騒がしい音を立てた。

 背後でもようやくケリがつく。


「目代よ」


 小さな声。おう、と答えて手を振る。

 向こうが騒がしい。


「塀のそばに寄れ。草むらに身を隠せ」


 大物部季通の首根っこを引っ掴んで移動すると、向こうから足音がする。

 松明は掲げていない。人数は定かではないが、10名ほどか。思ったより多くないが、二人で相手できる数ではない。


「門を閉ざせよ。出入りさせるな」


 聞こえてくるその声に数人づつ散っていく。


「死におったであろうか」


 大物部季通が小声で言う。まだ息が荒い。全然落ち着いていない。


「刀を鞘に納めよ。死んでおるかはわからぬ。しかしよくやった」


「もし死におったならば」


 アキラは大物部季通の手から刀を取り上げ、大物部季通の腰に吊るした鞘を探して、何とか納める。


「静かにいたせ」


 しばらくじっとして、落ち着いたところで、小声で伝える。


「塀のどこかから、表に逃げるぞ」


   ・


 国分寺は思ったより広く、思ったより荒廃していた。

 境内の端の方には枯草の藪が深く続いている。草むらをかき分けて音を立てるのが怖い。

 築地塀は至る所で瓦が剥がれ落ち、ひび割れている。塀の壊れたところが早速見つかるが、そこはスルーして次へ向かう。

 更に進むと、やっぱり。人がぎりぎり通れそうなほど塀の崩れたところがある。

 そこから寺の外に出る。

 

