#86:1021年10月 建立
木工学生たちは、飛び杼付き絹織機の上に積もった埃を払い、その動作の実演を始めた。
従来の織機の倍の幅三尺を織る機械だが、いわば従来とは違う規格の幅を織ってしまう訳で、出来たものが売れないという現実がこの機械の普及を阻んでいた。
多くの服は一尺五寸、50センチほどの布を縫い繋いで作られる。だから最初から繋がっていれば見栄えも良いと思ったのだが、この時代、保守性というものは鉄よりも強い。
学生は手慣れた様子で杼を左右に飛ばしていく。織機の左右には杼を飛ばすハンマーとキャッチャーが備えられており、紐を左右に引っ張ることでそれが動作する。
「この機、幅半分でこの飛び杼、付けられぬか」
田部郷の郷長は学生に尋ねた。つまり標準の幅、一尺五寸にしろという事だ。学生は面白くない、という表情で彼女に答える。
「無論出来ましょう」
郷長は成人したばかりだったが、彼女は郷長の仕事をこなすだけでなく、それ以上に投資に前のめりになっていた。
彼女の母がアキラの娘の乳母をしていた縁でアキラの渡した香典代を、彼女は太日川の渡しの権利獲得に使っていた。
渡し守をしていた簗田の田堵の息子が疱瘡で死に、足利は権利を買い戻して新たに売り出したのだが、既に太日川に橋を架ける計画が進行中であり、権利の人気は低かった。
これを好機と見て彼女、田部郷の郷長は、この権利を安価に獲得したのだ。
橋を架けるといっても完成はまだまだ先の話で、それまでは交通は渡し舟に頼ることになる。足利を巡る交通量は以前と比べて大幅に増えており、彼女は春先には既に投資額を回収していた。
儲けた財で彼女は金属歯の千歯扱きとこの絹織機を導入しようとしていた。この二つの組み合わせは、千歯扱きの利用で余る労働力を織物生産に利用しようとする目論見からだ。
「目代よ、絹繭の糸繰りは無いものか」
実は、ある。足利では絹の生産が少ないためろくに試されなかったが、繭から糸をつくる小さな糸繰り装置は試作していた。
一度に繭一つと小さなものだが、麻糸の糸繰りにも使用している等張力巻取り機構と金属ローラーは、繭からなめらかな絹糸を取り出す。普通なら生糸にすることができない低品質の繭、綿と呼ばれているそれを、多少質が悪いという程度ならこの糸繰りは金属ローラーで撚り合わせてしまう。
同じ建屋の奥にそれは埋もれていた。埃はより多く積もり、払うとその場の皆が咳き込んだ。
「これ試し使われよ」
これはタダで貸してしまおう。
「いくらぞ」
「ただ貸すのみにて。使いて都合悪き所教えよ。そうすれば次には更に良くしたものを売ろうぞ」
アキラは、彼女の投資に前のめりの所が気に入っていた。上質品である結城の蚕を飼育して増やそうとする彼女の考えをアキラは知っていた。
「繭の代足りぬようであれば貸そうぞ」
彼女は、疑わしいものを見る目でアキラを見て、利の代はいくらぞ、と聞いてくる。
やはり、資金が苦しいのか。利の代、つまり利子はタダにしよう。
「利の代は無しで絹五反貸そう。その代り、いつか利の代無しで貸してくれ。
吾子はそのうち途方もない長者になろうぞ」
「坂東別当が言うとまことのようにも思ゆる」
言葉とは裏腹に、彼女は全く信じていないという風に手を振った。
・
かつて木工作業場だった小屋は、今では新たに造営される寺院の臨時別当だった。
寺院は足利の助戸郷の北の小高い丘の上に建設される。初めは小さな寺を建てる計画がいつのまにか大寺の造営計画になっていた。
その内容は普通の寺では無かった。
塔は三重のものが一応建てられるが、これは木工学生の習作みたいな代物だった。金堂は大きなものが計画されていたが、これも最近の足利ではお馴染みのトラス天井を用いたもので、寺院らしさは欠片もない。
本尊は金銅仏を奢っていたが、これも青銅鋳造技術の習作みたいなものだ。足尾の連中はまだ錫を使うのに慣れていない。
鐘は作り直して音程を修正する必要がある。音程なんてあったんだ。
規模が大きく見えるのは、実質二つの寺が一つにくっついて見えるためだ。
もう一つの寺、別院は金堂や塔を持つ本寺より一段低い位置に置くことになっていた。これは本寺の僧たちの意識に配慮したものだった。
何せ別院は真面目な寺とは言いがたい。目立つのは渾天儀、真っ先に建設された櫓の上から飛び出した、太陽の高度を観測するための機材だ。
別院の主は石川法師、しかし陰陽寮か何かかと言うとそれは違う。大学の内容のうち、科学の分野にはみ出したものを収容するための施設がこの別院だった。
郡や郷の利益に結びつかない、好奇心や探究心に突き動かされた者達がここに移される。彼らは木工のように即座に利益に結びつく事をしないから、暦の売り上げと寺院への寄付浄財によって暮らすことになる。
