#9 :1018年2月 相撲
「お前達はこれより、アキラの申す事を吾の言葉と思うて従え。
良いな!」
屋敷の庭に俘囚をみな集めて、頼季様はそうのたまうた。
げっ!
アキラは情け容赦の無い無茶ぶりに頬を引きつらせた。
そもそも俘囚たちは頼季様を主人と認めた訳でも何でもない。彼らが認めたのはただ一人頼義殿だけ、それも入植地の約束で結ばれた関係に過ぎない。
つまるところ俘囚たちには頼季様の言葉を聞く義理など全く無い。もしあるとすればそれは頼義殿の弟という立場に対する配慮だけだ。
そして更にアキラの立場なんてものは存在しないも同じなのだ。これは頼義殿がどうお考えでも変わらない。見た目刀も差していない雑色なのだから。
だがここで期待されているのは、アキラが俘囚たちに指導力を発揮するところなのだ。
まぁ仕方が無いか。予めこの日の来ることは判っていたのだ。アキラは腹をくくった。
アキラは手に持った木の枝で、地面に足利荘北部の地形を書き始めた。
「吾子らに割り振られるのはどれも谷地となる。そこをおよそ五箇所に分け、四人づつ住んでもらう。およそ一人につき一町の広さが与えられるが、しかし今は荒れ野、荒れ山だ」
皆を手招きする。
「既に下見を済ませたものはおるか」
いないようだ。
「これら五箇所にはそれぞれ向き不向きはあるが優劣は無い様に計らった。
向き不向きと言うのは水の便だ」
俘囚たちの興味が足元の地図に注がれる。アキラに対する反発よりも実利が勝るとみえる。
「名草谷が最も水が豊かだ。この谷には上と下に二箇所、地割りをする。だが、谷の下は水が多いが堤は作りづらくなる」
枝で他の谷を示す。
「月谷や堤田には堤があるが、壊れておる。これを次の春までには直さねばならん。
地割りされた者は堤を調べて、己らだけでは直せぬと思ったならば吾に申せ。皆で堤を直そう。だがその分、助けてくれた者のためにも代わり働きをせねばならぬ」
アキラは皆を見回す。
「どの地割りも谷だから、右手も左手も山になる。これらは入合いとしないことを足利荘の百姓らには申し付けてある。好きに使ってよい。
もっとも、まずは皆炭を焼かねばなるまい。炭を鎌や鍬の料とするからだ。
だからまず、各地割りごとに斧を一本づつ与える」
いつのまにか、アキラは俘囚たちの静かな注目を浴びていた。
「さて、どこに住みたいか、言うてみよ」
「おい!」「俺はこっここ!」「ちょっと話を聞け!」「てめぇ!」
とたんにアキラは俘囚たちに囲まれた。
流石に20人に囲まれるとちょっと、いやかなり怖い。皆より頭一つ背が高いのだから大丈夫だろうとか考えていたのが間違いだった。
しかし腹をくくったアキラは態度を変えない。手を叩く。
「こら吾子ら、言うてみよと言ったのだから言うだけにいたせ」
襟元を掴まれる。
「偉ぶるな雑色が」
アキラはそう言った奴、襟元を掴んだ手を掴むと、捻り上げた。
「言うだけだと言ったろう」
耳の中で血が脈打つのを感じる。頭に血が昇っているのだ。冷静な振りをし続けるのはもう難しかった。
痛い痛いと喚く男を突き放し、更に蹴り倒す。
アキラの周りにぽっかり人のいない空間が出来ていた。そして、素早く見渡しておよそ10人かそれ以上、アキラは頭に血の昇った集団に囲まれていた。
まずったなぁ。
屋敷の敷地内である。
最悪でも頼季様の命令があれば、屋敷の郎党がアキラを助け俘囚たちを制圧するだろう。
だがそれは最悪の展開である。少なくとも、今後アキラが俘囚たちに指導力を発揮するなんてことは相当に難しくなる。
だから結局は自分の力で、アキラ自身の力で出来るところまでやるしかない。
それがこの短い間、俘囚たちを観察して得た結論だった。
アキラは自分の力の程度がどれくらいか、彼らに示さなければいけない。
その為にはとにかく痛い思いをすることになる。
さて、まとめてかかって来い、なんて言うのは悪手だよなぁ格好良いけど、などと思案していると、
「よし!相撲だ」
あれは俘囚頭の君子部三郎か。君子部三郎は周りのものをどやしつけて、アキラの周りの人の環を広げさせた。
そして、小袖をもろ肌に脱ぐと、
「それではまずこの君子部三郎貞光と勝負願いたい」
・
相撲なんてやったこと無いよ勿論。アキラはこれがまだ柔道だったらなどと考えてしまう。ほら柔道なら学校の授業でやったから。