 畑と雑木林の入り混じった向こうには民家も見える。

 畑の中を腰を低くして進む。


「武者働きとはこのようなものか」


 大物部季通がつぶやく。


「あまり人殺せぬやも知れぬ」


 弱気な事を言う。


 しばらく進むと前に民家と道が見えてくる。その向こうはどうやら沼地らしい。風は無く、雲の切れ目からぎらぎらとした三日月がのぞいて、道にいる兵士を照らす。

 見知った顔だ。信太の者だ。


    ・


「川に舟ありますゆえ」


 健児の兵が言う。水守の宿営攻撃の際に浮島で煮炊きをしていた男だが、名前までは聞いていなかった。


「水の上に居らば、前後に何の不都合あっても心配要らぬ事」


 前後に二人づつ兵士が付く。


「公侯有常はいずこぞ」


「あれは悪しきものゆえ。急がれよ」


 大物部季通が聞くのに兵士が答える。


「いや待て、目代よこれは怪し」


 大物部季通の言葉に続いて鞘を鳴らす音を聞き、振り向く。刀を抜きかけた大物部季通に、兵士二人が刀を突き刺すところだった。


「逃げよ」


 と聞こえた気がしたが、アキラは頭に昇った血に任せて刀を抜く。

 大物部季通が倒れる。血がわずかに噴くのが見えた。

 背後に三人いる。ならば前を伐って開く。


「大人しうせよ。逃げる事能うものか」


 前の二人に更に二人加わる。

 刀を巡らし、横を見る。沼だ。



 相手が多い。


 頭が冷えてくる。

 大物部季通は倒れたまま、動かない。

 くそ。

 刀を鞘に納めようとして、ふと、これからこいつが取り上げられるだろうという事に気が付く。

 鞘の緒を刃先で切り、帯から外す。


「その刀寄越されよ」


 刀を鞘に納めると、沼に放り投げた。


「取りたくば拾え」


 強く殴られる。更にもう一発。


「さぁ舟に乗られよ」


 頭ががんがんする。


   ・


 もう一隻舟は用意されていたらしい。

 その場の兵士全てを二隻に乗せて、舟は暗い水上を南下してゆく。

 低い位置に沈みかけた月の光が、水面に痛いくらいに反射していた。


 うとうとして、気が付くと岬の影らしきところに碇を下ろしていた。

 ここで少し休憩らしい。

 アキラを縄で縛ったりしないのは、泳いで逃げはしないとたかをくくっているのだろうか。この時代の人間で泳げるものは少ない。

 いや、そもそも今は冬だ。水に入るなんてとんでもない。


 やがて舟は再び南下をはじめた。休憩前より幾分漕ぎ方がゆっくりだ。

 おそらく、あの岬を廻るまでは誰かに見つかる危険があったのだろう。


「吾子らは何ぞ」


 答えは無い。


 少し考えればわかる事だが、こいつらは全員が信太の人間だ。

 健児の兵士は常陸の各地から集められる。つまり結構な割合で健児には信太出身者がいる筈だ。それがこいつらか。


 信太の人間の中には不満を募らせている者も多いと聞いていた。

 信田小太郎の死後、信太の人間がなんとか纏まっていたのは、信太を小一条院の荘園として常陸から切り離し、それで平和がもたらされるという希望があったからだった。

 それがずるずると実現せず、遂には無くなってしまったことで、アキラの信用はずいぶんと落ちていた。

 だからといって、アキラを誘拐してどうしようというのか。


 その辺り動機のほうは浮島に着いてすぐ、別の舟に乗り換えると聞いて分かった。なるほど。

 舟を降りよとせかされて、岸辺の冷たい水に脚を付けたところで、アキラは速足で島へと歩き出した。


「待て」


 気づいた誰かが制止しようとするが、構わず進む。

 出来る限りの大声で叫ぶ。


「なるほど、吾子ら、平の忠常に売ったのだな。

 信太を、仲間共を」


 ここから舟で更に行くとすれば、南の香取、平忠常の支配地になる。

 恐らくは以前から、信太には平忠常の息のかかった者が浸透していたのだろう。


「源氏の押領使が信太に入らば、いくさは止み皆信太に帰る事できる。

 しかし吾子らは、それがよろしくないのだな」


 彼らは様々な利益、権益を約束されていたに違いない。

 足利勢が信太に入れば、連中のこれまでの運動は全てパァになる。


 寒々とした岸辺の家の戸口から、いくつか顔が出てきた。何事かと思っているのだろう。アキラは走り出した。


「平の忠常に通じたる者にはそれがよろしくない。

 偉くして貰える約束の無くなる」


 家の影に隠れようとしたが、見つかる。


「裏切りの見つかれば我が身の危ない」


 掴んで来ようとした手を振り切る。


「それで、坂東別当を売って、我が身助けようという事か」


 そこまで言ったところで、背中から多分蹴られた。倒れようとするところを捕まれる。もう一人に殴られる。


「信太をっ、ぶっ、裏切って、小太郎殿をっ」


 蹴られる。

 それ以上は言えなかった。腹を殴られ、息が止まる。


 掴んで引っ張られる。顔を殴られる。


 辺りが騒がしくなる。