ただ、アキラにとっては既に莫大な利益を生み出している者たちだった。ある者は光学の研究に没頭し、屈折や反射の諸性質を纏め上げようとしていた。
あるものは草木を調べて分類する事に夢中だった。ほかの者は変人扱いしていたが、アキラにとっては資源データベースが整備されたのも同じだった。
昆虫に夢中になるものもいた。先日その男、僧らしいのは剃り上げた頭だけのその男は、足の数と体節で虫を分類する方法についてアキラに熱っぽく説明してくれた。多分そんな話を真面目に聞くのはアキラくらいだったのだろう。
別院に比べれば本寺は遙かに仏教寺院らしかったが、他所の寺に言わせれば異端邪教と罵るものもいるかもしれない。
本寺は法相宗の新興分派、実証派の寺だった。講師は弁徴法師、本寺別当も薬師寺の法師である。実証主義を唱えて半ば薬師寺から追放された僧三人を、足利荘はこの寺を建立して迎えることにしたのだ。
本寺に先行して建てられた僧坊に調度を搬入する一行のあとに付いて、アキラと田部郷の郷長は木工作業場を出た。
「吾は父母の供養法会もせずに富貴を大事とし、まこと悪行の子なることよ」
歩きながら彼女は自嘲気味に言う。それに答えるようにアキラも呟く。
「吾も、妻の法会もまだ行っておらぬ」
けりが付けばやると決めていた。
「寺出来たなれば、その時にやれば良かろう」
田部郷の郷長の母親、乳母の死については分からないことが多い。
郷長は母と父の死を一方的に知らされたに過ぎず、その遺体も確認していない。疱瘡に侵されたその遺体は焼かれたと言われ、形見のみ渡されたという。
アキラは、乳母の姿をした鬼について彼女には告げていない。
彼女と別れると、荷物運びの列の後ろに付いて、寺の建設現場へと向かう。
稲の刈り取りはとうに終わり、稲束は刈り干されている。
海藻灰を肥料とした田の収穫は相変わらず高い水準を維持していた。一気に広がった新田の収穫も良い。そろそろ海藻灰を肥料として他に売ることを考えて良いだろう。
逆さ川を渡る。延長され続ける用水路は秋が深くなっても豊富な水量を維持していた。用水路沿いに新設された水車が幾つか見える。うち一つは丸鋸を動かす木工用、もう一つは動力麻織機用のものだった。
柿の木が並木になった坂を少し昇ると、寺の建設現場だった。
アキラは荷物運びたちと別れると別院へと向かった。
・
石川法師をしばらく探しまわって、見つけたのは本寺の鐘搗き堂でだった。
鐘は現在鋳直すために足尾に戻っていた。従って堂のなかは空っぽで、石川法師と数人の僧形の者たちがそこに机と衝立を持ち込んで何かしていた。
計算だ。
手分けをして計算をしている。
肩を叩くと石川法師が振り向くが、邪魔をしてくれるなとその表情は語っていた。
「日食を試しに算じておる」
太陽が天球を通る道筋は季節で決まっており、月が天球をどう通るのかも観測から予測できる。さて、天球において太陽の位置と月の位置が重なる時、何が起きるであろうか。
答えはもちろん、日食だ。月の軌道面がぶれるのを観測できていたから、この軌道面が将来どう動くのかもなんとなく判る。
「四年ほど先、十月の朔に近きものがある」
それより先はわからぬ、という。
興味深い話だが、本題はそれではない。
「法師よ」
声を掛けると石川法師は計算者たちの輪から抜け出して、アキラの後に続いた。
鐘搗き堂を出て、塔の資材が積んである蔭に廻る。
「もう一年になる」
アキラから切り出した。
「何か分かったか」
石川法師の返事は見ればわかる。
去年、法師を足利に連れてきたのはまず、この関東にいる筈の敵対的な陰陽師に対抗するためだった。
特にアキラが依頼したのは、この近辺に陰陽師の影響があるか、あるとしたらどういう奴の仕業か、教えてほしいというものだった。
「そもそも何も無き。前の年より変わりなき事」
「何もか」
何も無くば陰陽の用事など無き、と石川法師は言う。やれ雲が不吉だ星が不吉だとなれば陰陽の事となるが、それら無ければ陰陽の出番など無いのだと。
「例えば犬の死んだものが有る、鳥が不吉な声で鳴く、夢に不吉なものが有る、こういう事が陰陽の用事、そういう事あれば働こう」
そういえば最近は変な夢も見ないな。
「聞く限り吾子の夢見は悪陰陽の術によりしものゆえ、夢に何か見たならば知らせよ」
それで法師は鐘つき堂に戻っていってしまう。
放り出された気分でアキラは寺を出たが、柿並木に差し掛かったところで僧形の5人ほどに囲まれた。別院で火葬場に関わっている者たちだ。
「こちらへ来られよ」
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別院にはもう一つの役割が課せられていた。
火葬場の運営だ。
寺の裏手に、煉瓦を積んだ火葬場が設けられていた。