さて、どういうルールだろうか。アキラは自分ももろ肌脱ぎながら考えた。
まず土俵が無い。周りに円を描く気配も無い。もしかして場外も無いのではなかろうか。すると押し出しも無いことになる。
基本は相手の帯を掴んで転ばせれば勝ち、というところか。誰か先に相撲をやってくれれば参考にできるのに。
相手の出方をみながら考えるかと考えかけて、それでは駄目だと考える。
それで勝てる相手か。
とにかく反則でも何でも、相手を力でねじ伏せるのだ。
とはいえ最初はどうするのか。君子部には両こぶしを地に着ける動作のかけらも見えない。それどころか何か構えている。
行事も見えない。審判はどうするのか。君子部の両手が前に伸ばされる。アキラは思う。これはレスリングだ。
「よーい、よーい、よーい……」
周囲の声に合わせて、君子部の手がこちらに伸ばされるのに合わせて、アキラも手を伸ばす。だがこれは組み合う手ではない。君子部の利き手がすこし上下に振れる。
よーいの掛け声が止まり、一拍置いて君子部が動いた。
手を取りにくるか。いや違う。
君子部の指先がこちらの指先にちょい、と触れ、そして急に動いた。
アキラは後手にまわっていた。しかし肩をあわせる。帯を探す。こちらの帯は既に掴まれていて、いかん、突っ張る。
上体を捻って利き手を切れるか試す。駄目だ。しかしアキラの手も帯を掴む。
君子部の足がアキラの足を内側から引っ掛けようとする。そこにアキラはタイミングを合わせて君子部を押す。踏ん張る足を素早く変えて足払いをかわし、今度は逆に引っ張る。
更にもう一度押す。そして素早く引っ張る。
体格で勝るアキラは、かなり雑な手でも大胆にやれば、勝てる。
君子部の足がふらつくのを感じ、そこで押し倒す。
駄目だ。まだ倒れない。
もう一度だ。力任せに引っ張り、勢い良く押し、また力任せに引っ張り、更に勢い良く押して、倒した。
「よっしゃー!」
調子に乗って叫ぶ。
ずいぶんとグダグダな勝負だったが、勝ちは勝ちだ。
「さすが強いな。これで……」
「吾とぞ思わんものは掛って来い!」
背後に君子部が何か言っていたが構わず叫ぶ。
勢い良く突っかかってきた奴をアキラは顔面張り手一発で吹っ飛ばす。ちょっと掌底っぽい入り方をしたので心配になる。
次にかかって来た奴は流石にそこまで弱くは無かった。相手の掴んでくる手を切り、腕を掴んで捻りあげる。
要はパワーの差だ。体格差は相撲では絶対だ。
ねじ切れるかと思うほど力をかけ、捻り倒す。
「おらおらぁっつ!」
次は流石に慎重に間合いを取ってくる。だがアキラはお構い無しに、どんと勢いよく近づいて突き倒した。
「だぁあああああ!」
相手は勢いよく吹っ飛んでいく。
ここで、急に疲れが襲ってきた。
流石に疲れた。というかアドレナリンが切れかけてきた。
「……あとは吾子らでやれ」
囲む人の輪を破って出て、アキラは門の木の下に座り込む。
急に頭が冷えてくる。震え出しそうになるが、疲労が勝る。
向こうに見える人の輪はそのままだ。
どうも相撲を続けるらしい。輪の中に誰か二人出てきたのか。
よーい、よーい、という掛け声が始まる。
よーいの声が計8回。それで勝負が始まった。
まさか。
次の勝負もよーいの声8回。つまり”はっけよーい”の語源は八ヶよーい、つまり、よーい八個分を省略するよ、という意味だったのだ。
ぐったりしたところに、君子部三郎がやってきて、アキラの隣に座り込む。
「好かぬ奴よ」
あの場を相撲に持って行き、さらに自分が相手として名乗り出た君子部三郎の思惑には気づかないわけには行かない。
恐らく君子部は相撲でアキラに勝ちを譲ってその場を収め、アキラの指導権を認めると同時にその恩を着せるつもりだったのだろう。
「悪かった」
アキラがそう言うと、君子部は唸った。
「まぁ良い。事は収まった。
見てみよ。奴ら、吾子の言うとおりに相撲をしておるわ」
そういえばそうだ。今連中はアキラの言葉に従っている。
「ところでだ。吾は月谷が良い」
「は?」
「言えと言うたろ」
そうだった。
「相判った。ちょっと紙を持ってくる。吾子は他に3人アテがあるなら今のうちに声をかけると良い」
そう言い残してアキラは立ち上がる。キツイ。眩暈がひどい。