 人が多い気配がする。アキラは手足を掴まれて運ばれる。叫ぶチャンスだ。


「小太郎殿を裏切るなッ!」


「黙れッ」


 そこで鳩尾を強く殴られてアキラの意識は飛んだ。


    ・


 起きた時にはもうどこかの地面の上だった。

 痛い。体中が火照り、くらくらする。もう少し寝たふりをしよう。


「起きよ」


 そうはいかなかった。蹴られて起きる。

 立つと、後ろ手に縛られ、更に腰の辺りで縄を巻いて縛られて、縄で引っ張られる。

 歩きで移動だ。


 しばらく谷間の湿地の中の道を歩いたら、再び舟に乗れと言う。


 香取の屋敷に連れていくのではなかったのか。意外な気がした。


 舟は更に南下を続ける。

 明らかに内海の、湖か沼か、しかしこれは一体どこだろうか。アキラにはさっぱりわからなかった。

 どちらにせよ、殴られたところがガンガンと痛くて、それ以上は考えるどころではない。

 舟の底で横になっていると、起きよ、降りよと急かされる。

 もう夕方だ。


 岸辺の小屋で夜をあかす。

 火の傍に置いてもらえたのは僥倖だった。それ以外は、馬の糞ばかりだ。


 翌日は再び歩きだ。

 革靴の下に履いていた草履が擦り切れ、やがて革靴の底にも穴が開いた。


 ここは房総半島の筈だ。もう随分と南に下った筈だ。


 次の寝床も馬小屋だった。

 どうも馬借に屋根を借りているらしい。


 翌日、目的地に着いた。

 盆地の中に、館がある。

 ここはどこかと聞くと、口の軽い奴が、いすみぞ、と教えてくれた。

 館の額には、上総国府、とあった。


   ・


 アキラは館のひと部屋に押し込められた。

 二間四方の土壁の塗込めの部屋だ。

 廊下に面する壁の部分は柱を格子に組んでいて、戸は太いつっかい棒で塞がれていた。つっかい棒には鍵などは無いが、出られないことに変わりは無い。

 床は土間で、隅に糞をするための穴がある。この穴には普段は藁を掛けて覆っていたが、この藁が寝床共用だと知ったアキラは藁の追加を要求した。

 二日ほど盛んに要求すると結構な量の藁が貰えたので、それからは比較的暖かく過ごすことができた。

 いや、そもそも結構暖かいのだ。相当南の方なのだろう。


 ここまでアキラを連れてきた連中は、部屋に入れられてからは一度も見ていない。

 食事は一日二食、ただの塩粥だ。海が近いから流石に塩味は付くらしい。

 しばらく寝て体力を回復しようと考え、横になってつらつら考えた。


 ここが上総国庁の筈がない。

 本物の上総国庁は東京湾の近く、千葉の南だった筈だ。そしてそれは、いすみ、ではない。

 こちらは盆地とは言え太平洋岸らしい。気候がかなり違う。


 ではここは、一体何だ。


 考えるのは香取の屋敷だ。下総国庁とは別に、平忠常は自らの拠点を築いていた。

 似たようなものか。


 二日もすると飽きて、アキラは紙と筆を要求したが、それが叶えられることは無かった。

 体のあちこちの腫れも引くと、アキラは藁細工に精を出した。

 まず作ったのは敷物だ。更にもう一枚敷物を作って重ねて、ようやく土間の底冷えのする夜をなんとか過ごせるようになった。

 次は身体に巻くものだ。頭から被るものまで作ったが、あまり寒さは変わらないように思えた。

 アキラはもう一度藁を要求した。藁は問題無くくれるようだ。


 しばらくすると、考えることは大体、あずさ殿のことになった。


      ・


「吾は未来、千年のちより来ました」


 通じていない。言い直す。


「千年後の世より来ました。

 今より千年の後、吾は生きておりました。それが気が付くと五年前、足利の屋敷前におったのです」


 この時代、未来という概念、将来違った世界観が広がるだろうという概念は普及していない。遠い未来の概念はまだ仏教の狭いサークルの中に閉じている。


「千年、と」


「先々の事、遠い先々の、更に遠き先の事にて」


「先々、つまりは天竺異境にあらず、と」


 遠き事なら何が違おうか、とあずさ殿は呟く。

 考えてみると、大して変わりはしない。先のことが分かると言っても、来年の事が分かる訳でも無いし、そもそも歴史が変わってしまった。

 アキラの生きていた歴史は、もはや未来では無い。


「来年や再来年あたりから来たのであれば、先々の事判りて、色々に都合よくあったでしょう。しかし千年となると、それは実のところ、天竺異境とさほど変わりはありませぬ」


「その天竺のごときは、いかな所ぞ」


 何と言おうか。


「今とは色々変わりおるにて、……そう、月に人が行きおりました」


 ほう、とあずさ殿が言う。

 千年も先の事となれば、色々と違いおるのか、と。


「で、如何にあった。月は如何な国ぞ」


「吾の行きし事ではあらじ、唐天竺に行く法師がおるような話にて」


「それでは、まことの話かわかるまい」


「天竺と違い、月はよく見えますゆえ」


 電波とか、そういう話をどう避けて説明したものか。しかし、