ここに遺体を持ってくると、煉瓦の枠の中に柴を積んで遺体を載せて焼くことになる。焼け残りから骨を探し、骨壺に骨を入れて返してやる。これでおよそ料金米一斗。墓まで作ると米三斗だ。急に値段が高くなるのは簡単な法要が付くからだった。
近郷に関してはここで遺体を焼くよう通知を出していた。彼らは遺体を焼くと骨壺を受け取り、大抵は郷の周りの墓場に埋めていた。
この作業を受け持つのが散所の者たちのうち出家したという僧形の者たちだ。勿論彼らの大半は税を逃れるために頭を剃っただけに過ぎない。
別院は彼らの為の寺でもあり、彼らの為の職場でもあった。
科学振興の場と浮浪者の収容所を一緒にするのはまずいと最初はアキラも思っていたが、思ったほどまずいことにはなっていない。理由の一つには散所の僧形のものたちがおとなしいことが挙げられる。他にも、面倒を起こしそうな連中は八幡宮の境内に残ったのも理由の一つ。
遺体の衣類遺品を略奪するのを禁じた時には流石に不満が出たが、自然に遺族が心づけを出すようになって略奪禁止は徹底されるようになった。
衣類の略奪は禁じなければならない。特に疫病の広がる時には。
しかし、死者というのは定期的に出るものでも多く出るものでも無い。
道の清掃、修繕も彼らに課した仕事だ。
彼ら別院僧たちは暦を売って諸国の道を歩き、道の状況を調べることになる。その報告で道が悪いとなると足利の国庁から修理依頼が出る。それで道を直しに行くことになる。
道の修繕は、別院の見えない役割になる。
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煉瓦を積んだ火葬台の裏手に、更に五人いた。見慣れない顔だ。
「吾子を鬼というものがいる。菩薩と呼ぶ者もいる。吾子は何者ぞ」
問われてアキラは、ただの人ぞ、と答えた。まさか菩薩ではあるまい。
「何故に、文字読み書きする者にしか疱瘡除けの法授けぬ」
熱心に聞いてくる男は薄汚れて、着ているものは袈裟のつもりか、ただの襤褸にしか見えない。頭を剃ったのは随分と前のことだったのだろう、今では五分刈りの倍くらいまで髪が伸びていた。
「疱瘡除けの法は授けるものでも、授けられるものでも無し。紙に法書きしゆえ、読めばそのとおりにすればよい」
この男は文盲なのだ。勿論そうだろう。しかし種痘のやりかたを知りたい、と。
「口伝では曲げて覚えしことあるゆえの事。人命に係るゆえ、法曲げることがあってはならぬ」
「どうしても駄目なのか」
すがるような眼をして男は言い募る。
「ここ別院にて読み方覚えよ」
振り向いて僧形の男たちにも言う。
「吾子らも文字読むを覚えよ。覚えたならば教えよ」
文字が読めたなら、文書が読めるようになる。種痘法だけではない。医療だけではない。農作業、工作、輸送、人々を豊かにする道がそこにある。
「疱瘡除けの法を学ぶも、文字学ぶも同じぞ。いずれ他の病も避ける法もまた紙にして配るゆえ、吾子らはそれを読めば別の病も退けようぞ」
「他の病とは」
「世には様々な病がある。それらをいちいち口で避け方教えておっては、千万の者たち救えまい。だから紙に書く」
アキラはその場の者を一人ひとり指さして言った。
「これを吾子らが皆読めば、皆が病除けの法を行える。千万の者たち救う法ぞ」
「千、万」
一人がつぶやく。アキラは頷いた。
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アキラを鬼かと聞いてきた男だが、随分後になって世に言う疫座の長と呼ばれる者であったと知ることになる。
#86 日食計算について
太陰暦でも日食の予知計算は行なわれていました。そもそも太陰暦が月の満ち引きに対応し、そして日食が原理的に新月の時にしか起きないものだと言う事を考えると、日食の予測はその暦法の中で予測可能なものだったのです。但し当時の精度は怪しいものでした。これは月や太陽が天球を等速運動していると仮定していた為です。
太陰暦では新月は月の終わりと初めの境、終わりが晦日、始まりが朔日です。境は朔と呼ばれます。日食は必ず朔で起きる訳です。古くは太陽と月の作る角、離角も等速で変化するものと考えられていました。
作中時代に中国から導入、利用されていた宣明暦は月や太陽の真の運動速度の観測に基づいていました。しかしこれは天球の運動を等速運動と仮定した上で観測値を補正に使うものでした。
日食予知は要するにそれぞれの朔においてどれだけ月と太陽が近づくか予測することです。離角の変化を等速とした場合、この予測は容易です。宣明暦ベースの日食予測は実際に起きるよりも多くその回数を予測しがちで、的中率は39パーセント程度でした。
近代的な日食予知は月や地球の運動を楕円軌道上をケプラーの法則に従って動くとして、高精度の運動予測をおこなうことで実現しました。現在では計算済みベッセル日食要素を基に誰でも精密な予測が可能です。