紙と竹ペンと盾を抱えて、墨を忘れたことに気づく。まぁ後で取りに行こう。
木の下に盾を机代わりに置いて書き物の準備をしていると、俘囚の中にもこちらの様子に気が付くものが出てくる。
改めて取りに行った墨と硯で書き物の準備ができると、アキラは数人に取り囲まれた。
「では、君子部三郎、月谷で良いな」
「ああ」
アキラは竹ペンで月谷、と書き、横に君子部三郎と書く。
竹ペンは筆と比べものにならないほど細い線が描け、従って文字も小さく書ける。
竹ペンはアキラの冬の間の工夫の一つだ。
どうも筆で書く字の大きさに慣れないアキラは、ペンの類いをつくれないかとしばらく模索した。一番欲しかったのは水鳥の羽のペンだが、矢羽根の材料として最優先で使われアキラの手元に廻ってくることは無かった。どうやら自分で獲らない限り手に入らないものらしい。
代わりに毎日の矢作りで手元に大量に残ったのは竹だった。アキラはゴミとして出てくる半端な長さの竹の先を尖らせ、先を割ってペンにできるか試した。
最終的に、小さな傷を抉ってそこまでで割れ目を止める方法、そして節をペン先にして磨耗を小さくする工夫に辿りついていた。
お陰でアキラはこの竹ペンを使うことで紙に倍の文字を書くことができた。更に竹ペンだと墨が裏まで滲むことが少なかったから、紙の裏も問題なく使えた。
問題は、素晴らしいと言ってくれた屋敷の誰も、アキラの竹ペンを自分で使おうとはしない事だった。
彼らにとって、ちゃんとした文書とは常に筆で書かれたものだった。彼らがどんなにインチキ漢文であろうと漢文に固執し、かな交じり文を文書に使おうとしないのも同じ理由だった。
この時代、どんなことでも旧例を守ろうとする保守性は、全ての人の魂に刻まれた金科玉条だった。
アキラの周りを囲む俘囚たちも、最初はその見慣れぬ細い竹の棒を見ていたが、やがて何が行なわれているか気がついた。
「吾は名草谷だっけか、その下のほうがいい」
「名は」
「長谷部太郎」
下名草谷のところに、アキラは、はせべ太郎と書き込む。
「大伴部実親、堤田にする!」
順調にリストが出来上がっていく。そういえば雑色呼ばわりした奴はどこだ、アキラが探すと、居た。
「おい、吾子の名は」
しばらく聞こえていないかのように無視していたが、やがて応えた。
「大物部季通」
「では吾子は上名草谷だ」
アキラがそう言うと、大物部季通は勝手に決めるなと喚いた。
「吾子が最後だから余りで決まりだ。
何時までたっても決めぬ吾子が悪い」
大物部季通の名前をリストに付け加えると、アキラは立ち上がって紙を掲げた。
「では地割りはこの書付の通りとする。それぞれ地割りごとに長を立てよ。
決まったら長は吾の元へ来い」
言った傍から、どう見ても喧嘩にしか見えない掴み合いが各所で始まる。
「こら吾子らいい加減にしろ!」
#9 相撲について
平安時代盛んに行なわれていた相撲ですが、ルールや格好の細部は良く知られていません。良く知られるのが毎年7月に宮中で行なわれた相撲節です。これには全国から選りすぐりの相撲人が集められ、勝負を行ないました。
突く、蹴る、殴るは禁止、だがそれ以外、ひっかき、頭突きや肘膝はルール上問題なかったようです。土俵は無く、試合は手合わせ、すなわち互いの手を合わせるところから始まります。特別な権限を持つレフェリーは無く、勝敗も物言いの制度があることから細かいルールの適用は無く、投げるか土につけるか、第三者から見てはっきりわかる勝敗のつけかただったと思われます。
格好は諸説あります。現存する最も古い相撲の描写は鳥獣戯画絵巻ですが、出てくる連中は全部裸なのであんまり参考になりません。野相撲の場合、つまり上着をもろ肌脱ぎ、袴の裾をたくし上げた格好はこの時代からあったものと思われます。今昔物語などには相撲人が袴の裾をたくし上げる描写があります。
掛け声、いわゆるハッケヨイの語源については諸説ありますが、通説となっているのはいわゆる八卦由来とするものです。発気揚揚が訛ったものとする説も過去にはありましたが、これは考え難いでしょう。
本作品では、養父のねっていずもうの掛け声、ヨイヨイヨイからアレンジしたものとなっています。こういう説は他ではちょっと見つけることが出来ませんでした。