「ああ、望遠鏡を使うか。

 驚いたぞ。月があれほどに痘痕であったとは。いつ疱瘡(もがさ)にかかられたやら」


 アキラは言う。


「しかし、月は美しうあります」


    ・


 アキラは隠れて草鞋(わらじ)を編むようになった。完成したら敷物の下に隠す。

 草鞋は消耗品だ。破れた革靴はもう役には立たない。脱出の時が来たら、役に立つのは作り貯めた草鞋になるだろう。


 爪で地面に描いた刻みが25日に達した頃、良く知った顔が現れた。


「静かにされよ。これ上から被り、あ、ちと腰屈めよ。吾子は背丈のあるゆえ」


 葛飾の郡司だ。


「ここにおると聞いたのが五日ほど前、それから色々に準備がありて遅くなりし」


 アキラが被ったのは女物の着物、小袖だ。

 一度しゃがんで懐に草鞋を入れる。襟を手で押さえて、できるだけ顔を隠す。


「さぁ」


 裸足で部屋を出る。

 国庁らしい朱塗りの円柱の回廊を歩く。通用門らしきところから外に出る。


 暫く歩くと、林の中に馬が一頭繋がれていた。


「吾の出来るのはここまでにて」


 葛飾の郡司は残念そうに言う。


「もう一頭用意する手筈であったが、吾はこれから急ぎ香取へ行かねばならぬ。

 いつぞやの借り、これで全て返したとは思っておらぬ。

 しかし、今はここまでにて」


 アキラは気にしておらぬと手を振った。そう、言っておかねば。


「これで吾子に貸しは全て無き事よ」


 これで彼に危険が及ぶような事があっては辛い。


   ・


 葛飾の郡司は本当に急ぎの用事があったのか、あっという間にいなくなってしまった。

 アキラは草鞋を履くと、小袖を裏返しにして水干の上から着た。草鞋をひとつほどいて作った藁縄を腰に巻いて帯にして、小袖の裾を折って入れる。

 山へ、南へと歩き出す。


 向かうは安房だ。

#90 健児について


 律令制の定めた地方の軍制は、防人、軍団を経て、この時代には少数の在庁郡司子弟などで構成される健児の制度へと移行していました。

 東北での蝦夷との長期の戦い、いわゆる38年戦争の初期に、各国においていた軍団は紛争地域を除いて廃止され、より小規模で専門の兵士、健児が代わりに置かれることとなります。実際に各地の軍団を動かしてみると使い物にならず、地方を疲弊させるだけだったからです。

 健児は元々は軍団内の一区分だったものと思われます。そこだけが残されたのです。国の規模によって人数は変わりますがおよそ100人から50人程度、これが国衙の兵として維持されていきます。維持されるというのは律令で田の割り当てがあるということです。財源があるのですから消滅はしません。ただ、実際のところの戦闘力はわかりません。

 健児の基準は弓騎の能力と相撲の強さでした。平安時代は各国から相撲人を出させて相撲節会を宮中で行なうようになりますが、この相撲人は健児から選出されたものだと思われます。宮中で行なわれる儀式に出て、天皇上覧の上で相撲を見せるのですから、相撲人は無教養では務まりません。エリートであった筈です。

 作中時代の健児については、今昔物語集巻25第9、源頼信の朝臣平忠恒を責めたる話に、受領源頼信の兵と国衙の兵合わせて二千、在庁平惟基の兵が三千と書かれているのが参考になるでしょう。この中で真髪高文というものが渡しの案内をするのですが、今昔物語の別のエピソードに、常陸の相撲人として真髪成村という人物が出てきます。真髪成村は別のエピソードでは陸奥の相撲人となっています。もしかすると常陸と陸奥の接する辺りの出身だったのかも知れません。真髪家は健児、相撲人の家系だったことがわかります。真髪成村はその後、常陸で敵に討たれて死んだと伝えられています。実際のところ、彼も武士だったのでしょう。

 作中年代との一年後、万寿元(1024)年に常陸の相撲人、公候有常が同じく相撲人公候常材によって殺されたと、翌年、前年まで受領であった平維衡が報告しています。同時に公候常材は平維衡によるものと報告し、これを調べた現国司藤原信通は、平維衡による殺害を認定しました。公候有常の妻は一族の公侯恒木が犯人であると供述していましたが、これも平維衡の圧力であったことが判明しています。平維衡が常陸国在任の最終年に公侯一族と対立したことが窺えます。

 しかし結局、平維衡が何らかの罰を受けることはありませんでした。藤原道長に近く、更に右大臣藤原実資の家司でもあった平維衡は保護されていたのです。

 国衙の兵はその後も前九年、後三年の役では見られますが、これは軍制のかなり違う東北の話です。

 藤原信通は朝廷への報告で、平維衡の国司だった頃に三百町まで減少していた耕地は七百町まで復活したと述べています。和名類聚抄には四万町と書かれていたものがこの有様です。健児の給田も消滅し、健児は地方で武士化し独力で所領を獲得していったものと思われます。

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